表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊樹の眠る場所で、君を想う  作者: 星谷明里
最終章 眠る精霊樹
35/39

第三十三話 すれ違う想い

 吐く息は白く、冷たい風が凍りついた大地を撫でていく。

 一行は、深い精霊の森を黙々と進んでいた。


 冷たい空気の中でも葉を纏う木々は天を覆うように枝を広げ、淡い光が木漏れ日となって降り注いでいる。けれど、そこに宿るはずの精霊の気配はなく、森はどこか死んだように静まり返っていた。

 ただ冷気だけが肌を刺し、歩みを重くする。


 フィリアはテオドールを見つめた。

 彼は無言のまま少し先を歩き、背中を向けたまま振り返ることはない。

 少し前まで、隣に寄り添ってくれていた優しい微笑みも、ふと触れる温もりも、まるで幻のように遠ざかっていた。


「……テオ……」


 小さく呼んでみる。

 けれどその声は冷え切った森に吸い込まれ、彼の耳に届いた気配はない。

 胸の奥にぽたりと落ちた不安は、広がる波紋のように彼女の心を揺らしていった。


(どうして……どうして、こんなに遠いの……? この間までは、いつも傍にいてくれたのに……)


 心の中で呟きながらも、言葉にはできない。

 フィリアは唇を噛むと、潤んだ瞳を隠し、必死に涙を堪えた。

 凍える寒さの中、歩き続ける足取りがふと揺らぐたび、胸の奥の寂しさが彼女を締め付けていく。


『フィリア……』


 クロリスが羽を揺らして頬に寄り添う。

 その小さな体は温もりを分けるように彼女に寄り添い、心配そうな瞳を向けていた。

 フィリアは微笑もうとしたが、頬が強ばり、言葉は震えていた。


「……大丈夫よ……ありがとう、クロリス」


 歩みを進めながらも、フィリアの心は落ち着かなかった。

 彼の背中がこんなにも遠く見えるのは初めてで、胸の奥に冷たい空洞が広がっていく。

 伸ばしたい手をぎゅっと握り締め、指先に爪が食い込む。声を掛けたいのに掛けられず、言葉を飲み込むたびに喉が痛んだ。


(もし、彼に嫌われてしまったら──嫌われたから、避けられてるの……?)


 不安は、冬の森よりも冷たくフィリアの心を締め付ける。

 視線の先にある遠い背中を見つめる。手が届かない、この距離が余計に苦しい。

 彼が自分が知らない何かを抱えているのかもしれないと思っても、それに触れられないことがこんなに辛いなんて──。


 フィリアは、テオドールの背中に声を掛けたいのに掛けられなかった。どんな言葉を選んでも、彼の背中は遠くなるような気がして……。


 すぐそばにいるのに、彼の心は手の届かぬ場所へ行ってしまったようだった。


 翡翠の瞳は、潤んで光を帯びている。

 隠そうとすればするほど、悲しさは表情の隙間から零れ落ちてしまう。


 一方、先頭を歩くテオドールもまた、胸の奥で押し殺した感情に苛まれていた。


 ふいに振り返ったテオドールの目が、フィリアの瞳を捉えた。

 一瞬、彼の足が止まる。

 滲む涙、悲しみに沈む翡翠の瞳──それは刃のように彼の胸を抉った。


(フィリア……泣かないで……)


 声に出せない。

 彼女を見つめることもできず、テオドールは苦しげに瞼を伏せた。

 フィリアの涙を見た時、心臟を握り潰されたように胸が痛んだ。握りしめた拳が震えている。強く爪が掌に食い込む。

 だが、そんな些細な痛みなど、テオドールにはどうでも良かった。


(私が……彼女を苦しめている。あの笑顔を曇らせてしまったのは、私だ……でも、もう寄り添うことはできない……)


 彼女に触れたい。その涙を拭って、抱きしめたい──


 けれど、彼はその衝動を必死に押し殺し、ただ遠ざかることを選ぶしかなかった。

 迷いは胸の奥で渦を巻き、彼の心を一層硬く閉ざしていく。

 彼女を大切に思えば思うほど、手を伸ばせなくなる。その矛盾が、彼を苦しめ続けていた。


 クロリスは二人の間を見比べ、小さな胸を痛めていた。

 あの夜、口にした“(つがい)”という言葉が、彼を縛ってしまったのではないか──それで、テオドールは距離を取るようになり、フィリアは胸を痛めている。

 そう考えると、心が潰れそうだった。


(どうしたら、ふたりを……元に戻せるの……?)


 けれど今の彼女には、ただ羽を揺らしてフィリアに寄り添い、見守ることしかできない。


 沈黙は、冷え切った森にいっそうの寒さを呼び込んでいた。

 吐く息の白さだけが、確かに彼らがここに生きている証のように、淡く揺れて消えていった。


* * *


 冷たい風が木々を揺らし、雪混じりの白い欠片が舞い落ちる。

 一行は沈黙のまま歩き続けていた。


 やがて森の奥、視界を覆うように巨大な樹がそびえ立つのが見えた。

 幹は何人もの大人が手を繋いでも抱えきれぬほど太く、枝葉は冬の寒さをものともせずに深緑を湛えている。

 しかしその表面には黒い染みのようなものが広がり、樹皮は所々にひび割れを抱えていた。


 ──精霊樹。


 伝承に語られた聖なる樹が、静かにそこに佇んでいた。


 けれどその姿は、何かに蝕まれ、長い眠りと呪いに囚われているかのように痛々しかった。

 足を止めた一行は言葉を失い、ただその異様な光景に見入るしかなかった。


 そして、胸の奥に重く沈む不安を抱えたまま──彼らは、真実へと繋がる扉の前に立ったのだった。

神聖な輝きを失った精霊樹──静寂を破るように、黒き影が蠢き出す。その瞳には理性の光はなく、ただ禍々しい気配だけが漂っていた。


恐怖と困惑に包まれる一行。

そして、ある名が語られるとき──隠されていた真実が、少しずつ顔を覗かせていく。


次回、第三十四話「精霊樹」

精霊樹に巣食う影が、ふたりの行方を揺るがす──

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