17 不吉な魔女
それからしばらくは、とても平穏な日々が続いた。
「おはよう、シア」
朝、目が覚めると真っ先に聞こえるのは、隣で寝ている夫の声である。
のそりと顔を向けると、くすりと微笑む超絶美形な夫。
「……早起きですね……」
わたしの言葉に、ルキウスは満面の笑みを浮かべる。
「シアと一緒だと、ぐっすり眠れるし寝覚めもいいんだよな」
「……気のせいじゃないですか……?」
「そんなわけないだろ。今日もシアが俺の腕の中にいると思うと、安心するんだよ」
そう言って、ルキウスはふわりとわたしを抱きしめる。
あれから、ルキウスの溺愛攻撃はますますエスカレートし、ギア全開でどんどんヒートアップし続けている。言葉での愛情表現はもちろんだけど、身体的な接触も格段に増えた。手を握るとか髪の毛をいじるとか頬に触れるとか、すぐ腰の辺りに手を回し、引き寄せて、額やこめかみにキスをするとか。
そして、夜は必ず、わたしを抱きしめて眠る。そのほうが安眠できると、言い張る。
逆にわたしのほうは、気恥ずかしくて慣れなくて、おまけにドキドキするものだから、とてもじゃないけどすぐには眠れない。ちょっと寝不足ぎみなのを屋敷の使用人たちは完全に勘違いしているらしく、いつも生暖かい目で見られている。居たたまれない。
ちなみに、ルキウスはわたしのことをいまだに「シア」と呼んでいる。理由を聞いたら、「お前を『シア』と呼ぶのは俺だけだろう? なんだか俺だけのものって気がして、すごくいい」とご満悦な様子だった。
くろねこ亭に集まる人たちがわたしのことを「シア」と呼んでいた記憶は、どこへ行ったのか……?
そんな平和な日常を過ごしつつも、オディウムの王、つまりわたしにとっては生物学上の父親を迎える準備は、着々と進められていた。
ルキウスは、わたしを蔑ろにし、冷遇し続けた王の訪問を快く思っていない。というか、一ミリも歓迎していない。だから毎日、「まったく、何しにくるんだか」とか「面倒くせえ」とか「つまらんことを言いやがったら、即始末してやる」とか、ともすればかなり物騒な独り言を大声で言いながら荒ぶりまくっている。
わたしが母国でどんな扱いを受けてきたのかは、この国の国王夫妻と宰相補佐室の面々に限り、極秘情報として共有されることになった。国王夫妻は「友好国とはいえ、俄かには受け入れ難い」と不快感を露わにしたそうだし、子どもがうまれたばかりのラザロ様は「親としても人としても、考えられない」と心から嘆いていたらしい。
「王の訪問を拒むことはできないが、お前はもうこの国の人間だし、この国はお前の味方だ。オディウム側の思惑がどうあれ、俺がお前を守るから心配するな」
ルキウスは事あるごとにそんなことを言っては、わたしを不安にさせまいとする。
正直に言って、オディウムの王である父に対しては複雑な思いしかない。母様を見捨てたくせに、と責める気持ちが大きすぎて、会いたいなんて思ったこともない。だいたい、オディウムにいた頃は完全に放置されていたから、存在すら忘れかけていたくらいである。
父親と最後に会ったのはルキウスとの縁談が決まったと告げられたときだし、わたしが国を出るときもあの人は顔を見せなかった。
それくらいの、うすーい関係なのだ。
そんな人が、いったい何のために、わざわざこの国へ来ようとしているだろう?
