第十二話 夏のはじまり
水の女神祭の翌朝。
朝の光が湖面を金色に染め、窓からそよぐ風がカーテンをふわりと揺らしていた。
宿の食堂の窓際の席で、フィリアたちは朝食を囲んでいた。
テーブルには、こんがり焼けた小麦パン、蜂蜜をかけた果物、そして湖魚と香草の入った温かなスープが並んでいる。
『やっぱりネレイダの水って、美味しいわね! すごく元気が湧いてくるわ』
クロリスは、小皿に分けられたスープにそっと口を付けている。コクリと飲み込んでは、嬉しそうに羽を揺らした。
フィリアは、ふと頭の花冠に触れる。昨日のお祭りの前にクロリスが作ってくれた花冠は、まだ摘みたてのように鮮やかだった。
「やっぱり……クロリスが作ってくれた花冠、全然萎れないのね」
フィリアがそう呟くと、テーブルにちょこんと座っているクロリスが小さく胸を張る。
『当然よ。わたしが編んだ花冠には、特別な魔法をかけてあるんだから』
「魔法……?」
『花が咲いている時の命のきらめきを、そのまま閉じ込めてあげるの……そうすれば、何日だって綺麗なままよ』
クロリスがフィリアとお揃いの花冠を外すと、その花にそっと顔を寄せた。
フィリアも花冠の花びらをそっと撫で、その柔らかさと香りに微笑む。
「……ありがとう、クロリス。大事にするね」
そのやり取りを静かに聞いていたテオドールは、千切ったパンを口に運びながら視線だけをフィリアに向けている。
──『それ、よく似合っていますね……』
ゆうべのテオドールの言葉を思い出して、フィリアの頬がわずかに熱を帯びた。
ほんのりと頬を染めたフィリアに、クロリスが『何? どうしたの?』とからかうような視線を向けている。
窓から見える湖畔の街は、まだほんのりと祭りの余韻をまとっていた。
広場には昨夜の提灯の骨組みが残り、通りのあちこちに花びらが舞い、朝日を受けた湖面は美しく煌めいている。
この街を訪れたときとは違って、泉にも水路にも美しい水が満ち、人々の表情は皆明るかった。
(ネレイダの街に、水が戻って本当に良かった………)
フィリアが微笑んでいると、ふと、食堂の窓の外──湖面が淡く光った。
次の瞬間、透明な水の柱が静かに立ち上がり、そこから水の精霊エルヴィーラが現れる。
水色の長い髪が、朝日に透き通るように煌めいている。
『皆さん……お別れを言いに来ました』
彼女は静かに微笑むが、その瞳にはどこか翳りがあった。
『西の森で、精霊たちが弱っている気配を感じます……やはり、精霊樹様の加護が揺らぎはじめているのかもしれません……』
クロリスの表情が引き締まる。
『放っておけないわ……』
「……行きましょう」
テオドールの短い言葉に、フィリアも力強く頷いた。
『どうか気をつけてください……森は──自然は、優しくもあり、時に牙を剥くこともありますから……』
『必ず、また湖のほとりでお会いしましょう……』と微笑んだエルヴィーラの声が、波間に揺れる光のようにやさしく響いた。
エルヴィーラは微笑んだまま、再び水の中へ溶けるように消えていった。
* * *
昼前、街の西門。
町長と大勢の村人が見送りに来ていた。
「お二人とも、本当にありがとうございました。道中の糧にと、少しばかりですが保存食をお持ちください……」
布袋を差し出され、フィリアは礼を言って深く頭を下げる。
子どもたちが花びらを手に駆け寄り、「また来てね!」と笑顔で手を振った。
舞い散る花びらの中、フィリアも「また必ず来ますね」と笑顔で応える。
一行はネレイダの湖畔を背に、ゆるやかに続く西へ向かう街道を歩き出す。
振り返れば、湖面が朝日にきらめき、その向こうで小さくエルヴィーラが手を振っているのが見えた。その周りには、水の精霊や妖精たちだろうか、小さな光がたくさん浮かんでいる。
微笑んだフィリアとクロリスが、大きく手を振り返す。
「次は、どんな出会いが待っているんでしょうね」
「……行けば分かります」
『でも、西の森はちょっと暑いかもよ?』
日差しは熱を帯び始め、夏の風が青々とした草葉の匂いを運んでくる。空の青さがいっそう深まり、かすかな蝉の声が森の方から聞こえてきた。
こうして、彼らの次なる旅──森の村エルデンへの道が始まった。
次のお話、第十三話「森に囲まれた村」から『第三章 森の村エルデン』に入ります。




