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精霊樹の眠る場所で、君を想う  作者: 星谷明里
最終章 眠る精霊樹
38/39

第三十六話 精霊樹の眠る場所で、君を想う

エピローグ前の最終話。長文になります。


⚠ 最終話のため、ネタバレがあります。初めての方や序盤から読まれる方はご注意ください。


* * *


✧ 初めての方へ ✧


まずはプロローグからお読みいただけます。


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挿絵(By みてみん)





 精霊樹は、淡い緑の光を優しく放っていた。まるで、ふたりを見守るかのように──


「この身体はもう……駄目みたいですね……」


 そう言って儚く微笑んだテオドールに、フィリアが激しく首を振る。その瞳からは、大粒の涙がいくつも零れ落ちている。


「そんなこと……言わないで……」

「フィリア……」


 泣きながら縋り付くフィリアに、テオドールは笑いかけた。


「私は……フィリアのおかげで、人として生きる喜びを知りました……最後に……あなたを守ることができて、本当に良かった……」


 澄んだ水色の瞳に、凍えそうな風の中でも青々としている精霊樹の葉が映し出される。


「でも、叶うなら……もっと、あなたのそばにいたかったんです……」


「あなたの故郷の森も、見てみたかった……」と悲しげに笑うテオドールに、フィリアの涙が溢れる。


「じゃあ、一緒に帰りましょう……テオが来てくれたら、わたし、すごく幸せです……」


 涙を零しながら微笑むフィリアの頬に、テオドールがそっと触れる。


「……あなたを……ひとりにしてしまいますね……許してください……私も……人であれば、良かったのに……」


 テオドールの瞳から、涙が一筋零れた。


 翡翠の瞳からも、いくつも涙が零れ落ちる。


 その胸に、旅の景色が一気に蘇った。

 初めての野営の焚き火で見た横顔、湖畔で飲んだスープの香り、泉に落ちて笑い合ったときの彼の笑顔。火傷をしたときの心配そうな表情に、初めて抱き締められたときの温もり……。


 すべてが、もう二度と訪れない──そう思うだけで、息が詰まった。

 涙が溢れ続けて、テオドールの顔が霞む。


「フィリア、笑ってください……あなたの笑顔が、私は大好きなんです……」


 テオドールはフィリアの頬を伝う涙を、震える指でそっと拭った。


「これが……このあなたへの想いが、きっと、愛する……ということなんですね……全部、フィリアが教えてくれたものだ」


「テオ……」と泣きじゃくるフィリアに、微笑むテオドール。


「この名前、嫌いだったんです……勝手に“神の贈り物”と名付けられて、“失敗作”と呼ばれて……だけど、あなたに名前を呼んでもらえるのは、嬉しかった……あのとき、造られて良かったと……初めて思えたんです」


 そう言って笑ったテオドールが、胸元のポケットへ震える手を伸ばす。


「フィリア、これをあなたに……もっと早くに、渡したかったのですが……」とテオドールは取り出したものを差し出す。

 フィリアが受け取ろうとすると、テオドールが彼女の左手を取った。震える指で、その薬指に触れる。


「これって……」


 フィリアの左手の薬指には、細い白金色の指輪が輝いていた。精霊樹の葉の紋様が繊細に刻まれた中央に煌めくのは、透き通るアクアマリンの石。


 それはまるで、テオドールの瞳のような澄んだ水色。そして、彼の胸元に輝いているのは、小さな翡翠の付いたペンダント──

 フィリアは、ネレイダの祭りの露店で見かけた、宝石を選び合う恋人たちの姿を思い出した。


 ──お互いの瞳の──魂の、色……。


(あのとき、見ていたの……? テオは、覚えていてくれたんだ……)


「テオ……」


 翡翠色の瞳がまた滲んで、涙がいくつも頬を伝う。


「……そばにいられないくせに、こんなものを渡して、すみません……でも、この指輪を付けているあなたが見たくて……」


 瞳を伏せて笑ったテオドールに、フィリアは何度も首を振った。


「嬉しいです……ずっと、外しませんから……」


 泣きながら微笑んだフィリアに、テオドールが嬉しそうに笑った。


「ありがとう……愛しています、フィリア……」


 いつになく優しい眼差しで、テオドールは微笑んだ。その頬を涙が伝い、そのまま、静かに白い瞼が閉じられていく──


「テオ! わたしも、愛してます……初めてなんです。こんな気持ち……わたしをひとりにしないで……!」


 握っていた彼の手から、少しずつ温もりが消えていく。

 薬指に嵌められたばかりの、指輪の感触がひどく冷たく感じる。

 それが、もう彼に触れることができない証のようで、胸が締め付けられた。


「いや……テオ、いかないで……!」


 フィリアの涙で滲む視界の中、最後に見えたのは彼の微笑みだった。


 テオドールの体が淡い緑色の光の粒子を放ったかと思うと、細かな土になって冷たい風に溶けていく。フィリアの手の平に残った土も、精霊樹の根元へと零れ落ちて……。


「テオ……!」


 その光景を見ていられず、目蓋をきつく閉じて涙を流すフィリア。

 その体を、不意に温かい何かが包み込んだ。まるで、彼の温もりのような──


(──テオ?)


