第三十一話 冬を迎えて
【最終章のあらすじ】
冬を迎えた精霊の森。
すれ違うふたつの想いと、明かされる真実。
精霊樹の眠る場所で、二人が選ぶ答えは──
永遠に“君を想う”心と共に……。
冷たい空気を纏い、静寂に覆われた精霊の森。その奥に隠された真実が、ふたりの旅路の答えとなる──
夜が明けて、一行は精霊の森へ向かって足を進めていた。
冬の訪れを告げる風が、街道を冷たく吹き抜けていく。空は青く澄み、遠い山々は白い雪を冠している。吐く息は白く、頬を撫でる風は肌を刺すように冷たい。
白い息を吐きながら歩いていると、不意にフィリアが小石につまずき、軽くよろめいた。
「……っ」
咄嗟に、テオドールの手が彼女の体を支える。
その大きな掌の温もりに、フィリアの心臓がどくんと跳ねた。
「フィリア、大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込む水色の瞳に、フィリアは頬を赤らめながら小さく頷いた。
「……はい。ありがとう、ございます」
けれどその後も、フィリアはどこかぎこちなく歩いていた。草花には霜が降り、地面は寒さに硬くなっている。
冷たい風に揺れるフィリアのケープを見やり、テオドールは自身の外套でその肩を包んだ。
戸惑いに揺れる、翡翠の瞳がテオドールを見上げる。
(これじゃ、テオが寒いわよね……)
フィリアは外套を返そうと手を伸ばしかけて、ふと胸の奥がきゅっと疼くのを感じた。
(……もう少しだけ、この温もりに包まれていたい……)
そう思った自分に気付いて、少しだけ俯く。けれど体に纏う彼の外套の重みは、どこか心地よくて、離れ難かった。
「……テオが寒いでしょう? これは返します」
「大丈夫です。私は寒さに強いので……」
フィリアが外套を返そうと手を伸ばしたとき、彼の指先が一瞬だけ彼女の指に触れた。思わぬ温もりに、フィリアの瞳が揺れて、頬がほんのりと染まる。
テオドールは気付かぬふりをしたが、その耳の先がうっすら赤く染まっていた。
「……フィリアには大きいようですが、着ていてください」
テオドールはフィリアに着せた外套の首元を留め直すと伏し目がちに微笑む。
そして、少し考えるように黙り込み──そっと彼女の手を取った。
「道が凍っているかもしれません。……手を繋いで歩きましょう」
思いがけない言葉に、フィリアは一瞬目を丸くする。
けれど握られた手が温かくて──
「……はい」
照れくささを隠すように、フィリアは俯き気味に返事をする。
手を包み込む温もりと、ふたりの間に流れる柔らかな空気。彼の手に包まれて、心も暖まっていくようだった。
冬の冷たい風の中で、それは何よりも優しい灯火のように感じられた。
* * *
精霊の森へと続く街道を歩むフィリアたちは、やがて野営に適した林の傍らに腰を落ち着けた。
昨夜のうちに買い揃えた食材を荷から下ろし、焚き火を囲むように座り込む。
『本当に寒くなってきたわね〜! 春が待ち遠しいわ』
フィリアとお揃いの白いケープを纏うクロリスが、ぶるりと震える。
「今から食事の準備をします。温まるものを作りますね」
「焚き火のそばで暖まっていてください」とフィリアたちに微笑みかけると、テオドールは食材を手に取り、手際よく野菜を切り分けていく。
手元は迷いなく、包丁の音が心地よく響いた。焚き火の鍋には切った野菜と香草、干し肉などがそっと落とされ、やがて湯気とともに豊かな香りが広がっていく。
「わぁ……美味しそう」
フィリアが声をあげると、テオドールは少し照れたように微笑む。
「神殿で教わって、似たようなものが多くてすみません……」
「テオの料理はすごく美味しいです……いつも作ってくれて本当にありがとう」
フィリアの微笑みと柔らかな声音に、テオドールの胸が温かくなる。微笑んだ水色の瞳と目が合って、フィリアの胸が高鳴った。
冬の空気のなかで、優しい時間がふたりを包み込んだ。
鍋から立ちのぼる湯気がフィリアの頬を赤く染め、ふわりと香草の香りが髪を揺らした。
やがてひと煮立ちさせて、野菜の甘みと香草の香り、干し肉が溶け合ったスープが出来上がった。
「どうぞ」
差し出された木椀を両手で受け取ると、ふわりと湯気が顔を包み込む。
ひと口含んだ瞬間、体の芯まで温もりが広がっていった。
「美味しい……」
心からの声が漏れ、テオドールが穏やかに微笑む。
『あったまるわね〜! おかわりはまだあるの?』
