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恋慕う先輩と帰宅困難者になったなら

作者: 山本 歩乃理

 生まれて25年というもの、この国の高速鉄道を疑うことはなかった。

 定刻通り運行するのだと信じてきた。


 まあ、子どもの頃はただ単によく分かっていなかったというだけだから、25年というのはさすがに言い過ぎだけれど、たぶん高校生くらいからはずっと。


 自分の予約席を見つけ、バッグを荷物棚に上げている間に、新幹線は静かに進み始める。


「……駅を時刻通りに出発いたしました」


 特急列車から乗り換えて、ようやくほっとひと息ついた。

 よかった、無事に帰れそう。


 予報では、『今夜から明け方にかけて、本州の天気は大荒れ』だそうだ。

 確かに、新幹線に乗る前にホームから見上げた雲は、猛スピードで空を流れていた。

 それと、これから雷と大雨を落としまくってやるぜ! という意気込みを感じさせる真っ黒い色をしていた。


 空の便で出張を予定していた同僚は、帰ってこられない可能性があるから、とリスケを余儀なくされた。

 その一方で、陸路の出張組は大丈夫だろう、という判断が下った。

 だから大崎主任と私も、本日予定通りに日帰り出張に出たのだった。


 私は総合機械メーカーに勤めていて、今日は部品メーカーさんと契約前の重要な打合せがあった。

 ついでに製造ラインの見学も。

 小さなペンディング事項はいくつか残ってしまったものの、大筋で合意できた。


 そして今は帰路の途中。


 主任も同じ新幹線だけれど、席は離れて取った。

 よほど仲のいい社員同士でない限り、並んで取ることはない。


 ──美村は何号車だ? じゃあ、ここで。お疲れ様。


 主任はホームで私にそう言うと、お弁当と500mlの缶ビールの入った袋を下げて、ちょっとうれしそうに自分の乗車口へと行ってしまった。

 出張の帰りには金曜なら500ml、それ以外の日なら350mlの缶ビールを1本と決めているそうだ。


 お疲れなのは主任のほうなのになあ。


 私は勉強のために連れてきてもらっただけ。

 主任ばかりが先方と喋った。


 少々無理なお願いしないといけなかった今日の打合せ。

 特に納期について。

 それでも『何とかしましょう』と言ってもらえたのは、主任だったからだ。

 人と人同士の付き合いを大事にして築いてきた関係があるからこそ。


 でもそれを主任に言えば、『美村はこれからだっての』と笑い飛ばすに違いない。

 その背中を見ながら、遠いなあ、と思う。

 仕事の面でも、そしてあっちの面でも……


 主任の隣に座れるなら、私だって缶ビールを買うのに。

 それで、乾杯しちゃうのだ。


 あれこれ話をしているうちに、きっと降車駅にはあっという間に着いてしまうだろう。

 お互いまだまだ話し足りなくて、主任は私に言ってくれる。

 『このあと──


 なーんてことを夢見ながら、知らない人たちに囲まれた席で、なるべく音を立てないように、ボソボソとお弁当を食べ始めた。


 窓側の席。

 音はしないものの、雷がバチバチッと落ちるのが、さっきからよく見える。

 雨も降り始めた。


 外はすごい風なんだろうな。

 木々の枝の曲がり具合から、何となく想像できる。


 家の周辺はどうなのかな?

 コンパクト、かつ軽量な折り畳み傘しか持っていない。

 いつもなら気に入っているポイントのはずが、今日は不安材料にしかならない。


 そこへ定型文ではないアナウンスが入る。


「雨、風ともに強まってきました。安全のために、これより速度を落として運行いたします。各駅到着時間が遅れますことをお詫び申し上げます」


 ええっ⁉︎


 私にとっては、はじめてのことだ。

 途端に怖くなる。


 出張の日当が出るのだから、と奮発して購入した松花堂弁当を堪能するどころではない。

 いや、徐行運転するなら、車内で過ごす時間が増えるのだから、むしろゆっくり味わうべきだったのかも……

 しかし、気持ちがそわそわしてしまい、残りを急いで食べ切ってしまった。


 空き箱を捨てにデッキに出たときだった。

 またアナウンスが入った。

 これから風雨がますます強くなることが予想されるため、停車予定でなかった駅に急遽停まってやり過ごすという。


『停車時間は40分ほどを見こんでいます』


 マジですか。

 これって、災害といってもいいレベルなんじゃ……


 客室に戻ってみると、乗客は一斉にスマホを操作し始めていた。

 席に腰を下ろすと同時に、私もスマホを取り出した。

 誰かにこの緊急事態について話したい。


 誰に?


