#11 ところによって、雷に注意
振り上げた男の手と心雨との間に身体を滑り込ませた俺は、思い切り両手を広げた。
「話が伝わらないからって女の子に手を上げるのは、ゼッタイにダメです!
同じ男としてみっともないと思います!」
カタカタ膝が笑っているけど、言えた・・・!
「ほう。
男なら、殴ってもいいんだな。」
正義感を発信した余韻に浸る俺を、ギロリとにらんだ男の目には憎悪の火が見えた。
ヤ、ヤバい・・・!
「目ぇキラキラさせやがって。ウゼェんだよ!」
男は怒りにまかせて俺の胸ぐらと手首を掴んだ。
アッと思った時にはすでに遅くて、この衝動には抗えない。
キタキタキタキター!
不意打ちの、サイコメトリー‼
自動的に男の過去が、思惑が脳内になだれこんでくる。
頭の中を誰かに振り回されているようで、俺は急激な気持ち悪さに必死に耐えた。
ああーーー目まいがーーーする。
ストン、とクソみたいな気持ち悪さがウソみたいに消えた瞬間、俺の目は男の視界の一部になった。
※
俺はカフェのガラス窓越しに店内をのぞいている。
ただの興味本位ののぞきじゃなくて、理由があって物色しているんだ。
それは、明らかな悪意。
胸の名札が初心者マークの店員を探す。
一番奥のレジに立つ、新人の若い女に目をつける。
心の奥で持ち上がる邪悪な喜び。
『獲物』だ!
カウンターで一万円を出して両替をお願いする。
断られるのは承知の上だ。
案の定、断られる。
期待通りマニュアル通りにしか動けないから、狙いやすい。
仕方なさそうに俺はコーヒーの注文をする。
女がコーヒーの用意で目を離したスキに、素早く千円とすり替える。
これでゲームオーバー。
あとは女のココロが折れるまでグダを撒き散らすだけだ。
いつもの手口だ。
簡単で、堅実。警察を呼ばれるまでもない小さな悪事。
ただのクレーマーの処理ができない新人のミス。
騙されてかわいそう?
バカが。
騙されるほうが悪いんだよ。
※
・・・チックショー!
男が勘違いしているわけでも、雫が金種を間違えたわけでもない。
この男は・・・詐欺師なんだ!
※
頭がピリピリと痺れていくのを感じる。
酸欠だ。
俺は弱々しく男の手を払いのけて、最後の気力を振りしぼった。
「アンタ、最初に出した一万円を途中で千円にすりかえたみたいだな。」
俺が目をしっかり見据えながら言うと、男はビクッと体を震わせた。
「し、証拠は? 監視カメラもないのに、証明できるのかよ。」
悔しいけど、この男の言う通りだ。店内に監視カメラはあるが、このレジの前にだけはないようだ。
なるほど。しっかりとリサーチ済か。
その時、心雨が口を挟んだ。
「やっぱり警察呼ぼうよ。
鑑識に回してもらって、お札の指紋を調べたら?」
心雨が援護の提案をしてくれたことが、世界が俺の味方になったみたいで嬉しかった。
だけど男は、そんな俺たちをおかしそうにせせら笑った。
「知ってるか? お嬢ちゃん。紙幣の指紋採取にはとてつもない労力と金がかかるんだぜ。
こんなことでいちいち警察が動いていたら、日本に犯罪者は居なくなるだろうな。」
俺は男の中に潜ったから分かるが、コイツは日常的に詐欺行為に及んでいる。
豊富な経験から、あらゆる事態を想定してコトに及んでいるんだろう。
どうしたらこんなバケモノを撃退できるんだ?
すり替えたときにどういう手品を使ったかは、分からなかった。
深く思考を探るためには手のひら同士を合わせる必要があるのだが、今の俺には追撃する気力はない。
俺はふと、男のゆるい服装が気になった。
こんなに暑いのにスウェットの長袖だと?
しかもいい年して萌え袖なのが・・・怪しい!
いちかばちか、俺は自分の勘に賭けることにした。
「すり替えた一万円は、長袖の下に作った小さなポケットの中ですよね。
袖をめくって裏を見せてもらえませんか?」
「この野郎、まだ因縁つける気なのか! ふざけんなッ!!」
男は唾を飛ばしながら、腕を俺の顔面に振り下ろした。
「ウガッ!」
顔面に男の拳を一発食らって、俺は後ろにのけ反って尻もちをついた。
心雨と雫が悲鳴を上げて、店内は騒然とした。
「オニィ!」
「誰か、止めてください!」
うう、情けないぜ。
鼻への打撃が脳天を刺すような痛みを感じて、目が開け辛い。ヒビくらいは入ったかもしれない。
こんな弱々しい姿、心雨には見られたくなかった・・・。
「さあ、果たして真相はいかに!」
その時、田中がスマホのカメラをこちらに向けて、ニヤニヤしながら近寄ってきたんだ。
「ガチ対決! クレーマーオジサンVS男子高校生‼
ただいま絶賛生LIVE中~。」
「生配信!?」
「ねえ、オジサン、袖めくってくれなきゃ動画拡散しちゃうよ!
さー、みんなでカウントいっくよー。
3・2・1・・・カモーンッ!」
「チッ、めんどくせぇ! 覚えてろよクソガキどもがッ‼」
生配信の効果はバツグンだった。
男は捨て台詞を吐くと、走って逃げていってしまった。
※
助かった・・・。
俺は震えの止まらない両膝をクッションフロアの床につくと、ホッとした顔をしてスマホをしまう田中を仰いだ。
「田中、アイツが袖に一万円入れるところを見てたの?」
「いんや。オマエに乗っかっただけ。
一歩も引かないから、自信があるのかと思って。
ちなみに俺のチャンネルの登録者数十人。友だちといとこだけ。」
動画アプリのサムネイルを見せてくれた田中の声は震えていた。
ヘタしたら、俺に巻き込まれてボコられていたかもしれないのに・・・。
俺は胸がジーンとして感動した。
「めっちゃいい奴やん! ありがとう。」
と言いかけたけど、すぐに田中が成り行きを見守ってきた取り巻きに囲まれたから、俺の言葉は宙に浮遊した。
「たぁなか、おま・・・! やりよったな‼」
「最高かよ。ヒーローじゃん!」
笑顔の仲間5人に小突かれたり、髪の毛をもみくちゃにされながらも田中は嬉しそうにチャラけていた。
「あえて言おう『俺が来たからな』!」
あーあ。
やっぱりこういうヤツが、最後は良いところを持っていくんだよな。
「佐藤君、大丈夫⁉」
心雨が俺に走り寄ってきたのが救いだったが、苗字呼びなのが悲しい。
他人行儀なのは・・・好きな田中の前だから、なのかな。
「こ・・・鈴木さん、妹を助けようとしてくれて・・・。」
ありがとうと言いかけて、俺は目の前が真っ暗になった。
ダメだ。RPGの体力ゲージが尽きた時の既視感に近い。
【GAMEOVER】
「佐藤くん!」
「お兄ちゃん!」
心雨と雫の声を聞きながら崩れ落ちた俺のコマンドに、コンテニューのボタンは浮かんでこなかった。