第六話 湖畔での昼餉
朝の柔らかな光が、湖面に銀色のきらめきを散らしていた。南へと続く街道は、やがて広い湖のほとりに沿って伸びていく。
湖の水面は穏やかで、ところどころ白い水鳥が羽を休め、翼をゆるやかにすぼめている。
「わあ……こんなに大きな湖、初めて見ました」
フィリアは思わず足を止め、荷を抱えたまま見入った。波打ち際には小さな貝殻や淡水の花が散らばり、さざ波が静かに岸を撫でている。
湖の向こうには、青みがかった山並みがかすみ、遠くの空と水面の境が溶け合っていた。
「ネレイダはこの湖の南端にあります。ここからなら、おそらく明日中には着けるでしょう」
テオドールは淡々と告げ、湖面を一瞥すると再び歩き出す。
フィリアは慌ててその背を追いながら、湖の涼やかな匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
* * *
湖畔を歩き続け、日が高くなった頃。
テオドールが立ち止まり、湖から少し離れた木陰を指さした。
「ここで昼食にしましょう」
荷を下ろすと、テオドールは慣れた手つきで焚き火の場所を作り始める。
小石を並べ、枯れ枝を組み、火打ち石を打つ──その動作は迷いがなく、無駄もない。
ぱちり、と火花が散り、ほどなく細い煙が立ち上った。
「……クレイさん、料理もできてすごいですよね」
「神殿勤めの頃、厨房で教わりました」
短く答えると、テオドールは荷から小鍋と包丁を取り出し、食材を並べた。
立ち寄った村の市場で買った干し魚と根菜、香草の束。おまけにパン屋の老夫婦が「旅のお供に」とおまけしてくれた焼きたての黒パン。
テオドールは干し魚を水に浸し、骨を外してほぐす。包丁の刃が骨をなぞると、小さな音と共に身がほろりと分かれた。
次に根菜を切り分ける。包丁が木の板に当たる軽快な音に、香草を刻むたびに爽やかな香りがふわりと広がる。
『くしゅんっ! ……ちょっと、この香草、鼻がくすぐったいわ』
クロリスが鼻先を押さえながら、フィリアの肩にしがみつく。
「クロリス、鍋に落ちないでよ?」
そんなやりとりをそっと見つめながら、テオドールは切った食材を鍋で煮込み始める。
やがて鍋がぐつぐつと煮立ち、湖畔の涼やかな空気に、香草と魚の香りが風に乗って漂う。
『いい匂い! ねえフィリア、もう味見してもいい?』
「だめよ、まだ煮えていないでしょ」
クロリスが唇を尖らせ、フィリアがくすっと笑う。
その様子を、スープの湯気越しにテオドールが静かに見つめていた。水色の瞳に、やわらかな光が一瞬だけ灯る。
「そろそろ出来ますよ」
やがて、熱々のスープが木の器に注がれた。黄金色の表面に油が小さく揺れ、香草の緑が映える。
「……美味しい!」
一口飲んだフィリアの頬がふわりと緩んだ。干し魚の旨味と香草の爽やかさが、旅の疲れをそっと溶かしていくようだった。
『ほんと、美味しいわ! あなた、神官じゃなくて料理人になったら?』
「遠慮しておきます」
淡々と答えるテオドールの口元が、ほんのわずかに和らいでいた。
* * *
食事を終えると、クロリスは湖の波打ち際を飛び回り、小さな花や貝殻を集めてはフィリアの手に落としていった。
「綺麗……持って帰ろうかな」
フィリアは受け取った小さな花や貝殻を小袋にしまいながら、湖に目をやる。
湖面には白い雲が映り、時折そよ風が波紋を広げていく。
鳥の声と水音が混じり合う中、フィリアは「こういう時間もいいですね」と呟いた。
テオドールはただ静かに、同じ景色を眺めていた。
「クレイさん、ネレイダってどんな街なんですか?」
「水路と塔が多い街です。水の精霊の祭が有名ですね」
「お祭り……楽しみです」
翡翠の瞳がふわりと輝き、その横でクロリスも羽をきらめかせた。
やがて一行は立ち上がり、再び湖畔の道を進み始めた。
午後の陽光に照らされて、湖の水面は金色を帯びてきている。南の空には、白い塔と水路が絡み合う街並みがかすかに見え始める。
「……あれが、ネレイダです」
いよいよ明日、最初の目的地のネレイダに到着する。テオドールの声に、フィリアの胸が高鳴った。
次のお話、第七話「静まりゆく水辺」から、
『第二章 水の都ネレイダ』が始まります。
第二章では、精霊との出会いや、お祭りの楽しいストーリーなどもあります。ぜひフィリアたちと一緒に楽しんでいただけると嬉しいです。