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精霊樹の眠る場所で、君を想う  作者: 星谷明里
第四章 豊穣の街ミルディナ ―枯れゆく大地と芽吹く命―
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第二十四話 命への祝福

 干ばつが解消され、ミルディナの街は人びとの穏やかな笑顔に包まれていた。街では、着々と祭りの準備が進み、ついに豊穣祭を迎える日を迎えた。


「フローレンス様、もうお加減は大丈夫なのですか?」

「はい、おかげさまで……今日の豊穣祭に参加させていただこうと思ってます」


 微笑んだフィリアに、町長が安堵の表情を浮かべる。


「それは良かった……ぜひ、この街の大恩人のお二人には、ゆっくり楽しんでいただけると嬉しいです」


 町長が、フィリアとテオドールの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「この街を、この地を救っていただき、本当にありがとうございました……このご恩は、これからもこのミルディナの地で語り継いでいきます」


 ミルディナの町長は、深々と頭を下げた。


「そんな……助けてくれたのは、精霊たちなので……」


 困ったように微笑むフィリアを、テオドールがそっと見つめている。


「ご謙遜を……」と笑った町長が、思い出したかのように口を開く。

「──そういえば、あなたはフローレンス様と……まさか、あのオリーブ・フローレンス様のお孫様で?」

「はい……オリーブ・フローレンスは、わたしの祖母です」


 フィリアの返答に、町長が嬉しそうに微笑んだ。


「やはり……昔、豊穣祭の折に、この町に来てくださったことがありました……精霊信仰の深い方々の間では名の知れた、立派な精霊師様でしたな……」


(……おばあちゃん、やっぱりこの町に来てたんだ……)


 フィリアはテルミナの言葉を思い出し、その瞳をわずかに滲ませた。


「……このミルディナは古くから、精霊樹様とテルミナ様の恵みに支えられてきました……もしご興味があれば、わが家には精霊樹様に纏わる古い伝承を記した書物があるのですが……ご覧になりますか?」


 町長の提案に、フィリアが目を輝かせる。


「はい! ぜひ見たいです!」


 フィリアの返答に、町長は嬉しそうに頷いた。


* * *


 屋敷の蔵書室に案内された一行。

 わずかに黴臭いその部屋には、厚いカーテンが引かれていた。

 町長が先に部屋へと入りカーテンを開くと、穏やかな日差しが暗かった室内を明るく照らす。

 その部屋には古びた本棚が並び、多くの書物が並んでいた。部屋の中央には品の良いテーブルセットが並び、部屋は綺麗に調えられていた。


「おふたりとも、どうぞお掛けください」


 町長の言葉に、フィリアとテオドールが静かにソファへと腰を下ろす。

 それは、想像していたよりもずっと柔らかかった。腰を深く沈めたフィリアが軽く目を見開くと、その様子を見ていたテオドールが優しく目を細める。

 クロリスは、ふわりとフィリアの肩へと止まった。


「こちらの書物が、わが家にある一番古いものです」


 町長が、本棚の奥に仕舞われていた薄汚れた木箱を持ってくる。


『随分大切にしまってあるのね』


 フィリアの肩に座ったクロリスが、町長の持ってきた木箱を興味津々に見つめている。


 木箱から取り出された書物は、所々傷んだり薄汚れていて、随分と古いものに見えた。


「ここにあるのは、私の高祖父の代から受け継いできた古記録です。この書物には、“かつてアルティシアに、精霊樹の加護を授かった人間がいた”……と書かれています」

「精霊樹の……加護?」


 フィリアの言葉に、町長は静かに頷いた。


「ええ……何でも、その人物は淡い緑色の光を纏って癒しの力を使ったとか……ですが、長い年月のうちに、その名も行方も、すべてが霧の中へ消えたようです……」

「そう、ですか……」


(緑色の、癒しの力……)


 フィリアは、カレナの森で負った火傷を治してもらう際に、テオドールの掌が淡い緑色に光っていたことを思いだした。


(あの光……温かくて、どこか切なかった……)


