38 セーラルルーの悩み事 -3-
あの日、公爵さまの手で視界を奪われた後、私は気絶した。
そうして気がついたら寮の自室で寝ていたわけで。
朝起きてからダイナに聞いてみたけれど、ダイナは私がいつ戻ってきたのかぜんぜん覚えが無いと言った。
黒姫さまがまた時間を止めたのかな? でも、そんな事を公爵様が許すはず無さそうだし、ひょっとして公爵さまが魔術を使ったのかもしれないよね。あのお二人は揃って規格外だからね。なんかもう、なんでも有りなんだろうし、考えても仕方ないよなと思った。
問題は私の記憶の件。
黒姫さまは私から記憶を奪うと言ったじゃない?
確かにそう仰っていたはず。
でも私は全部覚えているわけよ。
黒姫さまが最後に私に言った『許せ』って悲痛な響きの声も覚えてる。
なにもかも、憶えてる。
黒姫さまは私から記憶を奪った筈なのに、一体どういう事なんだろう。
しかもさ。
エルイングもきっちり憶えていたんだよねえ…。
正直、私が忘却させられるんなら、エルイングだって当然忘却させられてるだろうって思った。だけど、さりげなくエルイングに訊いてみたら普通にしっかり憶えていたわけよ。
ひょっとして部分的に忘却させられてるとかなのかなあと思って自身の記憶を浚ってみても、何一つ忘れてる気がしない。黒姫さま的に、もしも私から部分的に記憶を奪うとしたら、やっぱり時間を止めたり戻したりとかの辺りかな。あの辺を覚えていられるとマズイのかなあ? ……と思ったんだけど。
でも、エルイングすらユーリィ様が一度亡くなってから黒姫さまが時間を戻したって事まで当たり前のような顔して普通に憶えてるんだよね。
まさか黒姫さま、私に忘却の術をかけたつもりだけど術式? とかを間違えてて、記憶抜いたつもりで奪えてない上、エルイングの記憶を奪う方はそれ自体をうっかり忘れてたり?―――と言う実におマヌケ… 優雅な事をやらかしてないかとちょっと思ったけど、わからん。黒姫さまならとんだ"お優雅"もあり得ると思う一方、さすがにそれは無いよなって気もするし。
すぐにも黒姫さまに連絡をしようかと思ったけれど、
「あのう、記憶全部ありまーす」
なーんて自己申告したら「そうかあ、ではまた術をかけるかのう」なんて輪郭バチバチのハンマー出されたらたまらないじゃない?
絶対に記憶を奪われない為にも、黒姫さまとはこのままお別れすべきなのか。
ハンマーでぶっ叩かれる覚悟で今一度お会いしてお礼を言うべきなのか。
お礼。
そう、実は私、黒姫さまにお礼言ってないのよね。
そりゃ要所要所では言ってたけど、そんなんじゃ足りなく無い?
などと―――。
昼休憩時、噴水庭園の黒姫像の真ん前のベンチに座って私はひすらに考え込んでいる。
ちなみにエルイングと待ち合わせ中だったりする。
でもぜんぜん来ないからお弁当を膝に置いてお腹を鳴らしながら―――私は黒姫像をガン見していた。
休暇が終わって通常授業が始まったのは二週間前。
休暇明け、私とエルイングはカシスタンド家の別邸から馬車で登校したんだけど、もうその時点で騒ぎになった。休暇の初日にクラスメイト三人が早速連絡網を廻してた上に、女子寮発の噂もあって、まあ今更感はあったんだけどね。
だって、
「なんであの子がカシスタンド様と一緒にいるの!?」
じゃなくて
「噂は本当だったのね!?」
だったし。
一部では私がユーリィ様からエルイングを略奪したなんて噂も立ってたらしいけど、他ならぬユーリィ様が私と会う度に「セーラ様、ごきげんよう~」なんてめちゃくちゃイイ笑顔で手を振って下さるから、そっちの噂はなんかさっさと立ち消えになったっぽい。
エルイングはユーリィ様を傍らに置いていた時と全く同じように、共有スペースでは時間が許す限り私を傍らに置いてるんだけど、でもエルイングの私への態度はユーリィ様に対する物とは明らかに温度が違ってて、終始笑顔でずっと私に話しかけている訳でさ。そして、当然のようにエルイングの印象が変わったという噂がちらほら私の耳にも届いてきて、
(一割減かな? エルイング、一割減でモテ度が下がったかな?)
