第三話 春の都と少女の覚悟
──中央神殿での依頼の受託を終えた翌朝。
フィリアとテオドールは、神殿を出て街を歩いていた。
アルセナの街は、大陸最大の規模を誇る都市でありながら、どこか穏やかな空気を纏っている。
石畳を歩くテオドールは、白い神官服に淡い灰色の外套を肩に掛けていた。その手には神官用だろうか、落ち着いた金色の長い杖が握られている。
神官服の首元や裾は金色で縁取られ、胸元や袖口には金糸で精霊樹の葉を模した刺繍が施され、朝日に淡く輝いている。
彼が纏う白い神官服の清らかさと、旅用の装備の無骨さが不思議と調和していて──フィリアはしばし、視線を奪われた。
胸の奥が、ほんの少しだけ熱を帯びる。
「フィリア様、どうかされましたか?」
「あ……いえ、何でもありません!」
真っ直ぐなテオドールの視線に慌てて首を振ると、フィリアは少し早足で歩き出す。
しかし、テオドールもすぐに隣を歩き始めて、ほんのりと頬を染めたフィリアは、少し俯いたのだった。
足を進めると、朝靄の残る石畳の通りには、早くから店を開ける商人や、籠を抱えて行き交う人々の姿があった。
「わあ……すごい人。こんなに賑やかな街、初めて見たわ……」
フィリアは街並みを見回して目を輝かせた。肩の上で羽根を揺らすクロリスも、珍しげに周囲を見回している。
『ほんと、さすが中央の街ね。田舎の村とはまるで違うわ』
「クロリス……それ、聴かれたら怒られるよ?」
『事実よ事実!……それに、田舎も嫌いじゃないわ。大切な故郷だもの……』
神殿からの支援で用意された準備資金を手に、二人は必要な旅の装備を整えるべく街を巡ることにした。
「……あの、クレイさん。わたし、武器が欲しいんですけど……」
フィリアはおずおずと口を開いた。
亡き祖母の後を継いで一応精霊師を名乗ってはいるが、フィリアは戦うための訓練など受けたことはなく、平和なグラーデの村で育ってきたため戦闘経験もなかった。
だが、隣を歩く神官は、失礼だが護衛というには頼りない──という以前に、戦闘などには全く縁がないように見えるのだ。
現に今も、街を歩く女性たちの視線をことごとく攫っている。この色白で細身の美しい青年神官が、護衛の役割を担っているなんて誰も考えもしないはずだとフィリアは思った。
「……そうですね。最低限の護身用の道具は持っていても良いと思いますが」
「わたし、村にいた時に使っていた薬草採取用の短剣しか持っていないんです。もっと、ちゃんとした武器が欲しくて……」
フィリアの言葉に、不思議そうな表情を浮かべるテオドール。
「フィリア様のことは私が守るので必要ないとは思いますが……あなたが欲しいのであれば、この街で扱いやすいものを探しましょう。あくまで、防衛用として」
そう答えるテオドールは、淡々とした冷静さを保ちながらも、どこかフィリアを気遣うような眼差しを向けていた。
『フィリア、あんまり無理しないで。あなたには、剣よりもハーブやお花の方が似合うもの』
「ありがとう、クロリス。でも……守ってもらってばかりじゃ、だめな気がして」
ほんの少しだけ引き結ばれた唇が、彼女の心に芽生えた覚悟を物語っていた。
そうしてふたりは、アルセナの広い繁華街へと歩み出していく。こうしている間にも、彼女たちの知らぬ運命の種が、静かに芽吹こうとしていた──
* * *
「これ……わたし、これが良いです!」
『あら、可愛いじゃない』
フィリアが武器の専門店で迷った末に手に取ったのは、先端に花のような装飾のついた金色の球体が特徴的なメイスだった。球体の付け根と深緑の柄の根元をぐるりと覆う金色の縁取りには、繊細な花の紋様が丁寧に彫られていて、いかにも女性向けに作られているのがわかる。