「……クロリスさんの分なら、何杯でもありますよ」
クロリスの言葉にテオドールが吹き出し、フィリアも小さく声を上げて笑った。
ぱちぱちと焚き火が弾ける音と、スープのやわらかな香りに包まれ、ふたりの距離は自然と近づいていった。
* * *
食後、フィリアは立ち上がり、手にした籠をそっと広げる。
「今度はわたしが簡単なものを用意しますね。少しですけど……」
彼女が取り出したのは、昼のうちにこっそり仕込んでいた野菜の蒸し料理だった。野菜は、昨日の行商で厳選したものだ。温め直してから、丁寧に木皿に盛っていく。
彩り豊かな人参や芋、香草を添え、素朴ながら心のこもった一皿。
「テオドールに、どうしても食べてもらいたくて……」
そう言って皿を差し出すフィリアの頬は、焚き火の赤に染まっている。
満腹になったクロリスは、フィリアの掛毛布の上で寛ぎながら、静かにふたりの様子を眺めていた。
「ありがとうございます……いただきます」
テオドールは受け取った皿をじっと見つめ、ゆっくりと口に運んだ。
──優しい味だ。
舌に広がるのは素朴で柔らかな甘み。それ以上に、彼女の想いがすべて込められているように感じられた。
「……とても、美味しいです」
そう告げる声に偽りはなく、フィリアの顔が安堵に染まり、花のように綻んだ。
焚き火のぱちぱちと弾ける音の中で、ふたりの間に静かなぬくもりが生まれていた。
* * *
食後のひととき、星の瞬く夜空を仰ぎながら、焚き火に照らされたフィリアは次第に瞼を重くしていった。
気付けば、彼女はそっとテオドールの肩に身を預けていた。
テオドールは、微笑んで微睡むフィリアを見つめていた。
(……この時間が、終わらなければいいのに……)
彼の温もりを感じながらフィリアの胸にふと浮かんだ願いは、白い息と共に夜空へと溶けていった。
「フィリア……」
テオドールの囁くような呼びかけに、フィリアの小さな寝息が答えた。
(この感情は、何だろう……)
胸を満たすその想いを何と呼ぶのか、テオドールは知らなかった。
ただ、その寝顔が、あまりにも無垢で、何よりも愛おしかった──
テオドールはしばらくそのまま動かず、彼女を見守り続けた。
やがて、小さな寝息が聴こえ始めると、そっと外套を脱ぎ、華奢な体を守るように包んだ。
彼女の小さな呼吸は規則正しく、深い眠りへと落ちていく。
静かな吐息を確かめると、テオドールは腕を差し伸べ、彼女を抱き上げた。
軽い体を大切に抱え、簡易テントの下にそっと寝かせる。
彼女の髪を乱さぬよう、布を整えるその仕草は、どこまでも優しかった。
* * *
そんな二人を見守っていたクロリスが、テオドールの肩にふわりと舞い降りる。
焚き火の光に翅を揺らしながら、テオドールの耳元で小さく囁いた。
『ねぇ、テオドール……フィリアの番になる気はない?』
肩にとまったクロリスのふわふわの金色の髪が、テオドールの頬をそっとくすぐる。
「番……?」
意味を確かめるように呟いた声。
クロリスは微笑んで頷く。
『妖精たちの言葉で“番”っていうのは、伴侶のこと……ずっと共に生きていく存在のことよ』
『あなたなら、あの子のこと、大切に守ってくれると思って……』と付け加えたクロリス。
彼女は、旅のはじまりからずっと二人を見守ってきた。
時にぎこちなく、時に不器用に──それでも確かに寄り添う二人を見てきたからこそ、思わず問いかけてしまったのだ。
クロリスの言葉に、テオドールの瞳が揺れた。
意味を理解した途端、頬にほんのりと淡い赤が差す。
『テオドール?』
だが次の瞬間、彼の瞳は暗い影を帯びていた。
彼女を大切に思えば思うほど、その言葉がテオドールの胸に深く突き刺さった。
唇を引き結び、テオドールは険しい表情で俯いた。
クロリスはその変化に気付き、翅をしゅんと下げる。
(……あれ? すごく良い感じだと思ったのに……余計なこと、言っちゃったかしら……)
心配そうにテオドールを見つめながら、クロリスは焚き火の向こうに視線を向けた。そこでは、淡灰色の外套に包まれて、小さな寝息を立てて眠るフィリアの姿がある。
星空の下、静かな夜はなおも更けていく──
──冬の森に広がる、静かな気配。
フィリアたちはついに、精霊たちが守るという聖域へと足を踏み入れる。
凍える寒さと深い緑に包まれたその地で、彼らを待つのは安らぎか、それとも……。
次回、第三十二話「精霊の森」
新たな真実への扉が、静かに開かれる。