 候補は何人も思いついたけれど、真っ先に頭に浮かんだのはあの人だった──


 とそのとき、メッセージが届いた。


『びっくりだな』


 それだけで不安が消える。


『本当ですよ!』

『終電は大丈夫か?』

『大丈夫じゃないです‼︎』

『だよなあ。まいった』


 不謹慎極まりないけれど、一緒に災害に巻き込まれたお陰で、高崎主任とやり取りができてうれしい。

 けれど、もどかしくもある。

 主任のいる車両まで会いにいきたかった。


◻︎


 新幹線は結局、予定より10分オーバーの50分停車したのち、再び走り始めた。


 家までどうやって帰ろう……


 在来線で行けるところまで行って、そこからタクシー?

 それとも、新幹線を降りた駅周辺でビジホを探す?


 降車駅が近づいた頃アナウンスが聞こえてきた。


「在来線の各線で臨時列車を運行します……」


 背筋をシャキーン! と伸ばし耳を研ぎすませた。

 ⚪︎⚪︎線の△△行き列車は何時何分発、と次々に伝えられる。


 やった、私の家の方面も臨時列車が出る!

 でも、惜しい‼︎

 最寄り駅の3つ前止まり……


 しかし、飲み屋が多く、特に金曜は深夜でもタクシーを拾いやすい駅だ。

 それと、そこからなら家までの運賃もたいしたことはない。


 冷静になって考えれば、もう家に帰れることが確定したようなもの。

 ひと安心だ。


 ところが、また高崎主任からメッセージが来た。


『ホームの降りたところで待っていろ』


 今日の打合せ資料か何か渡されるんだろうか。


『了解です』


 新幹線から降りると、横殴りの雨が降っていた。

 そこで、ホームの内側に入って待っていると、じきに主任が駆け足でやってきた。


「臨時列車に乗っても、家までは帰れないよな?」

「はい。でも、」

「俺の家までなら電車がある。美村も俺の家に来い。今日はビールを飲んでしまったから、明日の朝、車で送ってやる」


 『そんな、悪いですよ』と口では言いながら、タクシーで帰る予定をぶん投げて成層圏外まで放った。


「主任、車もってるんですね」

「車の運転が唯一の趣味」

「へえ、いいですね」


 助手席に座りたい!


