18 一番大切なもの
その日は一日、夢の残像が頭にこびりついて離れなかった。
あの夢は、恐らくオディウム王のフィニス訪問を歓迎するパーティーの最中だろう。
わたしが姉二人と対峙していた部屋は、王城の大ホール近くにある個室の中のどこかだった。以前、ラザロ様の件のときに見ているから、間違いない。歓迎パーティーが開かれることはルキウスからも聞いているし、私たち三人が三人ともパーティー仕様の華やかなドレスを身につけていたことも考えれば、容易に察しがつく。
姉たちの言葉から推測すると、今回のフィニス訪問は、どうやらあの二人が王をそそのかした結果らしい。
冷酷非情だの残忍極まりない悪魔だのというルキウスの噂を聞いて恐れをなし、縁談をわたしに押しつけた姉たちは、あとになってルキウスが類まれなる美貌の持ち主であるという事実を知ったのだろう。どこかで肖像画なり絵姿なりを入手したのかもしれない。
そういえばあの人たち、「結婚相手に求めるのは見目と財力」とか大っぴらに公言していたっけ。王族なんだから、そんなわがまま言ってられないでしょうよ、と内心思っていたのだけど。神と見紛うほどに麗しいルキウスの容姿を知るに至り、何がなんでも手に入れたくて暗躍していたと見える。
だいたい、あの二人は王だけでなく国の上層部にも媚びを売り、意のままに操る術に長けているのだ。そんな姉たちがフィニスに行ってみたい、なんて言い出したら、誰もかれもがどうにかこうにか理由をつけて、願いを叶えてやろうとするのは目に見えている。
それにしても。
夢の一部始終を改めて思い出すと、俄かに呼吸が荒くなる。
スーッと冷えていく指先が震え出すのを、抑えることができない。
言うまでもなく、夢見の力で見る夢は『警鐘』である。同じ未来が起こるとは限らない。いや、むしろ、夢が現実にならないよう注意せよ、という警告の意味合いを持つ。
だからこそ、これまで同様うまいこと立ち回り、危機を回避すればいいだけのことだと、わかってはいる。歓迎パーティーが開かれても、その場に姉二人が現れたとしても、ルキウスから離れないとか会場の外に出ないとか、いくらでも回避する方法はあるはずなのだ。
それなのに、指先の震えが止まらない。
最悪の未来が頭に浮かんで、身動きすらできない。
夢で見た残酷な光景は、わたしの思考を簡単に奪い去る。でもはっきりと自覚できていたのは、見ず知らずの男に陵辱される恐怖ではなく、そのためにルキウスの隣に立つ資格を失う恐怖だった。
――――わたしは、これからもずっと、ルキウスの妻でありたい。
一度は逃げ出した身だけれど、どこまでも真っすぐにわたしを求めてくれるルキウスをもう裏切りたくない。ルキウスのそばにいたいし、ルキウスの想いに応えたい。引き離される未来など、想像もしたくない。
こんなにも、こんなにも、ルキウスがわたしにとって、かけがえのない存在になっていたなんて――――
「シア?」
唐突な声に振り返ると、そこにいたのは狼狽を顔に漂わせたルキウスだった。
「どうした? 何があった?」
「……え?」
「なんで泣いてる?」
言われて初めて、頬を伝う涙に気づく。
「……これは、その……」
「やっぱり、もっと早く帰ってくるべきだったな。遅くなって、悪かった」
「……はい?」
ルキウスの言葉に、わたしはぱちくりと目を瞬かせた。
だって、まだ夕方にもなっていない時間である。
だから全然遅くはない。むしろ、いつもより早いくらいなんですけど。
呆気に取られるわたしの目の前まで来たルキウスは、頬を伝う涙を指先でそっと拭った。
「朝、目が覚めてからずっとおかしかっただろう? 気になったから、早めに帰ってきたんだ」
「え……」
「いったいどうしたんだよ? 何か、心配事でもあるのか?」
そう言って、ルキウスは不安そうな顔をしながらわたしの様子を窺っている。
そのとき不意に、バーラエナの夢を見た翌日のことを思い出した。あの日もこんなふうに、わたしの様子がおかしかったからと言って、ルキウスは昼過ぎに帰ってきたのだ。
もしかして、あの頃からすでに、ルキウスはわたしのことを想ってくれていたのだろうか。
