第十九話 秋の訪れ
【第四章のあらすじ】
実りの季節に訪れた豊穣の街ミルディナ。
しかし、大地はひび割れ、枯れた木々は嘆きの声を上げていた。
地の精霊テルミナとの出会いと、命を芽吹かせるための闘い。
豊穣祭の光の中で、ふたりは命の温もりを知る。
そのひび割れた大地は、人びとの祈りには応えなかった──
涼やかな風の中、フィリアたちは北のミルディナへと足を進めていた。
夏の終わりを告げる風に混じって、どこか乾いた土の匂いが鼻を掠める。
エルデンの村を出てしばらくは緑が生い茂っていた森の木々も、次第に葉の色を褪せさせ、力を失っているように見えた。
まだ冬は先だと言うのに、どの葉も生気を無くしその瑞々しさを失っていた。
『……あの葉っぱたち、元気をなくしてる……』
クロリスがフィリアの肩の上で声を落とす。薄紫の透き通る羽も、力なく下がっていた。
落ち込むクロリスと、ミルディナに近付くに連れて弱り減っていく植物の姿を見て、フィリアの胸も痛んだ。
『……わたし、精霊なのに何もできない……』
クロリスは、悲痛な声で呟いた。
この地には、地の気だけでなく、水の気もほとんど感じられなかった。クロリスの力で花や植物の命を芽吹かせたとしても、すぐに枯れてしまうだろう。
「わたしも同じよ……クロリスや、他の精霊たちの力を借りないと、何もできないんだもの……」
そう返したフィリアは、小さく息を吐いた。その瞳にはわずかに翳りが差している。
(同じじゃない……わたしの方が、無力だわ……ひとりじゃ、本当に何もできないんだもの……)
俯いて歩くフィリアを、テオドールが心配そうに見つめていた。
* * *
「……干ばつの影響が、もうここまで来ているのね」
歩みを進めるたび、立ち寄る村々では農作物の不作を嘆く声があちこちで聞かれた。枯れた畑を前に、農夫が膝をつき、途方に暮れる姿も目に入る。
「今年はもう雨が降らねぇ……」
「畑に立ってるのも辛いくらいだ……」
「ここも大変だが、ミルディナはもっとひどいらしいぞ」
その悲痛な声に、フィリアは更に胸を締めつけられる思いだった。
元気をなくし、井戸のそばに座り込んでいる子どもたちを目にして、フィリアは立ち止まった。テオドールはその様子を静かに見守っている。
フィリアは背負っていた荷袋を下ろすと、エルデンの村で分けてもらった干し果物をいくつも取り出した。
最近では見ることのなかった果物を目にして、子どもたちが瞳を輝かせる。
「美味しそう……! ……でも、お姉ちゃんたちの分は?」
戸惑う子どもたちに優しく微笑むと、小さな手にそっと握らせる。
「お姉ちゃんたちの分もあるから大丈夫よ。これを食べたら、きっと元気が出るわ……皆で仲良く分けてね」
そう言って微笑むフィリアに、子どもたちは笑顔で「ありがとう」と答えた。
その様子を見ていた母親らしき女性がやってくると、フィリアたちに深く頭を下げた。
その顔はひどくやつれている。
「……すみません、いただいてしまって……本当にありがとうございます」
「いえ、気持ち程度ですので……どうか気にされないでくださいね」と微笑むフィリアに、子どもの母親が震える声で問いかける。
「……でも、旅人の方がこんな土地にどんなご用ですか? この先はもっとひどい有様だと聞きます……」
「わたし、精霊師なんです……ミルディナが……この穀倉地帯が困っていると聞いて……」
フィリアの言葉に、その母親は「精霊師様……」と呟いて涙を零した。
「精霊様があなた様に力を貸してくださいますように……私たちには、もう祈ることしかできませんから……」
伏し拝むようなその言葉に、フィリアは胸の奥を強く揺さぶられた。
(何とかしなくちゃ……おばあちゃんみたいに、人と精霊を繋いで、助けられる精霊師に……)
強く息を吸い込み、フィリアは再び歩みを進めた。
歩きながら、フィリアを見つめていたテオドールが静かに口を開く。
「……フィリア様。今夜は村に泊まらず、野営にしましょう」
その提案に、立ち止まったフィリアは少し戸惑いの表情を浮かべていた。
(フィリア様は優しすぎる……限られた食糧を分けてしまえば、滞在してもお互いに苦しいだけだ……私は、フィリア様を守らなければならない……)
「私たちが滞在すると、その分この村の食糧が減ります……幸い、このあたりは川が近い。保存食の残りと、水と魚があれば、何とかなるでしょう」
彼の言葉に、フィリアは微笑んで頷いた。
テオドールは少し安堵の表情を浮かべると、森へと歩き出す。
その背中を追って、フィリアは歩き出した。
* * *
「フィリア様たちは、ゆっくり休んでいてください」
川辺の森で野営の準備を整えると、テオドールは小川へと向かう。
風を操って水面を揺らし、数匹の魚を器用に岸へと打ち上げる。
『わぁ! さすがね、見事だわ!』
その様子を見ていたクロリスが、拍手するように両手を叩く。
「魔法って、こんなことにも使えるんですね」
感心するフィリアに柔らかな視線を向けると、テオドールが捕った魚を持って戻って来る。
魚は串に刺して塩を降って焚き火でじっくりと炙られ、香ばしい匂いを漂わせている。
さらに、小さな鍋には干し肉と乾燥野菜と野草を入れ、煮立つスープの湯気が夜気に溶けていった。
「……美味しい……」
スープを口に運んだフィリアが小さく呟く。疲れを溶かすような優しい温かさが、体中に広がっていった。
「口に合ったようで、何よりです……」
『テオドールの作る料理は、何でも美味しいわよね!』
クロリスの言葉に、フィリアは笑って頷いた。大きな川魚を美味しそうに頬張っている。
テオドールは、その様子を優しい眼差しで見つめていた。
焚火の赤い光に照らされ、三人は束の間の安らぎを味わった。
涼しくなり始めた秋の夜に虫の音が響き、空には澄んだ星が瞬いていた。
* * *
食事を終えたあと、フィリアは焚火のそばで薄手の毛布にくるまり、静かに眠りに落ちていった。
その寝顔を、テオドールはふと見つめる。
(……こんな無防備に眠って……)
彼は小さく息を吐き、干していた自分の外套を手に取った。
薄手の毛布から覗く華奢な肩に、そっと掛ける。
指先がほんの一瞬、彼女の柔らかな栗色の髪に触れた。
月明かりに照らされるフィリアの横顔は、静かな安らぎの中にあり──その姿に、彼の瞳が揺れた。
(……なぜだろう。彼女のことを、こんなにも……)
答えの見つからない想いが、胸の奥に小さな波紋を広げていく。
焚火の爆ぜる小さな音だけが、静寂を破っていた。
──その様子を、クロリスは静かに見守っていた。
(……ほんと、優しいのよね……ちょっと不器用みたいだけど)
心の中でそっと呟き、小さな瞼を伏せた。
夜は深まり、風は乾きを増していく。星々はやけに鋭く瞬き、まるで来たる試練を告げているかのようだった。
けれどその夜、彼女の眠りを守るように揺れる焚火の炎だけは、あたたかな光を絶やさなかった。
次回、第二十話「ひび割れた大地」
乾いた風が吹き抜け、ひび割れた大地が静かに広がっていた。
穀倉地帯ミルディナに待つのは、枯れ果てた大地と人びとの嘆き。
フィリアたちは町長の屋敷を訪ね、その現実と向き合うことになる──




