仮面舞踏会
石畳の上を、ガタゴトと車輪が進む音が聞こえる。馬車の向かいに座るのは、麗しきバーベナ姫。絹のように滑らかな銀の髪はまとめあげられ、ダイヤモンドを贅沢に使った髪留めがその美しさを引き立てている。
夕闇を思わせる濃紺のドレスには、空に瞬く星のようにキラキラと光るビーズが縫い止められていた。
今日も見事な姫っぷりだ。だがしかし。
——ぜんぜんこっちを向いてくれない。なんでそんなにへそ曲げちゃったたの?
馬車に乗る前も今現在も、バーベナは口をひらこうとする様子がない。馬車の窓に肘を置き、頬杖をついて横顔を見せている。
突然のセオドアからの告白に、驚いたのはアリシアの方である。協力者に想いを寄せる人間が現れたからといって、バーベナに怒られる筋合いはないのだが。
まさか、ヤキモチでも妬いているのだろうか。
——まさかまさか。そんなわけないよね。いっつもちょっかいだしてはくるけど、あれはバーベナが女慣れしてるからで。私のことを特別に思ってるなんてことはないだろうし。
きっとお気に入りのおもちゃが取られそうになったような感覚で、機嫌が悪くなったのだ。
「バーベナ、元気だった?」
重苦しい雰囲気をなんとかしようと、アリシアはバーベナに話しかけてみる。
「そっちこそ怪我の具合はどうなんだよ」
こちらは向かないものの、返答はあった。ほっとしつつ、アリシアは会話を続ける。
「もう全然平気! セオドアが心配して、鍛錬場には出入りさせてもらえないんだけどね」
「ふーん」
——セオドアの名前を出したら、明らかに不機嫌さが増してる……。
バーベナとお揃いの濃紺色の上着のポケットに手を入れ、小さな箱があることを確かめた。帰り際、部屋の前まで送ったときに渡そうと決めている。これで機嫌を直してくれるといいのだが。彼がいつもの調子に戻ってくれないと落ち着かないし、心の拠り所を失ってしまった気がして寂しくなってしまう。
「あ、そういえば、メンシスの上位騎士の体調不良のことなんだけど」
「何かわかったのか?!」
これまでそっぽを向いていたのに。「仕事」の話になったら急にこちらを向いた。複雑な気持ちになりながらもアリシアは話を先に進める。
「調理場に出入りしていた人間の中に、過去にベルモント伯爵の屋敷で働いていたコックがいたの。でも彼がやったっていう証拠がなくて」
「泳がせてる最中ってわけか」
「そ。あと当日家の事情で欠勤した上位騎士がいてね。使われなかった彼の食器に薬が残ってて」
「個人ごとに食器が違うのか?」
「ううん、上位騎士だけ食事が豪華でね、わかりやすいように食器を分けてるの。で、その上位騎士専用の食器に薬が残ってたんだ」
「なるほど。確実にメンシスで腕の立つやつを潰しつつ、トーナメント自体は続行させるために食器の方に薬を塗ったわけか」
「通常出回ってるものの五倍の強さの下剤と、嘔吐薬を混ぜたものが食器に塗布して乾燥させてあったらしいよ」
「うげ。そりゃ口にした奴らは災難だったな……」
「バーベナの方は何かわかった?」
「こっちも鏡の男に妨害の依頼をしたやつは割り出せずにいる。あとはまぁ、今日の舞踏会でベルモント伯爵の動きに注視する他ないな」
「そっかぁ」
ふたたび訪れる沈黙。馬の蹄の音と、車輪の音だけが馬車の中に響く。アリシアは下を向き、必死に話題を考え、思いついた話を口にしようと顔を上げれば。
アメジストのような瞳は、じっとアリシアを見ていた。視線がかち合えば、彼は気まずそうな顔をして、また窓の方を向く。
——えぇ? もうなんなのぉ?
バーベナが何を考えているのか全くわからない。元々つかみどころのない人ではあったが。
彼ともう一度言葉を交わす前に、馬車は仮面舞踏会の会場であるベアトリクス侯爵邸の馬車まわしに到着してしまった。