わたしの様子が心配だから、なんて見えすいた嘘をついてまで、観光がしたいわけでもあるまいし。魂胆が全然見えない分、どこか不気味ですらある。
と思っていたら、わたしは彼らの意外な目論みを、またしても夢の中で知ることになる――――。
***
見覚えのある王城の一室で、床に手をつき倒れ込んでいるのは深紅のドレスを纏ったわたしだった。
痛そうに左頬を押さえているところを見ると、誰かにぶたれたらしい。
そんなわたしを居丈高に見下ろすのは、母国オディウムにいるはずの二人の姉、ドロテアとコルネリアである。異常にゴテゴテした煌びやかなドレスが、目に痛い。
左頬を押さえたままで鋭い視線を返すわたしに、ドロテアはすかさず口を開いた。
「なによ、その目は! 私たちの言うことが聞けないの!?」
「……聞けません」
「はあ? ちょっと見ない間に、ずいぶん生意気になったんじゃないの? フィニスに嫁いでちやほやされて、いい気になってんじゃないわよ!」
激昂するドロテアの隣で、コルネリアも腕組みをしながらうんうんと頷いている。
「いいから適当な理由をつけて、さっさと離縁しなさい! そしてこのままオディウムに帰るのよ! あんたみたいな禍々しい黒髪の不吉な魔女より、私たちのほうが余程ルキウス様に相応しいんだから!」
「……そんなことを言ったって、ルキウスの妻になれるのは一人だけですよ? どうするつもりなんですか?」
「馬鹿ねえ。私が正妻になって、コルネリアは愛人になるのよ」
「だって私、勉強とか事務仕事とか向いてないんだもの。だったら女主人の役割はドロテアに譲って、私はルキウス様をお慰めする立場に徹したほうが適材適所でしょう?」
そう言って、コルネリアは妖艶な笑みを見せる。
「ルキウス様だって、あんたより見目のいい私たちをきっと気に入ってくださると思うのよ。出来損ないのあんたより、正真正銘の王女である私たちのほうがルキウス様に愛される資格があるもの」
「だいたい、なんのためにお父様を説得してまでわざわざフィニスに来たと思っているのよ。あんたの代わりに私たちがルキウス様の寵愛を得るんだから、いい加減諦めて帰ってちょうだい」
「ルキウス様があんなにも見目麗しいお方だと知っていたら、最初から私が輿入れしていたのに。残虐非道とか血も涙もない冷酷な悪魔とか、恐ろしい噂しか教えてくれなかった商人たちが本当に恨めしいわ」
好き勝手なことを言い続ける姉たちに向かって、わたしは静かに言葉を返す。
「……ルキウスの妻は、わたしです。オディウムには帰りません」
その瞬間、姉二人の顔色がさっと変わった。
「……そう。じゃあ、仕方ないわねえ」
ドロテアは下卑た含み笑いをしながら窓際のほうまで移動すると、隣の部屋へと通じるドアをゆっくりと開けた。
姿を現したのは、見覚えのあるようなないような、やたらと体格のいい騎士風の男。
「聞き分けのない子には、お仕置きが必要よね」
「……なに言って――」
「あんたは今から、この男に凌辱されるのよ。そんなことになったら、さすがに、ねえ?」
嘲るように笑うドロテアに、コルネリアも「離縁は免れないわよねえ?」とくすくす笑う。
「や、やめて……」
わたしは顔面蒼白になって、立ち上がることもできずにじりじりと後退った。
ドロテアが目で合図をすると、男は無言でどんどんわたしに近づいていく。
そして壁際に追いやられたわたしを乱暴に押し倒したかと思うと、そのまま馬乗りになってドレスの裾に手を伸ばし――――
***
「い、いやああああ!!」
自分の叫び声で飛び起きたわたしは、今見た光景が夢か現か判然とせず、恐怖のあまり半ば放心状態だった。
「シ、シア! どうした!?」
わたしの声で目が覚めたらしいルキウスもがばりと起き上がり、後ろから心配そうにわたしの顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
「え? え、ええ……」
「どうした? 悪い夢でも見たのか?」
「夢……」
夢、だった。
夢だった、けど。
ただの夢ではない。あれは間違いなく、夢見の力で見た夢だ。近い将来、わたしの身に起こるであろう、最悪の危機――――
ひたひたと近づいてくる恐怖の足音に、わたしはなす術もなくただわなわなと震えていた。