 目蓋をそっと開くと、フィリアを淡い緑色の光が優しく包みこんでいた──だが、すぐにふわりと宙に溶けて消えてしまう。


 フィリアの手のひらに残されたのは、彼が纏っていた白い神官の装束の温もりと、翡翠の石が嵌め込まれた銀色のペンダントだけだった。

 かすかに残る土も、冷たい風に吹かれて全て消えていく……。


 精霊樹の青い葉をざわざわと揺らして、凍えそうに冷たい風がフィリアを包んだ。だが、寒さは感じなかった。

 彼女の心だけが、凍えていた。


* * *


 彼の温もりが消えた世界で、彼女はまだ、その名を呼び続けていた──


 冷たい風が止んだ。

 残された静寂の中、フィリアは膝をついたまま、地面に残る冷たい土の感触だけを握りしめていた。

 彼が嵌めてくれた指輪と、彼に贈った翡翠のペンダントが、その温もりの代わりにそこにあった。


 ──確かに、彼はここにいたのに……。


 まだ少しだけ温かい神官の装束を抱きしめると、嗚咽をこらえきれず、声が漏れる。


「……テオ……」


 そのとき、頭上から、水面に光が落ちるような気配が広がった。

 見上げると、精霊樹の幹に淡く緑を帯びた光が満ちていく。

 目の前に葉がひとひら、ゆっくりと音もなく落ち、そこには、人の形をした光が立っていた。


『──フィリア』


 あたたかな大地を思わせるような、優しくも落ち着いた声が響いた。

 現れたのは、この地を護る精霊樹の主だった。

 女性とも男性ともつかない美しい容姿に、長い髪は銀糸のように揺れ、瞳は深い湖底を思わせる澄んだ青緑。

 その一歩ごとに、傷ついた根元の土が静かに脈動していく。


「……あなたが……精霊樹の……」


 フィリアが涙で霞む目を瞬かせると、涙が頰をつたった。


『あの子は……私の土から生み出された、神殿に造られた“器”だが、その魂は確かに育っていた……君と過ごした日々が、あの子の心を人として満たした……』


 その言葉に、フィリアの胸が締めつけられる。


 思い出すのは、ペンダントを贈ったときの嬉しそうな笑顔、微睡みから目覚めた時に、こちらを見つめていた優しい眼差し。そして、指輪を嵌めたときに、微笑んだ彼の瞳から零れた涙──全てがもう、決して触れられないものになってしまった。


