第二十八話 風祭りの灯り
秋の夕暮れ、リュンデル村は柔らかなざわめきに包まれていた。
数か月ぶりに風が戻ったことで、村人たちの表情は明るさを取り戻し、広場には笑い声が響いている。止まっていた風車は元気に羽根を回し、磨き直された風鈴が澄んだ音を奏でていた。
初夏に風が止んで以来中断されていた風祭り──その復活の日が、ようやく訪れたのだ。
村人たちは家の軒先や風車に新しい布を飾り、風鈴を磨き直す。
広場に並ぶテーブルには、各家で作られた団子や焼き菓子が並ぶ。谷に風が巡るたびに香ばしい匂いが漂い、人々は目を細めて深く息を吸い込んだ。
「やっと……本当の秋が来た気がするな」
「子どもたちに、また風祭りを見せてやれるね」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
* * *
フィリアとテオドール、そしてクロリスもまた、その光景を見守っていた。
鮮やかな色紙に囲まれた集会所では、村人たちが慌ただしく準備を進めている。
「ランタンを作るんですか?」と微笑んだフィリアに、近くの女性が笑顔で答えた。
「秋の風祭りは特別で、ランタンに願いを書いて、夜に空に飛ばすのが習わしなんです……願いが、精霊様に届きますようにって」
フィリアは目を輝かせて微笑んだ。
「素敵ですね……きっと、皆さんの願いはアエリオス様に届くと思います」
フィリアの言葉に女性は頷き、目を潤ませた。
「今年はもう無理だと思っていたんです……こうして風が戻ってくれて、本当にありがたいです……」
女性は、涙を浮かべてフィリアとテオドールを見つめる。
「精霊師様、神官様……この村を──この谷を救ってくださり、本当にありがとうございました」
頭を下げた女性に合わせて、周りにいた村人たちも次々とフィリアたちに頭を下げる。
「どうか、顔を上げてください! わたしはお願いしただけで……風が戻ったのは、精霊たちのおかげですから……」
そう言ったフィリアは少し困った表情をしていたが、幸せそうな村人たちの様子に胸の奥が温かくなるのを感じていた。
* * *
子どもが震える指で「かぞくがずっとなかよくできますように」とランタンに書き、その隣にいる幼子は家族の絵を描いている。老人は、「アエリオス様と今年の実りに感謝を」と筆を走らせ微笑んだ。
その一つ一つに、精霊への感謝や祈りが込められていた。
フィリアもまた、村人からもらったランタンを手に取った。筆を握り、静かに願いを込める。
(……これからも、テオドールと一緒にいられますように)
胸の奥から溢れた願いを文字にし、誰にも見えないようにそっと隠す。
隣では、テオドールが真剣な顔でランタンに向かっていた。
(テオドールの願いは、何かしら……)
「──!……フィリア、駄目ですよ!」
フィリアが見ていることに気づき、彼は慌てて隠したが、クロリスが反対側からちゃっかり覗き込み、口元をにやりとさせた。
『ふふっ……素敵ね、テオドール。フィリアも見ちゃえば?』
「クロリスさん!」
テオドールが小声で抗議するも、すでに遅い。そこに書かれた文字を見てしまったフィリアは頰を染めていた。
──『フィリアがずっと笑顔でいられますように』
胸が熱くなり、フィリアは恥ずかしそうに少しだけ俯いた。
「……ありがとう」
小さく呟かれたフィリアの声に、テオドールの耳もわずかに紅く染まった。
* * *
やがて夜が訪れた。
満天の星々が谷を見下ろし、優しく吹き抜ける風が布や風鈴を揺らし、澄んだ音を響かせる。
精霊の風車のある広場では、村人たちがそれぞれ作ったランタンに火を灯していく。
火が灯ったランタンを嬉しそうに抱える子どもたち。フィリアもランタンを抱えて、幸せそうな村人たちを見つめていた。
「フィリア、火は私が点けますよ。貸してください」
「──あっ、待って! こちらからお願いします」
ランタンに手を伸ばしたテオドールに、慌ててランタンの向きを変えるフィリア。
テオドールは苦笑すると、フィリアのランタンへと火を灯した。
「テオドール、ありがとう……」
(恥ずかしくて、絶対に見せられない……)
フィリアは、ランタンの願いが書いてある面を自身の胸に隠すように抱いて、空を見上げる。
「皆、ランタンの準備は良いか?」
村人が広場中を見回して、火の灯っていないランタンはないか確認する。
「それじゃあ、行くぞ!」
村人たちは笑顔で頷き合う。
「「「アエリオス様に、届きますように……!!」」」
村人たちは、一斉にランタンを空へ放った。少しだけ遅れて、フィリアとテオドールも空へとランタンを放つ。
ふわり、ふわりと浮かび上がる灯りが、谷の風に乗ってゆっくりと流れていく。 炎の赤みを透かした紙は、星空に咲く花のように連なり、風鈴の音と共に天へと登っていった。
その光景に、人々は声を上げることなく、ただ涙を浮かべて見上げていた。
音のない歓声──胸の奥で弾ける祈りのような沈黙が、谷全体を包み込んでいた。
「わぁ……」
淡く光るランタンが昇っていく夜空を見上げ、子どもたちが声を上げた。寄り添う大人たちは、目頭を押さえている。
「ランタン、すごく綺麗ですね」
「はい……」
願いを込めた無数のランタンは、流れる風とともに星々へ近づいていく。
その光景を見上げながら、フィリアはそっと両手を胸に当てる。
フィリアを見て微笑んだテオドールは、放ったランタンへと目を向ける。風を受けてふわふわと昇っていくランタンが、向きを変えて──
(あれは、フィリアの……)
テオドールの視線の先には、フィリアのランタンが漂っている。
水色の瞳にかすかな憂いを滲ませて、テオドールはその拳を静かに握りしめた。
灯りを抱いたランタンが空へ昇るたび、谷を渡る風がその背を押すように吹いた。
まるで風の精霊が一つ一つの願いを導いているかのように。
人々は静かに両手を合わせ、夜空に浮かぶ光の群れを祈るように見送った。
「アエリオス様……皆の願いが、どうか届きますように……」
そう囁いて空を見上げるフィリアを、テオドールが見つめている。
その頰を、谷を渡る涼やかな風がそっと撫でていった。
夜空を漂うランタンの残光は、やがて星の瞬きに溶けていった。
だが広場に立つ人々の胸の奥には、確かに光が宿ったまま残っている。
それは再び風を得た村の証であり、未来へ繋がる希望だった。
* * *
ランタンが星々に溶けていった後も、村人たちの笑顔は絶えることがなかった。
長く止まっていた時間が、ようやく動き出したのだ。
フィリアとテオドールは肩を並べ、広場の隅に立っていた。
「……きっと、この先も大丈夫ですよね」
フィリアが呟くと、テオドールは静かに頷いた。
「ええ……どんな困難があっても、きっと大丈夫です」
ランタンの残り香を乗せた風が二人の間を抜け、クロリスの翅をそっと揺らした。
その夜、リュンデル村の風祭りは、かつてないほどの祈りと希望を夜空に描いたのだった。
次回、第二十九話「風の谷の贈り物」
贈り物が結んだ、ふたりの絆。
そして谷を越え、精霊の森へ──。
待ち受けるのは、安らぎか、それとも試練か……。