「って、今はどうでもいい! そんなことより臨時列車に遅れる。ほら、急ぐぞ!」


 早足で行く高崎主任の背中を追いかけ、追いつくと同時に在来線の車両に乗りこんだ。


◻︎


 ここが高崎主任の暮らす町かあ。

 見慣れなくて、ドキドキする。


「腹へったなあ。それと今日は疲れたから、もう1杯飲みたい。コンビニに寄ってもいいか?」

「はい、私も歯ブラシとか買いたいです」


 高崎主任が商品のほとんどないお弁当売り場へ向かっている間に、私は歯ブラシを探しに行った。


 メイク落としも買おうかな……


 主任にすっぴんを披露することに、一瞬だけ抵抗を感じた。

 けれど、もはや化粧は崩れまくって、おでこと鼻は脂でテカテカなのだ。

 現状より、清潔なすっぴんのほうがいくらかマシだと思われる。

 お泊まりスキンケアセットもカゴに追加した。


 続いて、アルコールとおつまみのコーナーへと移動した。


「美村! この時間にワイン、それもフルボトルってどういうつもりだよ?」

「私の分はハーフだけですよ」

「まさかと思うが、俺を頭数に入れてるのかよ!」

「チーズクラッカーとピスタチオ以外にほしいものありませんか?」

「いや、十分。言っておくけど、うちにはワイングラスなんてないからな」


 主任は苦笑いしながら缶ビールを戻し、お弁当の代わりに選んだはずのカップラーメンを冷凍スパゲティに変更すると、無造作に私のカゴへ入れた。


 そうして、私からカゴをひったくってレジに直行する。


「へへっ、ありがとうございます」

「どういたしまして」


◻︎


 靴を脱いで廊下に上がるなり、高崎主任が前方右手を指さした。


「部屋を片付けたいから、その間にシャワー使って」


 えーっ、片付ける前の素の生活を見たいのに。


 真正面にあるドアの先がリビングになっているのだろう。

 目を凝らしても、すりガラスを透視することはできなかった。


「その前に着替えとタオルが要るな……待ってろ」


 ひゃあ!

 この流れは、憧れの彼シャツ⁉︎

 ……っと、“彼”ではないや。

 でも、先輩シャツ、もしくは主任シャツ!


 心躍らせた私が手渡されたのは、首の詰まった青のTシャツに黒のハーフパンツだった。

 と、それから布ベルト。


「ハーパンは腰の紐を縛っても緩いだろ。上からこれで押さえとけ」


 お、おうっ、何とも色気のなさそうな……

 主任をドキッとさせられる開襟シャツがいいのになあ。

 あっ、やっぱりそれは大胆で恥ずかしいから、パーカーのほうがいいかも⁇

 とにかく、これじゃないことだけは確かなんだけど……


「その顔は禁止!」

「へっ?」


 どの顔?


 自分の顔をペタペタ触る。


「ああ、もういい。シャワー行ってこい! トイレは隣な」


 主任はさっさと正面のドアの向こうに行ってしまった。

 突っ立っていても仕方ない。

 観念して、色気皆無の先輩シャツ姿になることにした。


 こうなったら、せめて主任が片付け終える前にリビングへ乗りこみたい!


 使い慣れないバスルームにも拘らず、迅速に洗いきり、高速で体を拭いて先輩シャツを着た。


 くー!


 色気はなくとも、先輩シャツに変わりはない。

 着てみると、途端にうれしさがこみ上げてきた。


 しかし、浸っている場合ではない。

 急がねば。

 どうにか興奮を抑えて、音を立てずに廊下を歩き、バッとドアを開ける──


「さっぱりしたか?」


 主任は、少しも狼狽えていなかったし、驚いてもいなかった。

 ワインとおつまみをテーブルの上に出しているところだった。


 奇襲は不発に終わってしまった。

 ガッカリだ。


 でも、会社の机を思い出せば簡単に分かることだったじゃない。

 片付けるものなんて、最初からほとんどなかったに違いなかった。


「俺もシャワー浴びてくる。先に飲んで、何なら寝てくれててもいいから」


 テーブルの上には、さっきコンビニで買った物のほかに、グラスが2つ出ていた。


 主任は壁にベタ付けしていたソファを前方に移動させ、背もたれ部分を倒した。


「美村はここで寝てくれ」

「……ソファベッドをお持ちとは」


 期待をしているつもりはなかった。

 しかし、ほんのちょっとだけ夢みてしまっていたらしい。

 添い寝できるかも、と。


 そんなあっさりと現実を知らせてくれなくたっていいじゃない……


「その顔はするなって言っただろ」


 だから、その顔ってどんな顔⁉︎


 けれど、主任は言い捨てだけして、シャワーを浴びにいってしまった。


 テーブルの上に視線を移す。


 せっかくグラスが2つあるのに、先にひとりで飲むなんて、ありえないでしょ。

 何して待っていようか。


 リビング中をじっくり見て回りたかったけれど、後ろめたい行為な気もする。

 そこで、目を閉じ、修行僧のようにじっとしていることにした。

 静かに息を吸って吐いて──


 視覚情報を遮断したお陰で、頭の中がクリアになっていく。


 普通じゃないトラブルに、思いがけないラッキー。

 そのせいで、この先は奇跡だって起こるんじゃないか、と過剰に期待してしまっていた。

 そう気づくことができた。


 期待し過ぎていたせいで、肩透かしを喰らってガッカリもしたけれど、そうだ!

