猫と勇者とCEO
「君が“勇者”か。なるほど……まあ、楽にしてくれ。まずは話をしようではないか」
“勇者”ミサキを待ち構えていたのは、猫を膝に乗せてゆったりと魔王の玉座に座る、ドラマにでも出てきそうな仕立ての良いビジネススーツを着た、どこからどう見ても人間の男だった。
髪はもちろんきっちり撫でつけてあるし、その横にはやはりビジネススーツ姿の秘書風の女が姿勢良く立っている。
「勇者殿、これは……」
“魔王城”という場所にあまりにそぐわない姿と雰囲気に、仲間の騎士がちらりとミサキを見やる。聖女や魔法使いも戸惑っているようだ。
「あ……あなたが、魔王ですか?」
ミサキは意を決し、ごくりと喉を鳴らして男に尋ねた。男はぴくりと片眉を上げて「ああ、これは失礼した」と笑顔を作り、傍らの女に合図をする。
女は反射的に身構える勇者たちに丁寧な一礼を返すと、数歩前に出て懐から小さな紙片を差し出した。
どう見ても名刺交換のポーズに、ミサキもつい脊髄反射で「すみません、名刺は切らしておりまして」と両手を出してしまう。
「――魔王国最高経営責任者、津和野鷹也」
そして、差し出された名刺に書かれた肩書きに、ミサキは唖然と呟きを漏らしてしまった。どう見ても日本人の名前だ。
「しーいーおー? ですか?」
ちらちらと津和野を警戒しながら、魔法使いがミサキの手元を覗き込む。
「私は“勇者”長門未紗樹です。あなたは、魔王ではないんですか?」
「私は魔王陛下よりこの魔王国の経営を任されているだけで国主ではない。魔王国の国主たるのは、こちらのニィニャリル陛下だ」
「猫ちゃん? 猫魔王?」
津和野は膝の上でごろごろ喉を鳴らしていた猫を抱き上げ、前足を上げさせた。黒い毛皮はなめらかな光沢があり、ちらりと見える肉球はベビーピンクだった。
紹介された猫改め魔王は小さくひと声、「にゃあ」と鳴く。
「魔猫族のニイニャリルです。勇者が来るからって、ちょっと前に魔王にされました」
ぷらぷらと前足を振られるままにしながら、魔王はミサキへと目を向けて小さく首を傾げた。魔王の明るい黄水晶のような瞳がきらりと煌めき、津和野も至極真面目な顔のまま頷いている。
「えっ……やだ、かわいい……しかも美猫さん」
「ゆ、勇者殿……?」
騎士が困惑した声で声を掛けるが、勇者ミサキの目は魔王に釘付けだった。
あのビロードのような背中の感触を堪能したい。柔らかそうなお腹に顔を押しつけて吸いまくりたい。小さな肉球をくすぐって猫パンチされたい。引っ掻かれてもいいから身体中撫で回したい。
――そんな心の声が聞こえそうな顔で。
そして、魔王にすっかり魅了されてしまったミサキに、津和野がにやりと笑う。
「我が魔王国の魔王陛下はとてもかわいいだろう?」
「はい」
津和野の言葉に間髪入れず同意する勇者に、勇者以外の人間たちがぎょっとする。
「そこで勇者に魔王国から提案があるのだ――真島くん、資料を」
「はい、ボス」
女秘書がいつの間に用意していたのか、スッと紙束を置いた。羊皮紙の束をまとめているのは、なぜかダブルクリップだ。
勇者以外がまた身構える。
「そう警戒しないで欲しい。我が魔王陛下は戦いを望んでいない。
そもそも戦争なんて、この世で最も非生産的な行為だとは思わないかね?」
「勇者様を懐柔して、何を企んで――」
「懐柔ではなく交渉だ。魔王陛下は殺し合いなどではなく、互いに益のある落とし所を探しておられるだけだよ。
そもそも、魔国がそちらを侵略したなどという事実はないにも関わらず、言い掛かりで攻め入られたというのに、魔王陛下はなんと寛大な王か」
「何を……民を攫い魔物に我が国を蹂躙させておきながら侵略はなかったなどと、出鱈目を言うな!」
「では、まずはそちらの言い分である、弊国の侵略行為についての調査結果だ――真島くん」
女秘書が紙束をもう一部置いた。これをとめているのもダブルクリップだ。勇者以外がまた身構える。
「でたらめかどうかは、その資料を確認のうえ判断してほしい。
異論があるというならもちろん受け付ける。当然だが、根拠を明確にしてくれればの話だが」
声を荒げる騎士を、津和野は一瞥して首を振る。
「とはいえ、魔王陛下が争いを望んでいないことは確かだ。
