第二十話 ひび割れた大地
黄金色に輝く穀倉地帯──本来であれば豊かな実りの季節を迎えていたはずのその景色は、無惨な荒野だった。
見渡すかぎり、ひび割れた大地が広がっている。
収穫期を迎え、本来なら黄金の波が揺れるはずの畑は、枯草がまばらに残るだけ。乾いた風が吹き抜けるたび、粉じんが舞い上がり、空気までもがひび割れてしまいそうだった。
「……ここまで、酷いなんて……」
思わず立ち止まったフィリアの肩で、クロリスが小さく身をすくめた。
『精霊の気配もほとんど感じられないわ……まるで、大地が眠っているみたい』
彼女の言葉に、フィリアは胸を締めつけられる。黄金の大地と謳われた豊かな土地が、ほんの数か月でこれほど荒れるものだろうか。
足を進めると、やがて視線を上げた先に煉瓦造りの街並みが現れた。赤茶の瓦屋根が連なるミルディナの街だ。
街の入り口へと続く石畳の広場には、地の精霊テルミナを模した大きな彫像が立っていた。
波打つ長い髪に、その腕には小麦の束を抱える豊穣を象徴する女神の姿は、今や乾いた風にさらされ、どこか痛ましく見える。
「これが……ミルディナの街……」
フィリアの呟きに、テオドールが静かに頷いた。
* * *
街の中もまた深刻さを隠しきれていなかった。
市場の露店にはわずかな萎びた野菜や干し肉しか並んでおらず、人々はそれを分け合うように買い求めている。
通りを歩く子どもたちもやつれた顔をしており、笑い声はほとんど聞こえない。
「……やっぱり、ここも」
瞳を滲ませて小さく呟くフィリアに、クロリスがそっと寄り添った。
通りの人々は、精霊師と聞いてフィリアたちにちらりと視線を向ける。だが声を掛けることもできず、ただ祈るように彼女の背を見送るだけだった。
* * *
やがて一行は、町長の屋敷へと案内された。
煉瓦造りの堂々たる屋敷だが、中に入れば人手が足りていないのか、広間の空気もどこか重い。
「遠路はるばるお越しくださり、ありがとうございます」
初老の町長が深々と頭を下げた。目の下には濃い隈があり、その疲労は隠しようもない。
「来るのが遅くなってしまい、申し訳ありません……」
フィリアが震える声でそう告げると、町長は深く息を吐いた。
「いえ……苦しんでいるのは他の土地も同じこと。精霊師様にお越しいただき、どれほど有り難いか……」
力なく微笑んだ町長に、フィリアは唇を噛み締めた。
「お恥ずかしい限りです……本来なら豊穣の季節を迎えているはずが、ご覧の有様。作物の育ちが悪くなったことから始まり、何故か雨は何か月も降らず、井戸も枯れかけております……民は……この地は、日々の糧を失おうとしています」
町長は拳を握りしめた。
「どうか……精霊師様、あなた様の力で、この地をお救いください……」
縋るような切実な声に、フィリアは迷わず頷いた。
「はい……精霊たちの力を借りて、できる限りのことをいたします」
その答えに町長は涙を浮かべ、何度も頷いた。
* * *
その夜、屋敷の一室に通されたフィリアたち。
用意された食卓には、小さなパンと薄いスープ、そして少量の豆が並ぶだけだった。
給仕をしてくれた若い使用人の少女は、やつれた顔で深く頭を下げる。
細い体に背負われた小さな弟らしき子どもが、空腹のせいかぐずりながら眠っていて、少女はその背をあやすように揺らしている。
「……これが精いっぱいなのです。このようなもてなししかできず……どうか、許してください」
申し訳なさそうに言う町長に、フィリアは微笑んで首を振った。
「とても温かいおもてなしです……大変な中でお心遣いをいただき、本当にありがとうございます」
フィリアの言葉に、少女は涙を堪えるように唇を噛みしめ、町長は深く頭を下げた。
クロリスは、フィリアからもらったパンの欠片をちぎりながら、静かに呟いた。
『ここの人たちは皆、こんな状況で耐えているのね……』
テオドールは無言でスープを口に運びつつ、ちらりとフィリアを見やった。
俯いて食事をするフィリアの皿に、雫が一粒落ちてスープを揺らした。
(フィリア様……)
涙を浮かべながら食事を口に運ぶ彼女の横顔には、強い決意の影が宿っていた。
* * *
夜更け。
窓辺に立つフィリアは、月明かりに照らされた大地を見下ろしていた。街を囲むようにひび割れた畑が広がる光景は、昼間と変わらず荒れ果てている。
(この地を……必ず、取り戻す……必ず……)
小さく握られたフィリアの拳に、クロリスがそっと触れた。
『大丈夫よ、フィリア。わたしたちは一緒なんだから……』
その言葉に、フィリアは小さく頷いた。
振り返れば、テオドールが扉の近くに立ち、変わらぬ静かな眼差しを注いでいる。
「……明日は、街や畑を巡って、この干ばつの原因を探りましょう」
「はい……」
返事をしたフィリアの胸には、不安と同じくらいの希望が灯っていた。
けれどその小さな灯火は、ひび割れた大地に吹き荒ぶ乾いた風に、今にも掻き消されそうで──
フィリアの眠れぬ夜は、静かに更けていった。
次回、第二十一話「嘆く枯れ木たち」
この地を救うため、枯れ果てた大地を巡る一行。
突如現れた魔物との戦いの中で、フィリアは初めて自分の心に芽生えた想いに気づく。
それは恐れか、温もりか──揺れる胸の鼓動が、彼女を新たな一歩へと導いていく。