実際に手に取ってからも、この店のメイスの中では一番軽く、でも杖などとは違ってきちんと重量もあって、フィリアにとっては一番実用的に思えたのだった。
(剣や弓は触ったこともないし、上手く扱える自信がない……でもこの武器なら、わたしでも……)
メイスの柄をぎゅっと握りしめているフィリアを、静かにテオドールが見つめている。
「それはメイスですね……見た目は可愛らしいですが、鈍器ですよ? 重くはありませんか?」
「これ、他のメイスよりすごく軽いんです! だから、きっとわたしでも使えると思って……」
しばし黙り込むテオドールと、少し不安げな表情を浮かべ始めたフィリア。
そこへ、その様子を見ていた店主がやってきた。
「それは女性用なので比較的軽く作られているんです。ですが、攻撃力もしっかりある実用的なメイスですよ」
「攻撃力増強のために、魔法が施されているおすすめの逸品です」と言う店主の言葉に、安堵の表情を浮かべるフィリア。
「……わかりました。それをいただけますか?」
そう言ったテオドールに、フィリアは笑顔を浮かべた。
* * *
アルセナの市場の喧騒の中、その少女の姿はひときわ目を引いた。
白いレースの袖が風に揺れ、ウエストを飾る深緑のリボンが淡くたなびく。
翡翠のような瞳はきょろきょろと辺りを見渡し、ゆるやかに波打つ長い髪は、陽の光を受けて栗色に艶めいていた。
薄手の白いケープに、胸元にはミントグリーンの石を留めたペンダント。深緑のヘアバンドにあしらわれた金糸の草花模様が、春の日差しに煌めいている。
「……浮いてない、よね?」
ふわりと広がるスカートの裾をそっと押さえ、フィリアは小さく呟いた。タイツのおかげで、まだひんやりとしている風も気にはならないが……。
(こんな格好、初めてで落ち着かない……)
薄茶のブーツの踵が石畳を鳴らし、彼女は旅の一歩を踏み出そうとしていた。
「これで準備は整いましたか?」
「はい! ……大丈夫だと、思います……」
そう言ったフィリアの手には、武器店で手に入れたメイスが大切そうに握られている。
武器店を出たあと、テオドールに勧められて入ったアルセナ一大きい防具店で、店員に選んでもらい、装備を一式新調した。
護身用にと並べられていた女性用の白銀の鎧に手を伸ばしかけたところ、店員に慌てて止められてしまったことを思い出す──そのときに、テオドールが小さく笑ったのを見て、フィリアは頬を染めたのだった。
(でもこれ、全部防御のために魔法加工されてるってお店の人が言ってたよね……確かメイスにも……今更聞けないけど、いくらしたんだろう……)
「フィリア様、どうかされましたか?」
「何でもありません……あの、武器も防具も…本当にありがとうございます」
そう口にしたフィリアに、テオドールがふわりと微笑んだ。
「お気になさらず……そもそも、神殿の勝手な都合で、あなたのようなか弱い女性を危険の伴う長旅に駆り出すわけですから……」
「神殿の勝手な都合で」と言う彼の声には、どこか淡々とした冷たさが滲んでいた。
「ですから、これくらい当然だと受け取ってください」と微笑むテオドールに、フィリアは苦笑いを浮かべた。
(この人、顔はすごく綺麗だけど、少し毒舌なのかも……)
『フィリア、すごく似合ってるわよ! 妖精みたい!』
上機嫌で飛び回るクロリスに、フィリアは「ありがとう」と微笑みかけた。
こうして──少女と神官、そして小さな妖精の旅路が、静かに始まろうとしていた。
その旅が、どんな未来へつながっていくのか──今はまだ、誰も知らなかった。
次のお話は、第四話「長い旅路のはじまり」
フィリアたちの精霊を救う旅がいよいよ始まります。