こちらの中期――今後十年の魔王国経営計画も確認してくれ。すぐにとはいかずとも、弊国は魔王ニィニャリル陛下のもと、人間との和平と共存を目指している。そちらが欲する魔王国特産物の取引も、対等かつ妥当な条件で応じるつもりだ。
貴国に関係改善の意思は?」
「もちろん。人間の代表である勇者として、私がそのご提案を受け入れましょう。詳細な条件は後日改めて詰める必要はありますが」
ミサキは資料を取ってざっと眺めた。内容に不備はなく、条件も明瞭だし、ミサキの感覚ではあるものの、少なくともこの資料上に魔王国CEOの人間側を騙そうという意思などは感じられない。
もちろん精査は必要だろうが、十分にフェアなものであると思えた。
満面の笑顔で応じるミサキを、聖女たちは驚愕の表情を向ける。
「勇者様、取引なんて、まさか魔族に寝返ると――」
「寝返るなんてまさか」
ミサキは笑顔のまま首を振った。
「猫ちゃんはかわいくて正義だし、全人類は猫ちゃんの下僕です。猫ちゃんの喜ぶ世界を作るのは義務なんですよ。ネコと和解せよって神様も言ってるでしょう?」
もしや魅了の魔法かと、魔法使いが玉座へ目を向ける。
だが、いつの間にか丸まって眠っていた魔王を起こさないよう、津和野が細心の注意を払いつつ、「さすが勇者」と頷いているだけだった。
魔法の気配など、欠片もなかった。
「うれしいよ。君とは今後もよい関係を築いていきたい」
「こちらこそ――ところで、魔王陛下にはぜひとも猫ちゃんフルコースを堪能させていただきたいのですが」
津和野とミサキは顔を見合わせてにんまりと笑う。他の人間たちは、すでに眼中になかった。
「魔王陛下は耳の後ろと首周りを擽られるのに弱い」
「……素晴らしいですね。では、猫吸いはいかがですか?」
「陛下はくすぐったがりなので、少々引っかかれることになるが」
「大丈夫です。こう見えても勇者チートがあるので、その程度かすり傷にもなりません」
――そうしてこの日、人間と魔族の「和平」へ続く記念すべき第一歩が踏み出されたのだった。
数年前
・うまれる
・CEO
・2000字
という縛りで書いたショートショートの元文です
ここからさらに削って2000字は大変だったなあ……
#登場人物
##CEO
働き盛りのアラフォー。
超猫好き
なんでか知らないけど役員会議を終えて会議室を出たら魔王城にいた不運なおじさん
ようやっとCEOに就任してこれからと言う時になんぞこれ、と混乱していたら、ラノベに精通している秘書が訳知り顔で事情を教えてくれた。
そして猫魔王様の「にゃーん?」にやられて下僕と化した。
##秘書
オールドミス(死語)と呼ばれるバリキャリ。
日々の癒やしは脳味噌使わない系ラノベと薄い本で補充している
なんでか知らんけど、ボスについて会議室出たら一緒に魔王城転移してた
不憫系イケメンが大好物(イケメンは壁となって愛でる派)
##猫魔王
今期は勇者の出現あり、の一報で魔王位を押し付けられた不運な猫幼女
魔王城でおろおろにゃーにゃーするだけだったが、超有能なCEOと秘書さんがあれこれ整えてくれてなんでか最強魔王になった
猫かわいい
##魔王側近(未登場)
ぼんやりしていたら魔王を押し付けられた不運な吸血鬼
超猫好き二号
お姉さんタイプに上から目線で“可愛がられる”のが好きなイケメン
パワーはそこそこあるけど勇者には全然届かないし、魔王に忠誠誓っちゃったし猫置いて逃げるとか言語道断だし詰んだ……と思ってたらCEOが現れて助けてくれた
見た目はアレでも歳は取ってるので事情通ではあるため、秘書さんにガンガン指示されて資料の元ネタの大半を準備した
字数の関係で登場はまるっと削られたのも不憫枠だから
##勇者
異世界から召喚されて魔王退治ヨロされた不運なアラサーOL女子
ブラックな職場からなんでか転移してたけどどうやら俺TUEEEチートな勇者能力はもらえていたらしい。違うそうじゃない。
なんで女子がこんな荒事を!? とか周り固められた騎士だのなんだのいうイケメンどもに「年増」と思われてる(とうっかり聞いてしまった)とかで、いい感じに荒んでいる
深夜帰宅時に近所の公園で開催される猫会議に貢ぎ物を持って混じるのが日々の癒やしだった
猫大好き猫かわいい