口付け
優しい口付けが繰り返され、キリヤの息遣いが間近に感じられる。
クラクラするような熱に浮かされ、アリシアの瞳は潤み、心臓は早い鼓動を繰り返す。
キリヤの息は荒く、獰猛な獣のような劣情を抑えているようだった。
彼は一度唇を離すと、アリシアの額に口づけ、自分の胸に抱き寄せた。
「アリシア」
「なに」
体が熱い。酒にでも酔っているかのように頭がふわふわした。
「あんた本当にここから逃げる気はない?」
そう問われてアリシアは、言葉に詰まる。
「私は……」
投げ出せればきっと楽だろう。自分の幸せだけを追い求めて、キリヤと逃げられたら。
しかしアラン王子の身代わりについては、探し出すまでに相当な苦労があったと聞いている。女であるアリシアを身代わりに立てたのも、土壇場での苦肉の策であった。アリシアがいなくなった後、簡単に別の身代わりが見つかるとは思えない。
結婚式とともにバーベナも国へ帰り、本物のバーベナ姫がやってくる。彼女が来るまでに身代わりが用意できなかったら、どうなってしまうだろうか。
——私が結婚式の後突然消えたら、せっかく両国の人たちがここまで築きあげた和平への道筋が、全部ダメになっちゃう。
「やっぱり逃げられないよ。だって、戦争で大事な人を失う人たちを、もう、出したくないもの」
「そっか」
彼の腕に力が入る。離したくないとでも言うように。
「あんた、ドレスのが似合うよ。やっぱ女の子だ」
「そ、そうかな……」
「もうちょっとこのままでいさせて。もうちょっとだけ」
「うん……」
——私も好きだって言えたらいいのに。
でも言ってしまったら、決意が揺らいでしまいそうになる。女性としての人生に戻りたくなってしまう。
キリヤの体温を感じながら、アリシアは束の間の幸せを噛み締めていた。
◇◇◇
「さっきの令嬢、誰だろうな?」
「ああ、あの水色のドレスの子だろ? すごい美人だったよな」
詰め所に戻ってきた騎士たちの雑談にセオドアは苦い顔をして振り向いた。
「お前ら、ちゃんと仕事をしていたんだろうな」
「副団長!」
二人の騎士は慌てて胸に手を当て、真面目な顔をする。
「見回りを終えて戻って参りました! 異常なしです!」
「令嬢がどうとか言っていたが?」
そうセオドアに問われ、栗毛の団員が相貌を崩す。
「あ、副団長も気になります? それがすごい美人な子で」
「この時間帯に令嬢が廊下を彷徨いているのがまずおかしいだろう!」
メンシスの団員たちは優秀だが、こと女に甘い人間が多い。セオドアは苛立ちを抑えながら二人を睨みつけた。
「いえ、陛下のことですから、もしかしたら愛人を部屋に呼び寄せたのかも、と」
黒い長髪を後ろに結った団員がそう言い訳をする。たしかにグラジオの王は女癖が悪い。若い令嬢に手を出すことは珍しくなく、使用人に手を出すことさえあった。
「そうであったとしても! まず声をかけて身元を確認するべきだっただろう! 全く、何のための見回りだ」
「も、申し訳ありません!」
「で、どんな女だった?」
「水色のドレスを着た方で。そうですね……顔立ちが王子殿下に少し似ていたかもしれません」
王子殿下、という言葉にセオドアは片眉をあげる。
「どちらのだ?」
「アラン王子殿下です」
ガタン、と大きな音を立てて、セオドアは木製の椅子から立ち上がった。突然険しい顔で立ち上がった上長を前に、二人の騎士は背筋を伸ばして直立する。
「ちょっと出てくる」
「じ、自分たちもついていきます!」
「いや、いい。私だけで十分だ。お前たちは報告書を書いておけ」
——もしやアリシア様? なぜ女性の姿でこんな時間に外出を……?




