11 逃亡
――――ルキウスに、気づかれてしまった。
その事実は、わたしの心に重くのしかかっていた。
ラザロ様の一件とバーラエナに関する端的なやり取りだけで、今まで誰も気づかなかった未来を予知する力の存在を見抜いてしまう洞察力と分析力には、もはやぐうの音も出ない。さすがは『稀代の天才』、本当に恐れ入ったとしか言いようがない。
でも、知られてはいけないことを知られてしまった。
しかも、この国の宰相に、だ。
未来を予知する力があるのなら、宰相として何がなんでも手に入れたいと思うだろう。言うまでもなく、国の舵取りを有利に進めることができるからだ。
力の存在をどれだけ強く否定したところで、あのルキウスが信じるはずはない。
しかも、力の存在を否定したいがために、わたしは心にもないことを言ってしまった。初対面の日のルキウスの言葉を責めるだけでなく、「そんな不思議な力があったのだとしたら、この結婚を回避していた」だなんて。
本当は、全部知っていたくせに。
冷酷宰相としてのルキウスがどんな人物なのかも、興味すら持たれず冷遇されることも、予め全部知っていながら、いや、知っていたからこそ、嬉々として嫁いできたくせに。
――――すべてのしがらみから逃げ出せると、期待して。
あのとき、なぜルキウスがあんなにも血の気の引いた顔をしていたのか、わたしにはわからない。
でも「本当のことを言ってくれ」と懇願するほど、わたしの『力』が欲しいのだと気づいて居たたまれなくなった。
ルキウスが欲しているのは『わたし』ではなく、わたしの『力』だ。宰相として、わたしの力を利用したいのだ。
そう思えば思うほど、わたしの胸はなぜかぎゅう、と締めつけられる。その痛みの理由に気づけないほど、わたしはどうしようもなく追い詰められていた。
翌日。
ルキウスとわたしの間には、とても気まずくぎこちない空気が漂っていた。
「アリシア……」
「なんでしょう?」
ルキウスは何か言いかけて、「……いや、なんでもない」と項垂れることを何度か繰り返した。
屋敷の使用人たちは、ルキウスが何かやらかしたと思っているらしい。みんながみんな、「うちのぼんくら旦那がすみません」的な顔をしている。
「喧嘩でもしたのですか?」
いつでもどこでもド直球を投げてくるサラに、わたしは首を振った。
「喧嘩じゃないけど」
「いや、どう見ても喧嘩ですよね?」
「別に、怒っているわけじゃないし……」
「じゃあ、どうしたのですか?」
「……どうしたものかと悩んでいるだけよ」
「旦那様のことで、ですか?」
「そうともいえるし、そうじゃないともいえるし」
珍しく煮え切らない態度だな、とでも思っているのだろう。サラは鬱々とした空気を薙ぎ払うように、あっけらかんと言い放つ。
「どちらにしても、拗れる前に仲直りしたほうがいいと思いますよ?」
「……だから喧嘩じゃないってば」
そして、その日の午後のことだった。
「奥様。ラプトール侯爵令嬢が、奥様にお会いしたいとお見えになっているのですが」
家令が告げる急な来訪に、一瞬「誰だっけ?」と訝しむ。
……あ、思い出した。夜会で会った、マルゼラ・ラプトール侯爵令嬢だ。
でも思い出すと同時に、あのときのわかりやすい敵意までもが頭をよぎって一気にげんなりしてしまった。
……なんかもう、確実に、嫌な予感しかしないんですけど……!
よりによって、なんでこんなときにと忌々しく思いながらも、わたしは仕方なく応接室へと向かう。
扉を開けるとやっぱり思った通りの人物がいて、ため息を飲み込んだ。
「ようこそいらっしゃいました、マルゼラ様」
本当は全然歓迎していないし、むしろ先触れくらい出せよ、なんて心の中では毒づいているのだけど、当然そんなものはおくびにも出さない。
「今日はどういったご用件でしょう?」
得意の『必殺 王族仕様スマイル』を繰り出すと、マルゼラ様は手にしていたティーカップを音もなくソーサーの上に置いた。
「実は、アリシア様にお願いがあって参りました」
マルゼラ様は思わせぶりな仕草で一瞬だけ視線を下に向けたかと思うと、不意に不敵な顔つきになる。
「ルキウス様を返していただきたいのです」
……うわ、出た……!
この人もド直球投げてくるタイプの人だった……!!