『……失われたものは、永遠に消えるわけではない』


 低く響く声が、葉の間を抜ける冷たい風に溶けていく。


『その心は……君が芽吹かせたあの子の想いは、枯れはしない……』


 フィリアは静かに息を呑んだ。

 その言葉の意味を問おうとしたが、口を開く前に光は淡くほどけ、精霊の姿は木漏れ日の粒子に溶けるように消えていった。


 残されたのは、静かに揺れる枝葉と、胸の奥で微かに灯る温もりだけ。

 それが希望なのか、ただの慰めなのかは、フィリアには分からなかった。


* * *


 淡い光が消え、再び森の静寂が戻る。

 風が枝葉を揺らし、わずかな音を立てて通り過ぎていく。

 フィリアはその場に膝をつき、両手で顔を覆った。


「……テオ……」


 声に出すたび、胸の奥から何かが溢れ、涙は止まらなかった。

 温もりを失った指先には、指輪の感触だけが残り、手の中には彼に贈ったはずのペンダントがある。

 それを握りしめれば、さっきまで彼が隣にいた証が蘇るのに──

 思い出すたび、もっと苦しくなった。


 いつの間にか姿を現していたクロリスは、何も言わず、ただフィリアの肩に寄り添っていた。

 小さな羽がそっと頬を撫でる。その温もりが、かえってフィリアの涙を誘った。


 どれほど泣いていたのか分からない。

 空はすでに暮れかけ、精霊樹の葉は夕陽に照らされて金色に輝いていた。

 その輝きはあまりにも静かで、フィリアの痛みには何ひとつ答えをくれなかった。


「……帰らなきゃ」


 掠れた声でそう呟くと、フィリアは力なく立ち上がった。

 手も足元もまだ震えている。けれど、神殿へ戻らなければならない。あの人が守ってくれた命と、この想いを抱えて──。


* * *


 精霊の森を抜け、しばらく歩き続けたフィリア。その胸元には、翡翠の石が付いた銀色のペンダントが揺れている。

 フィリアもクロリスも、一言も話さなかった。

 まだひんやりとした空気の中で、その肩に寄り添う小さな妖精の存在だけが、フィリアに温もりを伝えていた。


 森に囲まれた中央神殿の白い塔が見えたとき、フィリアの足はほんの少しだけ重くなった。

 胸の奥に、まだ彼の温もりの残滓と、言えない真実が絡みついている。


 案内された神殿の広間では、依頼主である神官長が待っていた。

 神官長が長衣の裾を揺らしながら近づくと、フィリアは深く一礼する。


「……依頼の件、完了しました」


 淡々と告げる声は、驚くほど自分の声に似ていなかった。

 いつもより少し低く、感情を押し殺した響き。


「各地の精霊に纏わる土地の異常現象の原因は、水脈や地脈の乱れでした……精霊たちの力を借りて無事に収束し、精霊樹も……正常な輝きを取り戻しています……」

「そうでしたか……フローレンス殿、本当にご苦労様でした。何と感謝を申し上げたら良いか……」


 神官長の表情には安堵が浮かんでいる。

 だが、彼は何も知らない──あの場所で、誰が、何を守って消えたのか。

 そして、フィリアはそれを話すつもりもなかった。彼と、約束したから……。


「……同行していた神官は、どうしましたか?」


 神官長の言葉に、フィリアは言葉を詰まらせる。


「……精霊の森で、行方不明になりました……」


 そう告げて一瞬だけ視線を落とし、再び顔を上げる。フィリアには、それ以上の説明はできなかった。


「それは……! すぐに捜索させます……フローレンス殿が無事に戻ってきてくださって、本当に良かった……さぞ心細かったでしょう……」


 神官長の言葉を頭の片隅で聞きながら、フィリアは立ち尽くしていた。


「すぐに、神官たちを呼んで捜索隊の手配を──」

「その必要はない」


 神殿の広間に、低い声が響いた。いつから広間にいたのか、冷たい足音と共に、長い聖衣を纏った高齢の司祭がフィリアへと近付いてくる。


「フローレンス殿ですね……この度は、本当にありがとうございました」


 ──何て、空虚な声なの……。


 フィリアはもう、聴くのをやめた。


「かつて、お祖母様には断られましたが、あなたには是非、その希少な力を神殿のために──」


 そのとき、神殿がわずかに揺れて、激しい風が広間を駆け抜けた。

 神殿の壁を飾る布と長い聖衣の裾が大きく翻り、体勢を崩した司祭がその場に膝をつく。


『その娘に関わることは、許さない……』


 恐ろしく低く大きな声が、神殿の広間を包み込むように響いた。


「こ、この声は……?!」


 神官長が、突然響いた声にあたりを見回している。


「司祭長、大変です! 精霊樹様や精霊たちが怒っていると、精霊師たちが騒いでいます!」

「何だと?!」


 神殿の広間に数名の神官が飛び込んできて、司祭長と呼ばれた高齢の男性は険しい顔で話を聞き、広間を飛び出していく。


『フィリア……帰りなさい、グラーデの森へ……』


 立ち尽くしていたフィリアの耳に、優しく穏やかな声が響いた。


(精霊樹様……)


 フィリアは神官長に背を向けて、静かに歩き始める。


「……フローレンス殿、お待ちを! まだ、謝礼をお渡し出来ておりません!」


 慌てた神官長の声に、フィリアが振り返る。


「遠慮します……各地の復興の費用に、使ってください」

「フローレンス殿……」


 自分でも、驚くほど淡々とした声だった。

 神官長はそれ以上は何も言わず、フィリアは一礼して神殿を後にした。

 精霊樹の声が響いてから、神殿は瞬く間に慌ただしくなり、幸い引き留められることもなかった。


 左手の薬指に嵌められた指輪が、かすかに冷たい感触を返してきた。


* * *


 神殿を後にしたフィリアは、すぐに馬車を手配して故郷へと向かった。

 道中、どのくらいの時間がかかったかは覚えていない。

 気付けば、グラーデ村に続く夕暮れの街道をひとり歩いていた。西の空は淡い茜色に染まり、雲の端が金色に光っている。遠くで鳥の声がして、わずかに温かくなり始めた風が頬を撫でた。


