第二話 神官との出会い
──アルセナの中央神殿。
白い石で築かれた、その厳かな姿を前に、フィリアは静かに息を飲んだ。
西の果ての村から馬車に乗り、長い道のりを経て、ついに神殿へと辿り着いたフィリアとクロリスは、目の前に広がるその神殿を見上げて立ち尽くしていた。
「ここが……」
彼女の肩に乗るクロリスも、感慨深げに光の羽を揺らしている。
『思ったよりも……立派ね。でも、ちょっと重たい感じがするわ』
アルティシア大陸の精霊信仰の本拠地である中央神殿。周りは美しい森に囲まれた荘厳で美しい建物だと言うのに、どこか沈んだ空気を纏っている──
『神殿にしては……何だか変な空気よね』
そう呟かれたクロリスの声に、フィリアも頷いた。
朝の空気は、まだ少し肌寒く、森の奥からは鳥たちのさえずりが微かに聞こえていた。
* * *
「──あなたが、フィリア・フローレンス殿ですね。この度は、神殿からの依頼を受けていただき、神殿を代表し、心より感謝しております」
案内された部屋の中、目の前には老齢の神官長が立っていた。
「フローレンス殿は、かのオリーブ・フローレンス殿のお孫様であられるとか……こうして神殿にお招きできて、光栄です」
深々と頭を下げた神官長に、恐縮して少し慌てた様子のフィリア。
「そんな、わたしは祖母とは違いますので……それに、わたしなんかで良いんですか?」
「それは、どういう……?」
口籠ってしまった神官長に、フィリアがおずおずと口を開く。
「神殿には、精霊師の方々が在籍されていると聞きます……なので、未熟なわたしなんかで良いのかな、って……」
しばし、沈黙が流れる。
「フローレンス殿は……精霊の声が聴こえるのですよね?」
「はい、精霊師ですから……精霊の姿を見たり、会話をすることはできます」
不思議そうに、そう答えたフィリア。
その答えを聴いた神官長は、安堵した顔で再び口を開く。
「我々神殿は……このアルセナの地にも届いたフローレンス殿の、精霊師としての優秀なお力をお貸しいただきたいのです」
黙って聞いているフィリアに、神官長が微笑んで言葉を続ける。
「此度の依頼は長旅になります。女性の一人旅は危険ですので、神殿より同行者を一名付けさせていただきます」
「神殿を──このアルティシア大陸を救うために、何卒、よろしくお願いいたします」と再び深く頭を下げられて、フィリアは「わかりました」と答えつつも、翡翠色の瞳はわずかな戸惑いに揺らいでいた。
* * *
『ここで待つように言われたのよね』
「そうよ……一人旅は危ないから、神官の方を付けてくれるって……」
そのとき、背後から静かな足音が、磨き込まれた石床に柔らかく響いた。
その音は冷たくもあり、不思議と安心感を伴っていた。
「──フィリア・フローレンス様ですね」
落ち着いた声に振り返ると、そこには、陽の光を背にしたひとりの青年が立っていた。
年はフィリアよりいくつか上だろうか。白金色の髪が陽に淡く輝き、人形のように整った顔立ちは、影の中でもはっきりと美しかった。
白い神官服に身を包んだその姿は、どこか浮世離れした雰囲気を纏っていた。
「……はい。私がフィリアです。お世話になります」
「お初にお目にかかります。神殿より命を受け、フィリア様の案内と護衛役を務めることになりました……私の名は、テオドール・クレイと申します。」
落ち着いた、少し低い声が耳に心地良い。
丁寧に礼を取る彼に、フィリアは少し戸惑いながらも微笑んだ。
(──綺麗な男の人……わたし、この人と旅をするの……?)
予想していなかった出会いに、フィリアの胸が小さく高鳴る。
『……あら、随分若いのね。というか、人間なのに綺麗な顔立ち! ……飾っておきたいくらいだわ』
フィリアの頭の後ろからひょこんと顔を出したクロリスが、テオドールの顔を見つめながら愛らしい声で囁く。
「クロリス、失礼よ……!」
『でも、否定できないでしょ?』
フィリアは慌ててクロリスの口を押さえ、テオドールは穏やかに言葉を続けた。
「フィリア様のご準備は、よろしいですか?」
(聴こえてはいない、はずだけど……)
「はい……あの、クレイさん。私、初めての旅なので、ご迷惑をおかけするかもしれませんが……」
「……お気になさらず。私がサポートしますので、ご安心ください」
その静かな言葉に、フィリアはどこか安心したように頷いた。
(なんだか……不思議な人。優しそうだけど、綺麗すぎて近寄り難いわ……)
そう感じながらも、フィリアは静かに旅の始まりを感じていた。
フィリアの肩に座っているクロリスは、テオドールをじっと見つめている。
『ねぇ……この人、もしかして私が見えてるんじゃ……』
「そんなわけ──」
「ええ、見えていますよ」
当たり前のようにそう答えたテオドール。その瞳の奥に、一瞬だけ何かを計るような光が走った──だが、それはすぐに、穏やかな微笑みに隠れた。
フィリアは驚いたように、彼と肩の上に座る妖精を交互に見つめた。
「まさか……クロリスが、見えるんですか?」
「はい。クロリスさんというんですね」
『クロリスで良いわよ。わたしは……テオドールって、呼ばせてもらうわね』
自分が見える人間が珍しいのか、テオドールの周りをくるくると飛び回るクロリス。
(そんな……クロリスが見えるなんて……)
「私は神官なので……フィリア様、あまり、お気になさらないでください」
唖然としているフィリアを見つめて、テオドールは淡々とそう言った。
(この人、精霊師じゃない……のよね?……精霊師でも、声が聴こえるだけで姿を見ることができない人もいると聞くわ……)
彼の言葉の端々からは、嘘や悪意の気配は少しも感じられなかった。胸の内に疑問が渦巻きながらも、フィリアは静かに頷いた。
「それでは、旅の道程をご説明しますね……まずは、南にあるネレイダへ向かいます。訪れる予定の街や村には、既に案内を済ませてあります」
そう言って、テオドールは静かに微笑んだ。
その澄んだ水色の瞳は、穏やかに微笑んでいるのに、どこか深い湖底のような暗さを秘めていた。
二人は、これから始まる旅が、やがてそれぞれの心を揺らす物語になるとは、まだ知らずにいた……。
次のお話は、第三話「春の都と少女の覚悟」です。
神殿で会った翌朝、アルセナの街で装備を整えるふたりと一匹。フィリアの装いが、旅路に新たな色を添えます。