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精霊樹の眠る場所で、君を想う  作者: 星谷明里
第一章 旅の始まり ―精霊の声を探して―
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第五話 初めての野営

 森のそばの小道で足を止め、テオドールが荷を下ろした。近くには小さな川が流れ、せせらぎが夕闇に溶けていく。


「今日はここで休みましょう」

「……はい」


 フィリアも肩から荷を降ろし、大きく息を吐く。

 テオドールは手際よく焚き火の場所を整えると、拾ってきた枯れ枝を組み上げていく。夕陽に照らされる森に、火打ち石を打つ音が響き、やがて赤い火がぱちぱちと花開いた。


「わたしも手伝います」

「では、この鍋に川の水を汲んできてください」

「はい!」


 慣れない手つきで水を運びながら、フィリアはふと村での暮らしを思い出していた。水を汲むのは日常の仕事だったはずなのに、今はすべてが新鮮に感じられる。


 テオドールが用意してくれた簡単なスープとパンで夕食を済ませると、焚き火の炎が夜をやわらかく照らし出していた。

 クロリスは香草の葉をかじりながら、ほっとしたように羽を休めている。


 耳を澄ますと、この森の夜がやけに静かに感じた。故郷の村では、夜になると小川のせせらぎに混じって、精霊たちの小さな歌声や囁きが聴こえていた。

 今はただ、風が木々を揺らす静かな音と、焚き火がぱちぱちと燃える音だけ──。

 少しだけ、胸の奥に寂しさが滲む。


「……やっぱり、村と星の見え方が違う気がします」


 ふと見上げた夜空に、フィリアは小さく息を呑んだ。森に囲まれた故郷では、空は頭上だけに開けていた。けれどここでは、地平線の果てまで星々が連なり、川面にもその光が揺れている。


「すごく、綺麗……」


 満天の星空に、淡く煌めく水面。たくさんの優しい輝きに包まれているように感じる。

 知らない星座も混じっていて、まるで見たことのない夜空のようだった。


「……確かに、この辺りは空が開けていますからね」


 テオドールも空を仰ぐ。その横顔は、焚き火に照らされて穏やかに見えた。


「こうしていると……旅をしてるんだなって、実感します」


 フィリアの言葉に、テオドールはわずかに目を細める。


「明日からも道は長い。今日はしっかり休んでください」

「……ありがとうございます、クレイさん」

「見張りは私がしますから、安心して休んでください」

「でも、それじゃあクレイさんは……」


 フィリアの気遣う視線に、テオドールがかすかに微笑む。


「大丈夫です。様子を見ながら私も休みますから」


 テオドールの言葉に安心したフィリアは、微笑んでお礼を言った。

 振り返ると、落ちた綺麗な葉を集めた上にクロリスが横になっていた。丸まって眠るその姿を見て、フィリアはレースのハンカチをそっと掛ける。


(クロリスも、きっと疲れたわよね……一緒にいてくれて、ありがとう)


 フィリアは、クロリスの寝顔を見つめながら静かに微笑むと、その隣でそっと薄手の毛布に包まった。

 まだ開いている翡翠色の瞳が、揺れる炎越しに静かに座るテオドールの姿を映し出す。


(クレイさんも、ありがとうございます……)


 フィリアは小さな声で「おやすみなさい……」と囁くと、そっと目蓋を閉じた。

 森の闇と静かに響く焚き火の音、そして川のせせらぎに包まれながら、胸の奥が少し温かくなるのを感じていた。


* * *


 翌朝。まだ薄明るい森を抜け、ふたりと一匹は街道を南へと歩いていた。

 しばらくすると、少し先に小さな村が見えてくる。


「旅の補給に良いですね。立ち寄りましょう」


 街道の脇にある畑の間を抜ける道の先には、十数軒ほどの家々と井戸、小さな市場があった。

 焼きたてのパンの香りが漂い、村の子どもたちが駆け回っている。


「おはようございます!」


 フィリアが明るく声をかけると、井戸の周りに集まっている年配の女性たちが微笑んで会釈を返してくれた。


「最近、森の泉が静かでねえ……前は風の音や鈴みたいな音がしてたのに」

「あの泉、昔はよく不思議な光が揺れてたんだけど、ここ最近は全く見ないよねえ……」

「森の奥で何かあったのかねぇ……」


 聴こえてきた女性たちの会話に、フィリアの表情がわずかに曇る。

 クロリスも羽を揺らし、『やっぱり、この辺りも影響が出てるのね』と囁いた。


「あの市場で食材を調達しましょう」


 テオドールの声に顔を上げると、フィリアの瞳に小さな市場が映る。


「わぁ……どんなものが売ってるのかしら」


 ほんのりと輝きを帯びた翡翠の瞳。

 少し元気が出た様子のフィリアに、テオドールの眼差しが少し和らぐ。


「食べたいものはありますか?」


 会話しながら市場へと足を進めると、笑い声と共に子どもたちが駆けてきた。


「お姉ちゃんたち、旅人さん?」


 話しかけてきた小さな少女にフィリアが笑いかけると、あっという間に子どもたちに囲まれた。


「うわぁ……綺麗な兄ちゃんだなぁ」

「王子さまみたい……」


 村の子どもたちは、荷を抱えたフィリアたちを珍しそうに見上げ、そして何より、整った顔立ちの青年神官に目を奪われていた。

 “王子さま”と見惚れられながら、無反応で立ち尽くしているテオドールに、フィリアは苦笑を堪えるのに必死だった。


* * *


「あたたかくて、素敵な村でしたね……わたし、グラーデの村からほとんど出ることがなかったので、何もかも新鮮で……」


 嬉しそうにそう言って、フィリアは果物やパンの入った荷を背負い直す。先程立ち寄った村の市場でフィリアが選んだものだ。


『本当、世界って広いわよね……』


 フィリアの肩の上に立って大きく伸びをしたクロリスが、そっと腰を下ろした。薄紫の羽が、陽の光を弾いて淡く輝いている。


 目の前には、どこまでも続く街道と広い草原が広がり、晴れ渡る空に、遠くの山並みもくっきりと見える。そのさらに向こうには、かすかに湖のきらめきが見える気がした。


「クレイさんは、旅に慣れてるんですか?」

「いえ、私も旅は初めてです」


 フィリアの問いかけに、テオドールは背を向けたまま答えた。


「『えっ……』」


 淡々と答えたテオドールに、フィリアとクロリスは少し固まっている。


「どうかされましたか?」

「いえ……初めてだとは、思ってなかったので……」

『それにしては、随分手慣れてる感じするわよね』

「事前に学んでおいたので」


 そうさらりと答えるテオドールの後を、フィリアとクロリスが続く。


 目指すは、水の都ネレイダ。南の湖へ向けて、彼らの旅は続いていく──。

次のお話は、第六話「湖畔での昼餉」

テオドールの手料理に、穏やかなひと時が流れます。

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