九話:人は異端を攻撃する本能を持つ
『異端は怖い』
肌の色が違うのは怖いんだ。
同じ肌の色でも違う国籍が怖いんだ。
同じ国でも他県が怖い。
同じ県でも他所の区域が怖い。
昨今流行っているビジネス系YouTubeでもこの理論は根強い。
身内で固まらずコンフォートゾーンを、もとい習慣から飛び出せと。
それは一理あるどころか根幹として正しい。
進化や学びの足を止めれば生物は衰退する。
だけど、その弱さは我々集団で生きる全ての生物に刻まれた本能だ。
なんならそれに抗い、巨万の富を築いた者でさえ、生存者バイアスかもしれないとひねくれた見方も成立する。
飛び出せるのは、強者のみ。
『弱者を切り捨てなければ分前が減る』
働かないで飯を食う個体が居れば、全体の分前が減る。
この国もそうだが、右傾化している。
弱者を切り捨てろと。
その弱者切り捨てもマザー・テレサ理論から。
即ち、外国人からだ。
――余裕がないんだ。
仮に皆が皆、年収1億円あり愛すべきパートナーが居て称賛されるステータスを保持している場合、
弱者切り捨ての声は限りなく0に近づく。
反して、皆が年収150万円になり外国人に生活保護費300万をとなれば、発狂する声は100に近づく。
これは"べき論"の道理の話ではなく、相場の話だ。
この話をわざわざ入れたのは、妖怪君の話とは異なるからだ。
Q.仲間を作るにはどうする?
A.――敵を作ればいい。
実にシンプル。
もう一つ要素を足せば『自分は正義』であり『相手は悪』というのも絶対要素だ。
であれば、被害者ポジションを制す椅子取りゲームは絶対条件。
そして悪を一番に叩いては……いけない。
「え、こいつ正当性がなくいきなり殴ってひどくね?」
とハシゴを外されれば自分が切り捨てられる弱者に陥ってしまう。
卑怯者の妖怪は、場を作るんだ。
土台をしっかり固め、間違いないとガチガチになったところで叩く。
もしくは自分の手が汚れぬよう誰かに叩かさせる。
あるいは一発殴らせ「こいつ殴った!!!」と周囲にアピールして輪から追い出す。
思い返すと……懐かしい、
という感情が浮かんでくるのは我ながら面白いな。
ずーーーーっと吊し上げられた人生をボクは歩んできた。
幼少期は転校生だった。
なんで転校生が吊し上げられるのか、当時はわからなかった。
部活動では一番上手かった。
一年からバスケ部のレギュラーだった。生意気だった。
専門学校は一番の劣等だった。
デザインを始めた初年度。初めて絵を描いたボクは劣等だった。
大人になると縦社会がわからなかった。
先輩後輩、はいはいはい……色々な場で色々吊るされたか。
ああ、違う違う。そうじゃない。
ボク、可哀想でしょ……っていう被害者椅子取りゲームに参加したんじゃない。
"オレ"は道理を無視した数の卑怯者共を蹴散らしてきた自負がある。
「普通じゃない」
「お前はおかしい」
「言うことを聞け」
――有象無象のバカどもが。
オレは勝利者で、加害者の自慢だ。
てめえらみたいな卑怯者共が、
オレに舐めた口利いて許されると思うなよ。




