16 冷酷宰相の逆鱗
結局、わたしはそのままルキウスと一緒に、公爵邸へと帰ることになった。
三ヵ月ぶりに帰ってきたわたしを、使用人たちは一様に安堵した表情で出迎えてくれた。みんながみんな、口をそろえて「奥様がご無事で安心しました」とか「帰ってきてくださって、本当によかったです」とか言ってくれて、なんだかとても泣けてしまった。
すべてのしがらみから逃げ出したい、全部なかったことにしてしまいたい、と半ば自暴自棄になって出奔した三ヵ月前の自分が、いかに愚かで短絡的だったかということを改めて思い知らされる。本当に申し訳なかったと思う。
しばらくはみんなに迷惑をかけないよう大人しく過ごそうと思っていたのに、気づいたらなぜか一度も入ったことのない夫婦の寝室に放り込まれていたから驚いた。
「え、なんで……?」
「もう放してやらないと言っただろう?」
「……はい?」
「お前だって、逃げるつもりはないって言ったよな?」
何も不思議はないという顔をして、ルキウスはわたしの隣に座っている。
い、言いました。言いましたけれども。
で、でも、この展開は急すぎない……!?
「心配するな。お前が嫌がるようなことはしないから」
「……へ?」
「自分の意志で帰ると決めてくれたとはいえ、オディウムの王のことがなければどうなっていたかわからないしな。お前にまだそこまでの覚悟がないことはわかっているから、無理強いはしない」
ルキウスはそう言って、少し決まり悪げな顔をする。
「ただ、目を離した隙にまたお前がいなくなるんじゃないかと思うと、眠れない気がして……」
「あ……」
「だから、いつでも触れられる距離にいてほしいんだ」
ルキウスの左手が、遠慮がちにわたしの右手をそっと撫でる。
そう言われると、わたしも弱い。無茶苦茶なことをしでかしたという自覚はもちろんあるし、ルキウスには誰よりも迷惑をかけたんだもの。
逃げたわたしの身を案じ、公爵家の総力を挙げて根気強く捜索し、大ごとにならないよう密かに王家との調整を図りつつ、わたしを見つけてもなお無理やり連れ戻そうとはしなかったルキウス。
それは決して、わたしの『力』を欲するがゆえではなかった。ルキウスはただ純粋に、『わたし自身』を求めてくれていた。
その事実は確実に、そしてゆっくりと、わたしの心の中の何かを溶かしていく。
「そういえば、言ってなかったことがあるんだが」
急に何かを思い出したらしいルキウスは、澄ました顔でこう言った。
「マルゼラとラプトール侯爵家には、それ相応の制裁を加えておいたから」
「……はい?」
突然何を言い出すのだろうと思いながら端正な顔を見返すと、ルキウスはだいぶ不機嫌そうな声で話し出す。
「お前がいなくなった日の前日、マルゼラがここへ来ただろう?」
「は、はい」
「そのあとすぐにお前がいなくなったから、何人もの使用人たちがマルゼラのせいじゃないかと話してくれたんだ。あいつはこれまでも時々この屋敷に押しかけてきては、傍若無人に振る舞っていたらしくて」
「そうなのですか?」
「実は俺もよく知らなかったんだ。あいつのことは、気にも留めてなかったというか」
おっと。マルゼラ様が聞いたら、ぶっ飛びそうな一言である。
「あいつは父親であるラプトール侯爵の使いだとかなんとか言って、ここへもよく顔を出していたんだがな。そのとき使用人たちに対して、いずれ俺と婚約するとか将来の女主人だとか、根も葉もない作り話を言いふらしていたことも同時に報告が上がってきたんだ」
「わたしにも似たようなことを仰っていましたよ。学園時代からあなたと切磋琢磨し合ってきて、婚約も調う寸前だったとか」
「切磋琢磨? それは同等の実力を持つ者同士が競い合うように力を高めていくことだろう? 俺とあいつとでは、実力の差がありすぎるんだが」
おっと。またしても手厳しい。というか、とことん容赦がない。
「とにかく、その辺りのことも含めて話を聞くために、ラプトール侯爵家へ行ったんだ。あいつははじめ、『アリシア様にご挨拶したくてうかがっただけ』とかしらばっくれて、適当に話を誤魔化そうとした。でもそんなはずはない、と問い詰めたら、最後には何を話したのか全部白状したんだ」
