10 冷酷宰相の手腕
バーラエナの夢を見てから、わたしは連日図書室に通いつめては、何か妙案がないかと考えていた。
バーラエナ以外の近隣諸国について調べてみたり、バーラエナとフィニスの国力の差を比較してみたり、もしも戦争になった場合のことを考えて国境付近の地形について確認してみたり。暇さえあれば、図書室に行って何かしら調べているという日々が続いた。
サラも使用人たちも、ルキウスの妻としてわたしが自発的に近隣諸国に関する知識を深めている、と思っているらしい。
完全に間違っているけど、それをいちいち指摘する気にもならない。だって、戦争が起こるかもしれないのだ。今こうしている間にも、バーラエナ国王の崩御が報じられるのではないかと思うと、全然気持ちが休まらない。
ルキウスは迫りくる危機になど気づく様子もなく、いつも通りの多忙な毎日を送っていた。最近は夕食時に帰ってきても、またすぐに王城へととんぼ返りする生活が続いている。
「そんなに忙しいなら、わざわざ戻ってこなくても……」
「ちょっとでもお前の顔を見たいんだよ。悪いか?」
心にもないことを、と思いつつ何も言い返さないのは、サラを含めた使用人たちが満足げに頷いているからである。微笑ましい、とでも思っているのだろう。違うのに。
そうして、あの夢からちょうど二週間が経った頃だった。
夕食が終わってもルキウスは王城に帰ろうとはせず、代わりにわたしを執務室へと呼び出した。
そしていつものようにわたしの隣に座ると、とても真面目な顔をしてこう言ったのだ。
「バーラエナの国王が崩御された」
「……え……? い、いつ……?」
「一週間前だ」
「一週間前? だ、だったら――!」
「大丈夫だ。戦争は起こらない」
「……え?」
ルキウスの言葉に、耳を疑う。
何もかも知っていると言わんばかりのルキウスの表情には、なぜかうっすらと悲壮感めいたものが見え隠れする。
「お前とバーラエナの話をしてすぐに、バーラエナ国内に忍び込ませている諜報員たちを使っていろいろと探らせていたんだ。そうこうしているうちに、国王が崩御された。王太子グレゴリウスは自ら即位を宣言し、その場でフィニスへの侵攻をも決定した。でも、その二日後には宰相をはじめとする有力貴族たちのクーデターによって王位から引きずり降ろされ、そのまま幽閉されたんだ。代わりに、まだ幼い第二王子の即位が決まった。宰相を後見人としてな」
「そ、それじゃあ……」
「お前が心配していた戦争は起こらない。フィニスとバーラエナの友好関係は維持され、大陸の平和も当面守られる」
……よかった。よかった、けど。
流れるようなルキウスの説明に、ふと違和感を覚える。
『お前が心配していた戦争』って、どういう意味?
まるでわたしがバーラエナとの間に戦争が起きることを知っていて、ルキウス自身もそのことに気づいていたみたいな言い方じゃない……?
……どういうこと……?
俄かには信じ難い状況に頭が真っ白になったわたしは、黙ってルキウスを見返すことしかできない。
ルキウスは、小さくため息をついた。
「やっぱりお前、知っていたんだろう?」
「え……? 何を……?」
「バーラエナの国王が亡くなることだよ。それによって王太子が暴走し、フィニスへの侵攻を決めることもだ」
「そ、そんなわけ――」
「あの日、お前がいきなりバーラエナについて調べ始めたから、おかしいと思ったんだ。しかも、もし対立したらとか戦争が起こるかもとか言うから、何かあるんじゃないかと思った。だからすぐにバーラエナの諜報員たちに王室の動向を探らせたんだ。王の崩御は心臓発作が原因で、誰も予想はできなかったらしい。諜報員たちはすぐさま混乱する国の上層部に接触し、王太子が即位後フィニスへの侵攻を決めたらどうするつもりかと尋ねた。上層部はそんなことあるわけない、と高を括っていたそうだが、ほとんどが先王の平和主義を支持していたからな。フィニスと戦争する気はないと答えたそうだ。でも、王太子は予想に反して戦争開始を宣言した。上層部の連中は王太子に反旗を翻し、俺たちと諜報員の協力を得て、無事にクーデターを完遂させたんだ」
「……ということは……」
「バーラエナのクーデターには、フィニスが一枚噛んでいる。しかも、クーデターの成功はフィニス側の協力なくしてはあり得なかった。バーラエナは、フィニスに借りができたってわけだ」
想定外すぎる怒涛の展開に、わたしは言葉を失ってしまう。
つまり、ルキウスはこの二週間の間に、バーラエナの王室を探らせ、国王崩御のタイミングで国の上層部に接触し、他国への侵略を推し進めようとしていた新王を排する動きに加担して、戦争を回避したってこと……?
ちょっと、恐ろしく有能すぎない?
『稀代の天才』とか卓越した策略家とか言われていたけど、これほどとは……!
さすがは冷酷宰相、と感嘆しきりのわたしを前に、当の本人はいつものような自慢げな様子を見せず、むしろなんともいえない複雑な表情をしている。
「ルキウス……?」
「お前、本当は、予め全部知っていたんだろう? なんで言ってくれなかったんだよ」
「……え?」
「ラザロのときだってそうだ。お前は予め、デキムス元侯爵が国庫を横領していたことも、その秘密に気づいたラザロを毒殺しようとしていたことも知っていた。だからそれを防ぐために、あんな茶番を演じたんだろう? お前には、未来の出来事を事前に知る予知能力があるんじゃないか?」
ズバリ言い当てられ、わたしはひゅっと、息を呑んだ。
声も出せないわたしを、ルキウスはじっと見つめている。
わたしは混乱する自分の思考を整えるようにゆっくりと深呼吸をして、嘘くさい笑みを貼り付けた。
「そんなおとぎ話みたいこと、あるわけないでしょう?」
その言葉に、ルキウスははっきりと顔を歪めた。どこか苦しそうにも、泣きそうにも見える。
「この前も言ったけれど、わたしは何も知らないし、そんな不思議な力だってあるわけないじゃないの。全部あなたの想像、単なるこじつけに過ぎないと思うけど」
「アリシア、本当のことを言ってくれよ。俺はお前の口から、本当のことを聞きたいんだよ」
「あら、わたしはいつも本当のことしか言っていないわよ」
「アリシア……!」
「だって、もしもわたしにそんな不思議な力があったのだとしたら、あなたとの結婚も回避できたはずだもの」
「え……」
ルキウスの顔が、一気に色を失う。
わたしはそんなルキウスの顔を見ないようにして、ただ淡々と言葉を続ける。
「あの初対面の日に、あなたは『正直言って結婚どころじゃない』とか、『この結婚は本意ではない』とか言っていたじゃないの。そんな人のところに、喜んで嫁いでくる人なんかいると思う?」
「それは……」
「結婚は、女にとってその後の人生を決める大事な選択なのよ? いくら王族で、政略的な婚姻を強いられる運命だとしても、冷遇される未来を予め知っていたなら絶対に回避する方法を探すはずよ」
そう言ったわたしに、ルキウスは「いや、違うんだ」とか「でも今は」とか必死になって何か言葉を返そうとする。
わたしはそんなルキウスにお構いなしで、すっくと立ち上がった。
「もう失礼してもいいかしら?」
さっさと部屋を出るわたしを、ルキウスは引き止めることができなかった。