わたしのことを、一番に気遣ってくれていたのだろうか。
「……ルキウスは、どうしてそんなに、わたしのことを心配してくれるの……?」
涙交じりの声で絞り出すように尋ねると、ルキウスは一瞬虚を突かれたような顔をして、それから少し頬を緩ませた。
「お前が好きだからに決まってるだろ。俺にとってはお前が一番大事なんだから、何よりも優先するのは当たり前のことだよ」
これ以上ないほど愛おしげな目でわたしを見つめながら、ルキウスは黙って腕の中にわたしを閉じ込める。
その慣れ親しんだ温かさに安堵感すら覚えて、わたしは図らずも口にしていた。
「わたし、本当は、あなたにずっと嘘をついていて……」
「……嘘?」
「あなたが考えていた通り、わたしには、未来を予知する力があります」
これまで頑ななまでに否定していた『力』の存在を、とうとう明かしてしまう。
突然の告白に、ルキウスは大きく目を見開いた。驚きのあまり、声も出ないらしい。
わたしはそんなルキウスにはお構いなしで、夢見の力のことを一気に話し出す。
「初めてその『力』に気づいたのは、八歳のときです。母が亡くなる夢を見て、それがあまりにもリアルすぎて、怖くなったわたしが母に打ち明けると、『夢見の魔女の力を受け継いでしまったのね』と言われました」
「……夢見の魔女の力?」
「わたしには、未来に起こる出来事を予め夢で知る力があるのです」
それから、夢見の力で見る夢には『警鐘』の意味合いがあること、でも母様のことは救えなかったこと、離宮での冷遇生活は夢見の力のおかげもあって乗り越えられたこと、ルキウスとの結婚生活がどうなるのかも実はおおよそ知っていたことなどを、勢いに任せて次々に打ち明ける。
「本当は、あなたがどんな人なのかも、結婚後ほとんど放置されることも、ある程度のことは夢で見て知っていました。それなら隙を見て逃げ出すことができると期待して、喜んで嫁いできたのです。だから、ルキウスがわたしに罪悪感を抱く必要はないの。今までずっと嘘をついて、傷ついたふりをして、本当にごめんなさい」
「……シアは、最初から逃げ出すつもりだったのか……?」
「これ以上冷遇されて我慢し続けるなんて、まっぴらご免だと思っていて……。だったらさっさと逃げ出して、自由になりたいと思っていました。でもここから逃げ出した本当の理由は、絶対に知られてはいけない未来予知の力の存在が、あなたにバレそうになったからです」
「え……?」
「そして、宰相であるあなたが、わたしの『力』だけを欲していると思い込んでいたから。『力』の存在を人に知られてはならないと母にはきつく言われていたのに、このままだときっといいように利用されてしまう。それが嫌でどうしたらいいかわからなくなって、そしたらマルゼラ様がわけのわからないことを言いに来て、なんだかもう何もかもがどうでもよくなってしまって、全部なかったことにしようと逃げ出しました」
まくし立てるようにそこまで説明すると、ルキウスは「……そう、だったのか……」と言いながら大きなため息をつく。
「……俺は、お前が必死に隠していたその『力』を、軽い気持ちで暴こうとしていたんだな……」
どこを見ているのかわからない虚ろなまなざしで、ルキウスがつぶやく。
「追い詰めて、ごめん」
ルキウスは切なげに眉根を寄せて、わたしを強く抱きしめる。
「でも誓って言うが、俺はその力が欲しかったわけじゃない。その力欲しさに、シアを探し続けたわけじゃないんだ」
「それはもう、ちゃんとわかってますから」
宥めるように、小さく微笑む。ルキウスは少しホッとしたような顔をして、まだ涙の滲むわたしのまぶたにちゅ、と口づける。
「その力があってもなくても、俺がシアを求める気持ちは変わらない。俺が欲しいのは、シア自身だから」
「……はい」
「でも、お前が今ここでその秘密を打ち明けてくれたってことは、また何か重大な夢を見たってことだよな?」
探るような、それでいて心配でたまらないといった目をするルキウスに、わたしは答えた。
「……わたし、あなたの妻でいられなくなるかもしれない」