「──精霊樹様の化身だったとか、精霊樹様から愛された女性から生まれたとか、様々な説があるようですが……まぁ、伝承のようなものですね」


 そう言って笑う町長の話に、フィリアは静かに聴き入っている。

 その肩に座るクロリスは、隣に座るテオドールを見つめていた。


『テオドールは、美しいから精霊樹の加護を受けてるのかしら……』

「クロリス……!」


 小さく囁いたクロリスを、小声で諌めるフィリア。そっとテオドールの様子を伺うと、彼は、静かに微笑を浮かべ、ただ黙っていた。


 窓の外には紅く色付いた葉が舞い、深まりつつある秋の気配を知らせていた。


* * *


 祭りの熱気に包まれた広場では、太鼓や笛の音が賑やかに響き、色とりどりの布が風に揺れていた。焚き火の炎がぱちぱちと音を立て、人々の笑顔を赤く照らす。

 フィリアはそれを微笑んで見つめ、その隣にはテオドールが寄り添うように立っていた。


 人混みの中から、ふたりに向かってひとりの母親が歩み出てきた。腕には、まだ生まれて間もない小さな赤子が抱かれている。

 やつれている母親の頬は焚き火の光で赤く染まり、目元には少し緊張の色が浮かんでいた。


「神官様……どうかこの子に、祝福をいただけませんか?」


 その申し出に、テオドールはわずかに戸惑いを見せたが、静かに頷いて母子の前に立った。

 眠る赤子の額に手をかざすと、淡い祈りの言葉と共に指先から柔らかな光が広がり、焚き火の炎と溶け合うように赤子を包んだ。

 淡い光に包まれた愛らしい寝顔を見つめ、母親は嬉しそうに微笑んだ。


「……この子の名前、“テオドール”というんです。私はなかなか子どもに恵まれず……精霊樹様に祈り続けて、ようやく授かった子です……この子は、神様からの贈り物なんです」


 その名を耳にした瞬間、テオドールの指先がわずかに止まる。胸の奥に冷たく眠っていた何かがざわめき、光に照らされる。


「テオドール……クレイさんの名前と同じですね。すごく素敵な名前です」


 フィリアの笑顔に、水色の瞳がかすかに揺れる。

 テオドールは呼吸の仕方を忘れたように一瞬言葉を失い──やがて、呟くように「……ありがとうございます」と返した。その声は、焚き火の音にかき消されるほど小さかった。


「同じ名前の神官様に祝福をいただけるなんて……本当に、ありがとうございました」


「良かったわね、テオ……」と寝顔に囁いた母親は静かに頭を下げると、人混みの中へと去っていく。


 ふたりはその後ろ姿を見送って、再び柔らかな炎を見つめる。

 豊穣祭の焚き火は静かにあたりを照らし、風に舞う火の粉は星のように瞬いていた。


 テオドールの中で、先ほどのフィリアの笑顔が、心の奥でじんわりと温もりに変わり始めていた。


* * *


 祭りの喧噪がまだ続く中、空は青から橙色へと移ろっていた。夕暮れの光が石畳を黄金色に染め、風は涼やかに吹き抜ける。

 広場の端、焚き火の揺れる明かりから少し離れた場所に、ふたりは肩を並べて立っていた。


 赤く燃える西の空を見上げながら、テオドールはしばし沈黙していた。その横顔を盗み見るフィリアの胸には、祭りの高揚とは別の、穏やかな緊張が流れていた。


「……フィリア様」


 不意に呼ばれた声は、真剣で硬い。テオドールはゆっくりと翡翠の瞳を見つめ、言葉を選ぶように唇を動かした。


「これからは……どうか、名前で呼んでいただけませんか」


 夕焼けに照らされたその眼差しは、炎よりも切実で、深く透き通っていた。


「……テオドール、と」


 その申し出に、フィリアの頬が淡く紅に染まる。戸惑いながらも、心に温かさが広がっていく。


「……テオドール……」


 そう小さく口にしたフィリアに、テオドールが淡く微笑む。


「……じゃあ……わたしのことも、“フィリア”と、呼んでください」


 言葉が落ちた瞬間、ふたりの間に静かな間が訪れる。

 風が広場を飾る布を揺らし、焚き火の火の粉が星のように舞った。


「……分かりました……フィリア」


 彼の声が、驚くほど優しく響いた。

 フィリアは胸が熱くなるのを感じながら、俯いて微笑む。


『ふふ……名前で呼び合うなんて、随分いい雰囲気ね』


 肩にとまったクロリスが、茶化すように囁いた。けれど、その声音には嬉しさがにじんでいた。


 ふたりは何も答えなかった。ただ、夕暮れの光に照らされ、互いの名を心に刻むように静かに見つめ合った。


 ──揺れる炎と夕暮れの空が、ふたりの始まりを祝福するかのように。

次回、第二十五話「穏やかなひと時」


新たに始まるのは、失われた信仰と絆を、再び結び直す旅路。

そして──小さな贈り物が、ふたりの心を優しく結ぶ。


第五章「風車の谷リュンデル ―止まった風と失われた祈り―」幕開けです。

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