なんてね。
期待していた頃が私にもありましたね………。
弁当箱を抱えつつ、ちょっと遠い目をしかけていた所に、
ベッシャアと。
なんか、二つ向こうのベンチからバナナの皮が頭に飛んできましたよ。なんか、プークスクスとかいう陰湿な笑い声も聞こえてきたりして。あらまぁお下品でしてよ、クソが。ユーリィ様はこういうのを数ヶ月にわたって味わってたんだろうな。
はあと一息ついて私は頭部のバナナを取ってぺいっと地面に捨てた。
ああ、ユーリィ様。あなたはこんな目に遭いながらも皇子殿下に頼らなかったんですねと、なんか今更ながら感心してる。私なんかさ、「黒姫さま、助けてえ」とか思っちゃってるしな、たった今。
相変わらず黒姫像をガン見しながらしばらく悶々としていたら、
「おお、男爵令嬢ではないか」
皇子殿下に声をかけられた。
それと同時に二つ向こうのベンチの女子生徒達のプークス声が止んだ。
殿下はあれ以来、割と普通に話しかけてくれる。
実はソレのお陰で私へのイジメはバナナの皮程度で済んでるって噂があったりする。
ダイナ情報なんだけど、皇子殿下が一子爵令嬢の為に動いてイジメを解決した事が功を奏して、学院内のイジメ問題はかなり減少してるんだよね。
当初エルイングは殿下の私への声がけに不満を感じていたみたいだけど、そのお陰でイジメが軽減されていると知ると、かなりの渋面ながらも受け入れる事にしたようだ。なんか、「あんなんでも役に立つ事はあるんだな。使える物は使わないと」とかナントカぶつくさ言ってたな。
まあそれはともかく、皇子殿下とはそこそこ普通に挨拶や雑談は交わせるものの、私、怖くて黒姫さまの事は訊けないわけよ。
例の"忘却の術"が皇子殿下にも適用されている可能性が無いとも限らないからね。
少なくとも存在と関わりの一端は忘れられてないようだけど、うっかり「ユンライ皇女殿下はお元気ですか?」なんて訊いてみて、万が一皇子殿下に「お前、いつ姉さまと知り合った?」とかキョットーーンとされたらなんか立ち直れそうにないじゃない。その上、皇子殿下の口から黒姫さまにバレて、またまた黒姫さまが輪郭バチバチハンマー持って私の頭を叩きに来たら…。
黒姫さまはこの学院内ではレヴェルターブ侯爵家の親戚筋の娘さんという設定になってるから、そっちの線で訊いてみようかなという気持ちもないではないけど、結局のところ、勇気が出ない。
黒姫さまは疎遠になったエルイングの事で落ち込んでいる私を元気づけて下さった方。だけど今となっては疎遠になった黒姫さまの事で落ち込んでるというこのザマ。ああなんという事でしょうか。
そんな時だった。
「セーラではないか、久しいの」
なんか聞き覚えのある古風な口調で話しかけられ、私はガバッと俯いていた顔を上げた。
真っ黒なストレートの長髪と黒い瞳の人間離れした美女が、学院の制服を着て普通にそこに立っている。
そして、ふっつーに私に声かけてるんですけどなんなん?
「どうしたのだ?」
不思議そうに、そして戸惑うように私を見る。
そしてちょっと拗ねたような顔をして。
「セーラよ、そなたエルイングと一緒に暮らしておるそうだの。婚約者と縒りを戻した途端、お見限りで淋しかったぞ。たまには連絡のひとつもすべきだろうに」
すると皇子殿下が、
「なんと、男爵令嬢。姉さまへの不義理は許せぬぞ。礼儀というものをユーリィに習うがよい」
とか言ってる。
「キャシュレットの言うとおりである。セーラよ、使者を送るゆえ。今日にでも公爵邸へ顔を出すが良い」
とか。
「忘却の術とは」
私は思わず首を傾げたのであった。
次回が最終話となります。




