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精霊樹の眠る場所で、君を想う  作者: 星谷明里
第二章 水の都ネレイダ ―枯れた泉と蘇る声―
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第十一話 水の女神祭

 水の都ネレイダ、中心広場。

 水の女神祭の始まったネレイダは、昼から人であふれていた。復活した水の女神の泉を囲み、陽が高いうちから提灯が下がっている。

 青空の下、布飾りが風にはためき、屋台からは香ばしい匂いや甘い蜜の香りが漂ってくる。

 街の至るところにある噴水や水路には花びらが流れ、人々の笑い声や楽団の演奏が響く。


「わあ……すごい人。どこからこんなに集まったのかしら」


 目を輝かせながら歩くフィリアの肩で、クロリスがくるくると飛び回る。

 それぞれの頭には、お揃いの小花で編まれた可憐な花冠が飾られている。


『ほら、あっちに焼き菓子! それから……わたしはあの蜜漬けの果物がいいわ』

「本当、どれも美味しそうね!」


 屋台には、甘い香りのする焼き菓子や、串に刺さった蜜漬けの果物などがずらりと並んでいる。

 賑やかな屋台を巡りながら、フィリアは次々と食べ物を手に取っていく。


「甘酸っぱくて美味しい……! クレイさんも、どうぞ」


 笑顔で差し出された蜜漬けの果物を、テオドールは一瞬だけ迷ってから受け取った。

 一口かじると、甘い蜜と甘酸っぱい果実の味が口に広がる。


「……悪くありませんね」


 わずかに口元を緩めた彼に、フィリアは満足げに微笑んだ。


 食べ歩きの途中、宝石やアクセサリーを並べた露店の前でフィリアの足が止まった。

 並べられた宝石は、陽の光を受けた水面の煌めきのように瞬いていた。青は深い海のように、緑は森の奥の木漏れ日のように、赤は焔のように──それぞれが、小さな世界を内に秘めているようだった。

 その前では、恋人や夫婦らしき人々が、熱心に宝石を選び合っている。


「恋人や大切な人と、お互いの瞳の色を贈り合うのが、この地域の習わしなんですよ」


 見入っていたフィリアに、店主の女性が笑顔で声をかけてきた。


「瞳の色は魂の色──そう言われていますからね」

「──魂の色……素敵ね……」


 フィリアが宝石を見つめながらぽつりと呟く。その横顔を、テオドールは静かに見つめていた。


* * *


 夕暮れが近づくにつれ、街の空気が変わっていった。

 街中に飾られた提灯には火が入り、橙色の光が水面に揺らいでは煌めいている。

 屋台からは肉を焼く香ばしい煙が立ちのぼり、楽団の音が一層高まってゆく。


「夜はもっと綺麗なんでしょうね」

『間違いないわ。だって、まだお祭りはこれからよ』


 クロリスの言葉に、フィリアは胸を高鳴らせながら広場へと向かった。


* * *


 陽が沈むと、広場の中央では、笛と太鼓の音に合わせて人々が手を取り合い、踊りの輪が広がっていた。

 噴水の水面には提灯と月明かりが揺れ、淡い色の花びらが流れていく。


「楽しそう……!」


 フィリアは輪の中へ足を踏み入れた。


「クレイさんも──きゃっ……!」


 踊り手の波に押され、噴水の縁に足を取られてよろめく。

 瞬間、腰を支える腕の感触──テオドールだった。


 けれど、その勢いのまま二人とも噴水の中へ──

 大きな水飛沫が上がり、周囲から笑い声が弾けた。

 水飛沫に混じって、噴水に浮かんでいた花びらがふわりと舞い上がり、提灯の灯りを受けて宙でひらひらと輝いた。

 周囲から上がる笑い声や拍手が、祭りの笛太鼓と混ざり合い、夜空へと溶けていく。


「ふふっ……あはは! クレイさん、びしょ濡れ……!」

「あなたも同じでしょう」


 笑い声をあげるフィリアに、テオドールは濡れた前髪を払いつつ、口元をふっと緩ませた。

 瞬間、フィリアの翡翠色の瞳が軽く見開かれる。その瞳には、テオドールの笑った顔が映し出されていた。


(クレイさんの笑顔、初めて見た……こんな風に、笑うのね……)


 その笑顔は、彼自身も意識しないまま零れ落ちたものだった。


 テオドールの風魔法で服を乾かすと、噴水の縁に腰掛け、二人は夜空を仰ぐ。

 森と違って、提灯の灯りに照らされたネレイダの街からは星々はそれほど見えなかった。代わりに、水面には提灯の光が揺れて煌めいている。

 フィリアはまだ楽しそうにあたりを眺めていて、テオドールはその横顔をただ見つめていた。


「クレイさん、どうかしたんですか?」


 ふいに、フィリアが黙っていたテオドールに声を掛ける。


「何でもありません……水の女神祭、見られて良かったですね」

「はい!すごく楽しかったです……クレイさんも楽しかったですか?」


 テオドールの言葉に、花の咲いた様な笑顔を見せるフィリア。

「はい……」と呟いたテオドールは、その笑顔に見惚れていた。澄んだ水色の瞳がかすかに揺れている。


「それ、よく似合っていますね……」


「えっ……?」と小首を傾げるフィリアの頭に手を伸ばすと、少しだけ傾いていた花冠にそっと触れる。

 花冠を整える指先が、ほんの一瞬だけ、耳元に触れた。心臓が跳ねた音まで聞こえてしまいそうで、フィリアは息を止めた。


「あ、ありがとうございます……」


 ほんのりと頬を染めたフィリアが、恥ずかしそうに少しだけ俯く。その様子を、テオドールはやわらかい眼差しで見つめていた。


 祭りの歌声と水の音が、夜風に乗って遠くまで流れていく。

 復活したネレイダの泉は、月明かりを受けて静かにきらめいていた。

 遠くで花火が一つ咲き、夜空に溶けるまでの短い間、湖面が金と朱に染まった。


 花火の音が遠ざかる中、フィリアはそっと花冠に触れた。指先に触れる花びらの感触に、胸の奥の高鳴りが静かに夜に溶けていった。


 もう、夏が始まる──

次回は、第十二話「夏のはじまり」です。

一行は水の都に別れを告げ、新たな目的地へと旅立ちます。


ここから、ふたりの距離が少しずつ変わっていきます。

「続きが気になる!」と思っていただけたら、ぜひブクマで見守っていただけると嬉しいです。

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