12 くろねこ亭の看板娘
「シアちゃん、これ四番テーブルに運んでくれる?」
「はーい」
厨房のおかみさんから渡された皿を受け取ると、今度は別の方向から名前を呼ばれる。
「シアちゃーん、注文いい?」
「はいはーい、今行きまーす」
にっこり微笑んだわたしに、また別の方向から「すっかり看板娘が板についてきたねえ、シアちゃん」と声がかかる。
ザヴィアン公爵邸から首尾よく出奔したわたしは、すぐにここ、王都の繁華街のはずれにある『くろねこ亭』という食堂にやってきた。
王都の街をあちこち探ってくれていたサラが見つけた、うってつけの潜伏先である。
『四十代くらいの女性が一人で切り盛りしている食堂なのですが、住み込みで働いていた若い女性が結婚して田舎に帰るとかで辞めてしまったばかりなんです。それで、代わりに働いてくれる人を探しているそうで』
逃げると決めたらまず必要になってくるのは、住む場所と働く場所である。
その両方を一度に確保できるなら、これほど都合のいいことはない。わたしはすぐさま駆け込んで、即日採用となり、こうしてなんとか働いている。しかも看板娘とか言われて、ちょっと調子に乗っている。
公爵邸から逃げると決めたとき、サラは真っ先に反対した。
『旦那様との喧嘩が原因なのでしたら、少し冷静になったほうがいいと思いますよ』
わたしの一番の味方を自負する侍女は、だからこそ手厳しいセリフを言うことも厭わない。
『喧嘩が原因じゃないわよ。そもそも喧嘩してないし』
『じゃあ、なんでですか? なんで今更逃げようなんて……』
『最初から、逃げるつもりだったでしょ。それが今だと判断しただけよ』
何をどう言ってもわたしの気持ちが揺るがないと気づいたサラは、「わかりました」とため息をついた。
『ただし、私は一緒に行きませんから』
『どうしてよ』
『公爵家の動向を探るためですよ。奥様がいなくなったら当然大騒ぎになりますし、公爵家は総力を挙げて大々的な一斉捜索を始めると思うんです』
『……そこまでするかしら』
『何を言ってるんですか? やるに決まってるでしょう?』
『誰が?』
『旦那様ですよ』
まあ、確かに。娶った元王女が行方をくらましたとなったら、一応探すかも。
それに、ルキウスはわたしに未来を予知する力があると気づいているから、何がなんでも探し出そうとするわよね、きっと。
『捜索の手がどこにどう伸びているのかを知るためにも、私はここに残ります。追手が迫っているとわかれば、すぐに伝えることができますから』
サラはそう言って、今も公爵邸に残っている。何も知らないふりをしながら、そして何か知っているのではと疑われないように、私の捜索活動にも積極的に参加しているらしい。
ちなみに、王都に留まろうと決めたのには理由があった。
わたしのような黒髪は、この国でもさほど多くはない。王都から遠く離れた田舎に逃げたほうが見つかりにくいだろうと思ったのだけど、この黒髪だと逆に目立ってしまうらしい。
だったら、まだ王都にいたほうが見つかりにくいと思ったのだ。この国は他国との交易が盛んなこともあり、いろんな国の人たちがやってくる。そのまま王都に住みつく人も、多いのだという。
そんなわけで、わたしは王都の街の『くろねこ亭』で、平民の『シア』としての暮らしを満喫している。
くろねこ亭を切り盛りしているのは、ヘレナさんという女性である。わたしを見るなり、「訳ありって顔をしてるね? そういうの、嫌いじゃないのよ」と言いながら、あまり多くを聞かずにすべてを受け入れてくれた豪胆な女性である。
平民としての生活は意外に快適で、王女として暮らしていた頃よりも、水が合うというかしっくりくるというか、まったくもって無理がない。オディウムの離宮で生活していたとき、いろんな経験を積んでおいてよかったと思う。
ルキウスもザヴィアン公爵家も、きっとこの国の王室だって、まさか他国から嫁いできた元王女が、平民に交じってなんの問題もなく暮らしているなんて思わないだろう。だからこのまま見つからずに済むのでは、という気がしている。