 私、今主任のお家にいるんだよ。

 それだけでも、すごいことなんじゃない?

 うん、十分奇跡だ!


 あっ、主任が戻ってくる。


 足音が近づいてくるにつれて、ドキドキしてきた。


「やっぱりな。ああ言っておいても、美村は待っているような気がした」


 そう言いながら、スパゲティをレンジで温め始めるのが聞こえてきた。

 待っている間にこっちへ来て、ワインのスクリューを開け、こぽぽぽっとグラスに注ぐ。


「美村? 寝てるのか?」

「起きてます」

「なら、何で目閉じてんの?」

「邪念が蘇らないようにです!」


 おかしなこと言い出した、と笑いながらピスタチオかチーズクラッカーの袋を開ける。


「ほら、乾杯するよ」


 私はここでようやく目を開けた。


 ひゃあ、湯上がりの主任を拝めるなんて!


「乾杯」


 グラスを軽くぶつけてくれた。


 そうそう、変な欲を出す前はこれがしたかったんだった。

 それが叶うなんて、私はなんて果報者なの!


 けれども、しあわせな時間はあっという間に終わるのが、世の中の常。


「ぐうう! こんなにすぐハーフ分を飲み干してしまったなんて……」

「いや、美村が3分の2飲んだよ。ずいぶん顔が赤いが、大丈夫か? 水飲め、水」

「水を飲んだらお開きですか?」

「当たり前だ。もう2時だぞ。歯を磨いて寝ろよ」

「そんなあ」


 この時間が終わってしまうのはもったいない。


「まただ。俺の家でその顔は禁止!」

「その顔、その顔って、どんな顔のことか分かりません」

「気持ちがダダ漏れのその顔だよ‼︎」


 気持ち?

 まさか主任に対する数々の願望がダダ漏れ⁉︎

 それは恥ずかしい……


「俺が可愛い仔犬ちゃんだからって、危機感なさすぎだろうが!」

「ぷふふっ、やっだあ。主任はちっとも可愛い仔犬ちゃんじゃないですよ。シゴデキだから、そうだなあ……シェパード? ボーダーコリー?」

「そういううれしいこと言われると、オオカミになりそうになるんだよ!」

「オオカミ! それもクールでカッコいいですねえ……んがっ!」


 鼻を摘まれたのだ。


「この酔っ払いめ。美村のことは勢いとか成り行きとかじゃなく、大事にしたいんだよ! くそっ、俺はもう寝るからな」

「ええー! もうちょっと、もうちょっとだけでいいから、今日という奇跡の日を終わらせないでください」


 鼻呼吸ができないので、ふがふがと訴えた。


「……明日」

「明日?」

「明日というか、もう今日になるが、朝になったら車で少し遠出して朝食を食べに行こう。だから、いい加減寝ろ」


 それって私は助手席?

 隣に座っていいの?

 目が覚めても奇跡は続くの⁇


 主任は私の鼻から指を離すと、その指の背で今度は私の頬をやさしく撫でた。


 ええっ、この流れはもしかして……


 しかし、主任は大きくため息を吐いた。


「その顔‼︎  ああ、俺は本当に寝るから、美村も寝ろよ!」

「主任の寝室、チラ見だけでもさせてもらうわけには、」

「いくか! 大事にしたいっていう意味が分からないのか? 寝室には絶対に近づくな。テーブルを片付けておくから、美村はとっとと歯を磨きに行け」


 プンスカ怒って、空いたボトルやグラスをシンクに持っていく。


 家のことをする主任のこと、見ていたい……


 けれど、それも許してくれなかった。


「早く行く!」

「……はーい」


 とうとう諦めることにした。

 不貞腐れた返事をしたけれど、歯ブラシを持って洗面所に向かう私の体は軽い。

 酔っ払っているからではない(ちょっとはそれもあるけど)。

 明日もこの奇跡が続くからだった。



END


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