ルキウスは涼しい顔で「問い詰めた」とか軽く言っているけど、なんとなく、その言葉の十倍はあこぎな攻め方をしたのではないかと思った。なんたって、冷酷宰相だもの。敵を追い詰めるのに、穏便な方法で済ますはずがない。
「言っておくが、あいつの話はほとんど嘘だからな。俺とあいつの間に、特別な関係なんてない。学園を卒業する間際にラプトール侯爵家から婚約の打診はあったが、当然すぐ断った」
「どうしてですか?」
「結婚なんて煩わしいと思っていた、と言っただろう? あいつはあからさまに言い寄ってきたりしなかったから、まだマシだと思っていただけだ」
「でもマルゼラ様は、虎視眈々と婚約者の座を狙っていたのでしょうね」
「そうなんだろうな。あいつも婚約者が決まっていなかったし、このままいけばなし崩し的に俺と婚約できると踏んだのかもしれないが」
それなのに、突然の王命によってルキウスの結婚が決まってしまった。
マルゼラ様にとっては、青天の霹靂だったに違いない。
「でもわたし、そもそもマルゼラ様の話はあまり真に受けていなかったのですが……」
「そうなのか?」
ちょっと想定外の言葉だったらしく、ルキウスは驚いたように目を見張る。
「『返してほしい』だのなんだのとふざけたことを言うあいつを、逆にうまいことやり込めて追い返したんだろう?」
「それはそうなんですけど、なんだかんだと好き勝手なことを言ってるなと思ったらついカーッとなってしまって、王命に異を唱えるのかとか国同士の関係がどうなってもいいのかとか、皮肉交じりに半分脅したようなものなんですけど……」
「いいじゃないか。俺はお前を見直したけどな。さすがはアリシア、一筋縄ではいかない女だってさ」
「……それ、褒めているのですか?」
「ベタ褒めだよ」
言いながら、ルキウスは愛おしそうな目をしてわたしを抱き寄せる。
「でもマルゼラが事実と異なる嘘偽りを並べて、俺たちの結婚に横槍を入れようとした事実は変わらない。おまけにあいつの作り話のせいで、お前は俺との結婚がますます嫌になってここから逃げ出したんだろう? だから俺は、即刻ラプトール侯爵家に正式な抗議文を送りつけ、王家にも詳細を報告したんだ」
「え?」
ちょっと待って。
それって……。
「ラプトール侯爵家が陛下の意向に異を唱え、あまつさえ俺たちの結婚に干渉しようとしたことは国益を損いかねない重大な背信行為だ。そう王家に報告して、お前の家出のことは伏せつつ侯爵家を派手に糾弾してやったんだよ」
「で、でも、そんなことをしたら、マルゼラ様だけではなくラプトール侯爵家も処罰の対象になりかねないのでは……?」
「マルゼラを止められなかった侯爵だって、同罪だよ。そもそも侯爵は、マルゼラをけしかけていたようなところがあったしな」
「え」
「ラプトール侯爵は指折りの有力貴族で陛下の信頼も厚かったのに、面目丸潰れだよ」
ルキウスはそう言って、ぞくりとするほど冷淡な笑みを浮かべる。
こ、これは、もしかして、冷酷宰相の逆鱗に触れたということなのでは……?
「結果として、侯爵は要職を外されたうえ陛下から謹慎を命じられている。陛下に楯突いた侯爵家の信用はガタ落ちだから、謹慎が解かれても貴族家として持ちこたえられるかどうかは疑問だな」
「マルゼラ様は……?」
「あいつは即行で戒律の厳しい西の修道院に送られたよ。もう戻ってくることはない」
平然と、事もなげに、あっさりと言い放つルキウス。
そして、唖然とするわたしの腰に巻きつけた腕の力を、少し強める。
「俺たちの結婚に口を出すなんて身の程知らずもいいところだが、俺が一番許せなかったのはマルゼラがお前を傷つけようとしたことだよ」
「わ、わたし……?」
「嘘と出鱈目でシアを惑わせ、傷つけようとした。しかもあいつ、夜会のときにもお前のことを何度なく睨みつけていただろう?」
「気づいていたのですか?」
「当然。どんな理由があるにせよ、お前を害そうとするやつなんてこの国には必要ないからな」
「そこまで……?」
「俺はもう、お前を傷つけないと誓ったんだ。この先お前を傷つけようとするやつは、夫であるこの俺が徹底的に痛めつけ、思い知らせて、始末してやる。当たり前のことだろう?」
いやいやいや。それは、当たり前のことなんですかね……?
なんて言えるはずもなく、わたしはルキウスの過激なまでに過剰な愛情を目の当たりにして、ははは、と笑うよりほかなかった。