 懐かしい森の匂いが漂い始めたとき、胸の奥がきゅうと痛む。


 ──もう、誰も隣を歩いてくれない……。


 あの静かな笑みも、穏やかな低い声も、もう聴こえない。

 けれど、泣くわけにはいかない。

 彼が望んだのは、笑顔でいることだったから。


 フィリアは、滲んだ涙が零れないように空を仰いだ。

 木々の合間から、茜色に照らされ始めた屋根が見え始める。木製や茅葺きの屋根がやわらかく光っている。

 その景色は、出発の日と何も変わっていないのに、フィリアの胸に広がる色は全く違っていた。


 森の入口まで来たとき、ふと足を止める。

 翡翠色のペンダントが、胸元でひそやかに揺れている。指先で触れると、冷たいはずのそれが、わずかに温もりを返した気がした。


「……ただいま」


 小さく呟いた声は、森のざわめきに溶けて消えていった。

 村の灯りがともる前に、フィリアはゆっくりと歩き出した。


* * *


『おかえりなさい、フィリア……よく頑張りましたね……』


 大樹の葉がそよぎ、透明な声が降りてくる。シルヴィアの声は、いつもと変わらぬ優しさを含んでいた。


「……ただいま戻りました、シルヴィア様」


 フィリアが大樹の前まで来ると、シルヴィアの優しい手がふわりとその頰を包みこんだ。


「ネレイダの泉も、他の精霊たちの土地も、精霊樹も、すべてが無事に戻りました……でも……」


 言葉が喉の奥で絡まる。


「彼が……テオドールが、わたしを庇って……」


 唇を噛み、必死に涙を堪える。

 だけど、どれだけ気丈に話そうとしても、声は震え、シルヴィアにはすべて伝わってしまう。


『……彼は、とても立派に役目を果たしましたね』


 シルヴィアの声に、大樹の葉が静かに揺れる。


『ありがとう、フィリア……そして……辛いでしょう……』

「……はい」


 短く答えた瞬間、フィリアの頰を涙が一筋流れた。


* * *


 村に戻ったフィリアは、いつも通り明るい笑顔を見せた。


「大丈夫。慣れない旅で少し疲れただけだから!」


 心配する村人やクロリスにそう言っては、笑ってみせる。


 けれど、夜になると……。

 ランプの灯りが揺れる自室で、彼女はようやく強張った肩を落とした。

 ペンダントを胸に抱き、静かに膝を抱えて座り込む。

 左手の薬指に光る指輪を見ては、涙が込み上げてくる。


 ──あまりに悲しくて、外してしまいたいけれど、絶対に外せない……外したくない……。


 矛盾する気持ちに、頬を伝った涙が床にぽたりと落ちる。

 その横で、クロリスが羽音も立てずに降り立ち、そっとフィリアの膝に腰を下ろした。


『……泣いていいのよ、フィリア……我慢しないで』


 その小さな声に、堪えていた嗚咽が零れ出す。

 フィリアは両手で顔を覆うと、子どものように大声で泣いた。その頭を撫でながら寄り添うクロリスも、涙をいくつも零していた。


 窓の外、森の闇の向こうには、その様子を静かに見守るシルヴィアの淡い光が揺れていた。


* * *


 冬が終わり、春が訪れたグラーデの村。

 暖かくなった日差しに、寂しかった森の木々が若葉色に染まりはじめた。

 フィリアの家の庭に咲く花々も淡く色づき、ハーブも豊かに茂り始めていた。

 柔らかなそよ風に花々が揺れ、深い森の香りと甘やかな花々の香りが鼻腔をくすぐる。


 フィリアは、泣き腫らした瞳で庭とその向こうの森を眺めていた。

 その様子を、近くの花影に隠れてそっとクロリスが見守っていた。


 ──『あなたの故郷の森も見てみたかった……』


 そう言った彼の言葉が、微笑みが、涙が──彼の全てをどうしても忘れられなかった。


(テオに会いたい……夢でいいから……)


