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精霊樹の眠る場所で、君を想う  作者: 星谷明里
第五章 風車の谷リュンデル ―止まった風と灯される願い―
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第三十話 深まる絆

 村人たちに見送られて風車の谷を後にしたフィリアたちは、精霊の森へ向かう街道を進んでいた。

 季節は冬を迎えようとしており、吹き抜ける風は次第に冷たさを増している。空は澄み、遠くの山々は白く雪を被り始めていた。


 谷の出口では、老若男女が総出で手を振っていた。


「どうかお元気で!」

「また帰ってきてくださいね!」


 彼らの笑顔や声は、胸の奥に温もりとして刻まれていた。

 その声に振り返ったフィリアは、胸の奥がじんと熱くなる。テオドールも軽く会釈を返し、村人たちの姿が小さくなるまで振り返り続けていた。


 こうして二人は、緑深き精霊の森を目指し、次なる旅路を歩み始めた。


* * *


 道中、小さな荷車を馬に引かせて旅をしている行商の夫婦と出会った。荷台には果物や野菜、乾物、日用品がぎっしりと積まれている。

 気さくな奥さんは「サマンサ」と名乗ったが、ご主人からは「モナ」と呼ばれていた。


「サマンサさん? ……モナさん?」


 首を傾げたフィリアに、奥さんは豪快に笑った。


「“モナ”は、ダンナが呼ぶ愛称さ」


 その様子を見て、フィリアは(素敵……)と胸の奥で小さく呟く。


 クロリスはといえば、荷台の上に置かれた焼き菓子をじっと見つめ、あからさまに羽をぱたつかせていた。


『ねぇフィリア、これ美味しそうよ!』


 紫水晶の瞳を輝かせる妖精に笑いかけて、フィリアは菓子を包んでもらい、夫婦から干し肉や新鮮な果物も買い揃えた。


 そのとき、サマンサがふとテオドールの胸元を見て目を細める。そこには、翡翠を嵌め込んだペンダントが光を受けて淡く輝いていた。


「あら……恋人の瞳の色を身につけるなんて、素敵ね」


 その言葉にテオドールの頬がかすかに赤く染まる。だが、フィリアは少し離れた場所で野菜を選んでおり、そのやり取りには気付いていなかった。


 やがて夫婦と別れ、荷車の後ろ姿が遠ざかっていく。

 その背を見送りながら、フィリアの翡翠の瞳にはどこか憂いが滲んでいた。


 ──ああ、もし生きていたなら。

 父と母も、あのふたりのように笑い合っていたのだろうか。

 薬草の荷車を引きながら、肩を寄せ合い、時には冗談を言い合い……。


 胸に広がった光景に、懐かしさと切なさが入り混じる。

 けれどその想いは、すぐ隣にいるテオドールを意識した瞬間、形を変えていった。


(いつの間にか……わたしは、あの人と並んで歩く未来を思い描くようになってる……)


 フィリアは、自分の心が揺れていることに気付き、慌てて小さく首を振った。


 ──でも、テオドールは中央神殿の神官……この旅が終わったら、きっともう……。


「フィリア、どうかしましたか?」


 テオドールが気付いて声をかける。

 フィリアは少しだけ躊躇った後、口を開いた。


「……わたしの両親も、行商をしていたんです」


* * *


 彼女の言葉に、風が一瞬止まったように感じられた。


 フィリアの祖母は精霊師だったが、両親は薬草を売り歩く行商をしていた。幼いフィリアは、両親の帰りをいつも村の外れで待っていたという。

 しかしある日、旅先から戻る途中で不慮の事故に遭い、両親は帰ってこなかった。

 それからは祖母が母のように育ててくれた。だが、その祖母も三年前に……。


「でも、両親に愛してもらったことは覚えています……」


 フィリアは小さく微笑んだ。涙が頬を伝いそうになりながらも、必死に前を向いていた。


 テオドールは、フィリアを見つめながら胸の奥がわずかに締めつけられるのを覚える。


 ──こんなにも強く、優しく生きていられるのは、きっと愛されて育った証なのだろう……。


 彼女の優しさや涙……様々な表情に触れるたび、失いたくない──その笑顔を守りたいという想いが、静かに募っていく。


「育ててくれたおばあちゃんも、愛してくれた……だから、わたしは平気です」


 そう言い切る彼女の声は震えていた。


 テオドールは何も言わず、そっと彼女の傍に寄った。

 そして、頬を伝おうとした一粒の涙を、その指先で静かに拭った。


 フィリアは驚いたように瞳を見開いたが、やがて小さく微笑む。

 クロリスは少し離れた場所からその様子を見守り、翅を揺らして微笑んでいた。


 気付けば、テオドールの表情や言葉から、かつての淡白さは姿を消し、笑顔や優しさを自然に見せるようになっていた。


 フィリアは胸の奥が熱くなるのを感じ、自分の中で芽生えた特別な感情を改めて自覚した。


* * *


 その夜、野営の準備を整え、焚き火の明かりの中で夕食を済ませた後のこと。


「あの……」


 見つめ返してきたテオドールを見上げ、フィリアは少し緊張した面持ちで口を開いた。


「わたしも……愛称で呼びたくて……“テオ”って、呼んでも良いですか?」


 テオドールの瞳が驚いたようにわずかに見開かれる。だが、すぐに穏やかな光を宿し、静かに頷いた。


「構いませんよ」


 その言葉に、フィリアの顔がぱっと明るくなる。


「それじゃあ、これからは、“テオ”と呼びますね」


 彼女の笑顔に、テオドールは思わず顔を逸らす。

 その耳がほんのり赤く染まっているのに、フィリアは気付いてしまった。


(もしかして、照れてる……の?)


 胸の奥で、何かが確かに変わっていくのを感じていた。


* * *


 その晩、焚き火の炎が揺れる中、ふと気付くとテオドールの指先がわずかに震えていた。


「テオ……? どうかしたんですか? 寒いんですか?」


 心配そうに覗き込むフィリアに、彼は微笑みを浮かべる。


「……すみません、少し疲れが出ただけです」


(疲れ……? ここ最近、無理をしていたのかな……)


 フィリアはその手を両手で包み込んだ。


「手が震えてます……無理をしてたんじゃないですか?」


 真剣に見つめる翡翠の瞳に、テオドールは静かに答える。


「少し長旅の疲れが出ただけです……心配をかけてすみません」


 焚き火の光に照らされる彼の横顔はどこか儚げで、フィリアの胸が締めつけられる。

 包んだ手から伝わる温もりが、彼との距離を痛いほどに近く感じさせていた。


(この温もりを失いたくない……ずっと、そばにいられたら良いのに……)


 気付けば、そんな想いがはっきりと形を成していた。風車の村で、ランタンにも書いた願い……。

 ただの仲間としてではなく、もっと特別な感情として。


 フィリアは唇を噛み、そっと自分の想いを胸にしまい込んだ。

 それでも──その瞳は、テオドールだけを映していた。


 冬の気配を孕んだ風が吹き抜けても、焚き火の光と、互いの温もりがそこに確かにあった。


 二人の絆は、静かに、しかし確かに深まってきていた──

次回から始まる、最終章「眠る精霊樹」

ふたりは、ついに旅路の果てに待ち受ける「精霊の森」へ──


精霊樹を守る神秘の森で、フィリアとテオドールを待つものとは何か。

そして明かされる真実が、二人の絆を試すことになる──

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