だって、わたしがくろねこ亭に来て、もう二ヵ月以上が経っているのだ。
その間、サラは定期的にくろねこ亭を訪れては、捜索の進捗状況を報告していった。
『奥様がいなくなったとわかって、公爵家は上を下への大騒ぎになりましたよ。もちろん、私は何か知ってるんじゃないかと疑われて、何度も繰り返し旦那様の尋問を受けました。めっちゃ怖かったですよ。殺されるかと思いましたし、実際一回死んだような気がします』
『はじめの頃は、出奔なのか連れ去りなのかがわからなくて、両方の可能性を踏まえた捜索活動が続けられたんです。でも連れ去りなら、身代金を要求されるとか、犯人側から何らかのアプローチがあるのでは? という話になって、だったら出奔の可能性が高いだろうという結論になったんですよ。奥様が自分の意志で出て行ったと知って、旦那様は一週間くらい食事を召し上がっていませんでしたし、今もほとんど寝ていないと思いますよ』
『奥様が地方へ行ったと見せかけるために、一度辻馬車に乗って王都から出たあと、すぐに戻ってきたじゃないですか? あの偽装工作に捜索隊がまんまと引っかかったときには、ちょっと笑ってしまいました。今も地方捜索隊と王都捜索隊の二手に分かれて捜索が続けられていて、旦那様が捜索の手を緩める気はなさそうです』
『ここまで大々的に探しても見つからないなら、もはや生きてらっしゃらないのでは、なんて声もちらほら聞こえています。でも旦那様はそんな声にもまったく耳を貸さず、諦めようとはしないのです』
聞けば聞くほど、ルキウスのすさまじいまでの執念を感じてしまう。
そこまでして、わたしの『力』が欲しいのだろうか。そう思うと、胸の辺りがまたじくじくと痛む。
「シアちゃん、お客さんだよ」
店先にいたヘレナさんに声をかけられ、振り返るとそこには見知った笑顔があった。
「あ、ヨセフ……」
「シア、今休憩中だろう? ちょっといい?」
それは、通りを挟んで斜め向かいにある花屋の息子、ヨセフだった。
「この前、シアが王立公園に行ったことないって言ってたからさ。近いうち、連れてってあげようと思って」
「え……?」
「いつがいい?」
笑顔はにこやかだけど、妙に圧がある。
返事に困ってヘレナさんのほうに目を向けると、無表情のまま首を縦に振ったり横に振ったりしている。え、それ、どういうリアクションなの?
「シアの都合に合わせるからさ」
「……と言われましても……」
そもそもわたし、王立公園に行ったことがないと言っただけで、行きたいわけではないのよ。
ヨセフはもともとくろねこ亭の常連だったらしく、わたしがここに来てからしょっちゅう顔を合わせるようになった。
王都の街に不慣れなわたしを気遣って、あそこへ行こう、ここもいいよ、などとあちこち誘ってくれるのだけど、ちょっと強引というか圧が強いというかしつこいというか、まあ、そんな感じの人なのだ。
しかも、うっすらと、そこはとなく、好意のようなものを向けられていて、これが俗にいう『言い寄られる』ということなのだろうか、などと思ってしまう。
サラに話したら、「一応、まだ人妻だということは忘れないでくださいね」なんて言われてしまったけど。あと、「旦那様に知られたら、その男確実に殺されますよ」とも言っていた。そんな馬鹿な。
「俺のほうはいつでもいいよ。シアの休みの日に合わせてもいいし。あれ、ここって定休日あったっけ?」
いつでもいいとか都合に合わせるとか言いつつ、そもそも行くかどうかの意思確認はしないヨセフをぼんやりと眺めながら、いつだったか「王都の街に行くなら俺が案内するけど」と言ったルキウスを思い出す。
そして、なぜだかとても、切なくなってしまう。
……もう、会うことはないのに。
ヨセフの誘いをどう断ろうかと思案するわたしの前に、そのとき突然飛び込んできたのは――――
ずっと会いたくて、もう会いたくなかった人だった。
「……やっと、見つけた」