 翡翠色の瞳から、涙が零れる。笑顔を望んだ彼との約束は、果たせなかった。


 ──彼と出会ったのも、この季節だった。


 初めての旅に、各地の精霊たちとの出会い。初めは少し冷たいと感じていた彼の眼差しが、いつの間にか優しくなっていて……。

 今では、全てが大切な想い出になってしまった。


 フィリアは、左手で胸元のペンダントに触れた。

 ひんやりとした冷たさに視線を落とすと、小さな翡翠の石が煌めいた。

 薬指の白金色の指輪を見つめると、また涙が溢れてくる。透き通る水色の石が目に入るたび、彼の優しい眼差しを思い出して……。


「テオ……会いたい……」


 フィリアの瞳から、大粒の涙がいくつも零れる。


 ──そこへ、背後からそっと草を踏みしめる音が響く。


(お客さん……? どうしよう、こんな顔で……)


 フィリアは慌てて袖で顔を拭った。

 泣き腫らして熱くなった目元を手のひらでそっと覆うと、後ろを向いたままで少し深呼吸する。


「また、泣いていたんですか?」


 ──それは、聴き慣れた、でも、とても懐かしい、何よりも聴きたかった声。


(でも……まさか、そんなはず……)


「フィリア?」


 その声に、フィリアが振り返る──


「どう、して………?」


(わたし、夢を見てるの……?)


 そこには、精霊樹で消えたはずの彼の姿があった。


 信じられないといった表情を浮かべるフィリア。瞬きをしたその瞳から、涙が零れ落ちる。


「フィリア……ひとりにして、すみません……」


 少し憂いを含んだ瞳でそう言うと、テオドールは微笑んで、ゆっくりとフィリアに近付いてくる。


「……精霊樹の主から、救った対価として、望みを叶えると言われたんです……」

「本物、なの……? 夢じゃなくて……?」


 フィリアの言葉に、テオドールは「本物ですよ」と笑った。

 フィリアの手をそっと握ると、自身の左胸へとそっと押しつける。


 ──手のひらから、微かな鼓動を感じる……。


「今の私は、心臓を貫かれたら死んでしまいます………でも、これからは、ずっと……あなたのそばにいられますよ」

「テオ………!!」


 その名を呼んだフィリアの瞳から、また涙が溢れ出した。

 泣きながら抱きついてきたフィリアを受け止めるテオドール。彼の腕が、フィリアの華奢な体をそっと包み込むように抱き締めた。


「フィリア……これからはずっとそばにいますから、どうか泣かないで……」


 テオドールは囁くように言って、抱き締める腕に力を込めた。柔らかな栗色の髪を撫でると、そっと口付ける。

 フィリアはその胸に頰を寄せる。彼の温もりと、聴こえる確かな鼓動に、閉じられた瞼から涙がいくつも零れる。


「ありがとう、テオ……もう、いなくならないで……ずっと、そばにいて……」

「はい……ずっとあなたのそばにいます。もう、ひとりにはしません……決して」


 テオドールはゆっくりと体を離すと、優しく微笑んだ。

 フィリアの頰を伝う涙を指でそっと拭う。


「これ、付けていてくれたんですね」


 テオドールは愛しそうにフィリアの左手の薬指にそっと触れて、胸元のペンダントを見つめる。


「……ずっと、テオと一緒にいたかったんです……だから──」


 フィリアが言葉の続きを紡ぐ前に、テオドールの手がフィリアの頬をそっと包み込む。

 触れ合う温もりに導かれるように、水色の瞳が近づき、翡翠色の瞳が閉じられる。

 春風が二人の頰をそっと撫で、花の香りが淡く漂った。


 唇が触れたのは一瞬だったのに、胸の奥まで熱が広がっていく。

 離れた瞬間、テオドールが小さく囁いた。


「……もう、離れません」


 その言葉に見つめ合うと、テオドールは愛しそうに微笑み、フィリアの額にそっと唇を寄せた。

 遠くでは小鳥がさえずり、花々が春の陽を浴びて揺れている。


 もう、この胸の中が空になることはない──そう思うだけで、世界はこんなにも温かい。

 これからは、泣いてばかりじゃなくて……彼と一瞬に、笑って歩いていける──


 フィリアが再びその胸に頬を寄せると、彼女を包む腕の力が強くなった。その温もりに体を預けて微笑む。


 二人を包む春の風が、森の奥から柔らかな香りを運んでくる。


 ふたりの新しい季節が、静かに始まろうとしていた──

──再び巡り合った温もり。

涙の果てに待っていたのは、かけがえのない日常と、共に歩む未来。


傷つき、失い、そして取り戻したふたりの物語は、ここでひとつの終焉を迎える。

けれど、それは終わりではなく──新しい始まりの鐘の音。


次回、エピローグ「君を想い続ける日々」

いまここにある幸せと、未来へと続く希望の物語。

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