第十八話 夏の終わりに
フィリアたちがエルデンの村を発つ日の朝──
村の入口には、朝靄の中に村人たちが集まっていた。
籠いっぱいの果物や干し肉を手渡されながら、フィリアは「ありがとうございました!」と深く頭を下げる。
クロリスも花冠を揺らして、『良い村だったわね。また遊びに来るわ!』とフィリアの肩にとまり一緒に手を振った。
フィリアの笑顔に、村人たちも温かな笑顔で応えた。
見送りの喧騒を背に、三人は森へと続く小道を歩き出す。
そのとき──ふと視線を感じて、フィリアが振り返った。
人だかりの外れに、ひときわ赤い光が瞬いた。
炎の粒子のようなきらめきの中に、赤毛を揺らすカレナの姿があった。彼女は何も言わず、ただ静かにフィリアを見つめている。
次の瞬間、その姿は炎のきらめきに溶け、風に散るように消えていった。
(……きっと、見守ってくれているんだわ……)
フィリアが再び深く頭を下げると、手を降っていた村人たちも頭を下げた。
フィリアは彼らに笑顔で手を降って、前を向き直した。視線の先には、森の小道を先導するテオドールの背中。まだ暑さの残る風に、淡い灰色の外套が揺れている。
胸の奥に熱を抱いたまま、フィリアは一歩を踏み出した。
* * *
エルデン村を発ってしばらく歩いた一行。
夏の陽はまだ強いが、森を吹き抜ける風は少しずつ秋の気配を孕みはじめている。
「フィリア様、川のせせらぎが近いようです……休んでいきますか?」
歩きながら耳を澄ませていたテオドールが、淡々とそう告げた。
「良いですね! 川辺で涼んでいきたいです」
『わたし、水浴びしたいわ!』
笑顔のフィリアたちに、テオドールも柔らかく微笑んだ。
やがて茂みを抜けると、木漏れ日にきらめく小川が現れた。透き通った水面には涼やかな光が踊り、草陰には白い小花が揺れている。
『綺麗な小川……わたし、水浴びするわ! フィリアも入りましょうよ』
「えっ……わたしも水浴びするの?」
クロリスの提案に、フィリアが恥ずかしそうに頬を染めた。そっとテオドールの様子を伺うも、いつも通り涼しい顔をしている。
「……私が先に、水の安全を確かめます」
そう言うとテオドールは外套を脱ぎ、近くの木の枝に掛けた。続けて、白い神官服の上衣に手を掛ける。
ほんのりと頬を染めたフィリアは、慌てて後ろを向いた。
──水音が、聴こえる……。
テオドールが澄んだ水をすくって肩へとかけると、その体に雫が流れ落ちる。陽光を受けて滴る水が、肌の上で一筋の光となってきらめいた。
(どうして、わたしが恥ずかしいの……?)
『気持ちよさそうね! わたしも入ろうかしら』
「──ちょっと、クロリス……っ!」
振り返ってしまったフィリアは、思わず目を逸らした。
ちょうど、テオドールは小川から上がるところだった。視界に入ったその姿に胸がどきんと跳ね、頬が熱を帯びる。
「ご、ごめんなさい!」
「私は構いません。むしろ、このような姿をお見せしてしまい……失礼しました」
涼やかな声でそう言う彼に、フィリアは余計に言葉を失う。
濡れた白金色の髪から雫がいくつも滴り、白い肌をつたっている。細身だと思っていた体は──
『へぇ……意外と逞しいのね』
クロリスの囁きに、『クロリス!」と小さく叫び、耳まで真っ赤にしているフィリア。
見てはいけないと思うのに、どうしても視線が逸らせなかった──
* * *
濡れた体を軽く拭いたテオドールが、風魔法で髪や衣を乾かしているのを見て、クロリスがぱっと目を輝かせた。
『次はわたしの番ね! ほら、フィリアも入るわよ!』
「えっ……わ、わたしは足だけにするわ……」
フィリアは木陰でタイツを脱ぐと、スカートの裾を軽く持ち上げて膝まで水に入った。
「わぁ……冷たい! でも気持ちいい……!」
クロリスは水面をぱしゃぱしゃ叩いてはしゃぎ、フィリアも小川に素足をさらして笑みを浮かべた。
川辺で二人を見守るテオドールは、目を細めてその様子を見ていた。
その視線の先には、フィリアの無邪気な笑顔──
淡い笑みが、彼の口元を柔らかく彩っていた。
* * *
『あっ、あれ見て! 美味しそうな実がなってる!』
クロリスが指差した先、枝の高い位置に黄金色の果実が揺れていた。
「……少々お待ちください」
テオドールが枝を押さえ、器用に果実をもぎ取って差し出す。
「ありがとうございます!」
三人は並んで川辺に腰を下ろし、果実を頬張った。爽やかな酸味と甘みが口いっぱいに広がり、夏の疲れが和らいでいく。
「すごく美味しい……!」
フィリアの声に、クロリスもうんうんと頷いた。
──そのとき。
「……フィリア様、口元に」
テオドールがそっと手を伸ばし、フィリアの唇の端についた果実の欠片を指で取った。
澄んだ水色の瞳と目が合って、フィリアは息を止めた。
「っ……!」
顔が一瞬にして熱くなる。フィリアは慌てて俯き、胸がどきどきと早鐘を打った。
(恥ずかしい……)
クロリスが茶化す声に、俯いて余計に頬を赤く染めたフィリア。
その隣で、テオドールは涼しい顔で果実を口にしていた。
ほんのりと柑橘の香りが指先に残って、夏の記憶がそこに閉じ込められたようだった。
季節の名残を惜しむように、木々の葉の間からこぼれる陽が金色に揺れていた。
* * *
フィリアたちは森の小道を再び歩き始める。蝉の声が森に響き、夏の終わりを告げていた。
「次に向かうのは、北にあるミルディナです。豊かな穀倉地帯のはずですが、作物の育ちが急に悪くなり困っていると報告が上がっていました」
『じゃあ、着く頃にはもっとひどくなってるかもしれないわね……』
クロリスの言葉に、テオドールがわずかに目を細める。
「そうですね。一辺には対応できないので、仕方ありませんが……フィリア様?」
少し俯きがちに歩くフィリアに、テオドールが気遣う視線を向ける。
「あ……ミルディナの人たちのためにも、急がないといけませんよね……」
顔を上げたフィリアの瞳は揺れていた。
フィリアの言葉に、テオドールとクロリスが静かに頷く。
木陰を吹く風は涼しいはずなのに、フィリアの頬はまだ熱かった。
胸の奥に残った熱が、いつまでも消えない。
その熱が何なのか、このときの彼女はまだ気付いていなかった──
次のお話、第十九話「秋の訪れ」から、第四章に入ります。
夏の終わりの川辺でのひと時で、フィリアの胸に芽生えたのは小さなざわめき。
けれど旅は止まらず、次なる地は実りの季節を迎えた北の穀倉地帯の街ミルディナ。
一行を待ち受けるのは、枯れ果てた大地と試される精霊たちとの絆──そして、新たな真実の一端だった。