ただ、あまりにもド直球すぎて、なんだかちょっと笑ってしまう。
「……それは、どういう意味でしょうか?」
緩みそうになる頬を押さえてそう言うと、マルゼラ様は余裕ぶった表情ですかさず答える。
「そのままの意味ですわ。ルキウス様を私に返していただきたくて」
「『返す』ということは、ルキウスとあなたとの間には、何か特別な関係があったということですか?」
「もちろんです。先日の夜会の際にもルキウス様がお話しされていた通り、私たちは学園時代から交流がありました。アリシア様との縁談が決まらなければ、私がルキウス様と婚約する予定だったのですよ」
少し勝ち誇ったようにも見えるその表情に、残念ながらわたしの心はまったく動かない。
「そのようなお話、ルキウスからもザヴィアン公爵家からもうかがってはおりませんが」
「ええ。だって、内々に進められていた話でしたから。でもようやく婚約が調うという段になって、陛下がルキウス様とアリシア様との婚姻を一方的にお決めになってしまわれたのです」
まるで悲劇のヒロインを演じるかのように、マルゼラ様が唐突に声を震わせる。
「私たちは学園時代から友情を育み、ともに切磋琢磨し合ってまいりました。私はルキウス様の隣に立つべく努力し続けてきましたし、ルキウス様もそれを認めてくれていたと自負しております。ですからどうか、ルキウス様を私に返していただきたく――」
「返すも何も、そもそもルキウスはわたくしのものではないのですけれど」
こらえきれなくなって思わず言い返すと、マルゼラ様は瞬時に怪訝な顔をする。
「で、でもアリシア様は、ルキウス様と結婚されて――」
「確かに結婚はしています。ということは、あれですか? 『返す』というのは、わたくしたちの婚姻関係を解消しろという意味でしょうか?」
「そ、それは……」
「ご存じの通り、わたくしたちの婚姻は国同士の思惑が絡んだ政略結婚。いわば王命ともいえるものですが、あなたはそうした陛下のご意向に異を唱え、国同士の関係に亀裂が入ることも厭わないと仰るのですね?」
「え? そ、そういうわけでは……!」
「でも、あなたとルキウスは愛し合っておられたのでしょう? わたくしも愛し合う二人の仲を引き裂くつもりはありませんもの。あなた方の事情はわたくしのほうからこの国の国王陛下にお伝えしておきますし、そのうえであなただけでなくルキウス自身も婚姻の解消を望んでいると進言しておきますので、ご安心を」
「そ、そんなことをされたら、困ります!」
「あら、どうして?」
わたしの問いと真っすぐな視線に、マルゼラ様はわかりやすく狼狽える。
「では、何をどうすればルキウスをあなたに『返す』ことになるのか、具体的に教えていただけますか?」
抑揚のない調子でそう言うと、マルゼラ様は「それは、その……」だの「いや、だって……」だのと言い淀み、結局はっきりとしたことは何も答えられずにそのままそそくさと帰っていった。
◇・◇・◇
「あー、めんどくさ」
マルゼラ様が帰ったあと、わたしは自室のベッドにダイブして、天井を見ながらつぶやいた。
彼女の話が、どこまで本当なのかはわからない。
夜会での様子を見る限り、二人の間に縁談話があったなんてちょっと半信半疑である。はっきり言って、マルゼラ様と話しているときのルキウスは面倒くさそうだったし。演技しているようにも見えなかったし。
だから婚約の話は、ラプトール侯爵家が一方的にアプローチしていただけという気がする。
『返してください』うんぬんの話は時々聞くけど、まさか自分が当事者になるとは夢にも思わなかった。マルゼラ様はわたしが身を引くことを期待していたのかもしれないけど、ついカーッとなって王命がどうとか国同士の関係がどうとか、派手にやり返してしまった。
偉そうなことを散々言っていたくせに、その王命を最初から軽んじて逃げ出そうと画策していたのは、自分である。
矛盾だらけで無責任な自分に嫌気が差してしまって、わたしはもう一度つぶやいた。
「あー、めんどくさ」
なんだか、疲れた。
すべてが鬱陶しい。
全部煩わしい。
もう、何も考えたくない。
何もかも、投げ出してしまいたい。
わたしのことなんか、放っておいてほしいのに。
夢見の力のことも、ルキウスに気づかれてしまったことも、ルキウスがその力を利用しようとしていることも、マルゼラ様のことも、オディウムのことも、誰にも求められない自分自身も。
全部なかったことにしてしまいたい。
すべてのしがらみを断ち切って、ここから逃げ出してしまえたら――――
がばりと起き上がったわたしは、すでに覚悟を決めていた。




