32 黒姫さまの正体とは
私がしょんぼりしていると、
「だがな」
黒姫さまは閉じた扇子を取り出し、笑顔の女伯に差し向けた。
「魔力や神力はないが、それ等を奪う能力は持っておるのだ、この女」
そう言われた途端、
女伯はびくりとして目を剥く。
皇子殿下は、
「姉さま、詳しく説明してください」
そう言って椅子に座り直す。
「私の側近が見た、スマーフォへのチャージの件は?」
「すぐ傍を魔力持ちが歩いておったんではないか?」
皇子殿下は苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「私は自身が奪われた事でこの女の能力を理解した。そういう事であったのかと」
黒姫さまは語り出す。
「この女、他人の魔力や神力を奪う力がある。ただし、チャージ能力が恐ろしく低い。せっかく力を奪っても、体内に長く蓄える事は出来ぬ。奪う端からその"力"は抜けてゆく。穴だらけの風船のような物よな。
だから、奪った魔力を使えるのは奪った直後のほんの短時間だけなのだ。なんとも虚しい能力ではあるが、イタズラにはもってこいである。この女、たまさか傍を魔力持ちが通ったかでもした時に限り、ユーリィを転倒させるというイタズラを愉しんでおったんだろうよ。
だから魔力効果も現場に残った魔力反応も微弱。幼少期に受けたという魔力判定がシロだったのもそういうわけだ。本当に魔力などないのだから」
皇子殿下が問う。
「では、今回ユーリィが階段から落ちかける程に女伯の魔力攻撃にブーストが掛かったのは…」
時間を戻す前、皇子殿下と私が話していた事が脳裏に浮かぶ。
水と油。
魔力とは混ざらない"アレ"の件。
今回ユーリィ様にしかけられた魔力の"味"はいつもどおりだったけど、何か別の"力"が入り込んでいたって。その"力"は神力じゃないかって、私と殿下はあの時、意見の一致をみていたわけで。
「この女が偶然にも私の神力を奪ったせいだの。この女としてはいつもの調子でユーリィをちょっと転ばせてやろうと思っただけの事であった。だが、場所は人のひしめくパーティ会場であり、魔術科の生徒も大勢おるゆえ、普段よりも奪える魔力量が多かった上、真後ろにいた私が神力持ちだったという悪条件。女伯が奪った私の神力は、少なくとも数分から十数分、女伯の魔力を包みこんで"抜け"を阻止してしまったゆえ、その結果があれよ」
黒姫さまの解説を聞きながら、女伯は顔面蒼白になった。
やったあ、これで女伯、逮捕ですか?
と、私は喜んだんだけど。
「まあいずれにせよ、たいした罪には問えまい」
黒姫さまは首を左右に振ってみせる。
その言葉を聞いて女伯は顔を上げる。
そして、あからさまにホッとした顔。
「魔力や神力を使った犯罪に於いての刑法はあれども、こんなよくわからん珍しいオンリーワンな能力を取り締まる法など作られてはおらぬし。そもそも、奪える魔力量もたかが知れておるしな」
「そうなのですか?」
皇子殿下の問いに、黒姫さまはコクリと肯く。
「一人につき、奪えるのはその人物の持つ魔力量の0.1%以下くらいではなかろうか」
私はそこで「ん?」と首を捻った。
でも黒姫さまは神力をごっそり持っていかれたんだよね?
魔力は0.1%でも、神力はもっと一杯奪えるとかそんな感じ?
「勿論野放しには出来ぬゆえ、勝手に他人の力を奪えぬよう、能力封印の措置は採らざるを得まいがな」
えー。
「つまり女伯はほとんど無罪なんですか? 処罰無し?」
「処罰無しとまでは言わんがな。良識的に問題大ありの性根である事には間違いないゆえ……。まあ、おおやけの処分としては、良くて学院の自主退学勧告、最悪でも退学処分くらいのものだろうよ」
もしもユーリィ様が死んだままだったら死刑に出来たんだろう。でも、もしもユーリィ様への魔力攻撃自体を阻止していたら、ひょっとして。
その"退学"すら危うかったのかもしれない。
あの時、黒姫さまが仰ってた『我らの"後味"も重要である』って、そういう事だったんだろうか。消された未来であれ、犯した罪を少しは償わせたいという―――。
でもだからって。
見ると女伯はフフンといった顔で笑っている。
私は慌てて皇子殿下を見たけど、しかし殿下はやはりケロッとしている。あんなにショックを受けていた癖に、この私すらを話し相手に求めてしまう程に悄然としていた癖に。あのユーリィ様の無惨な亡骸を綺麗に忘れているとそんな感じになっちゃうのかあ。
それはそれでどうよと思っていると、
「慌てるでない、セーラ。あくまで帝国刑法上での話に過ぎぬのだから」
黒姫さまが言う。
皇子殿下も冷徹な面持ちでニヤリと笑い、
「どうせこの女伯は詰んでいるのだ」
そう言い放つ。
え。
どういう事?
首を傾げて、一拍置いて。
「あ」
ふっと脳裏に公爵さまの姿が浮かんだ。
黒姫さまのお父様。
ロンドグラム公爵さまの姿が。
私はゴクリと喉を鳴らした。
女伯の罪を数えてみる。
女伯が黒姫さまから奪った神力の量と、
黒姫さまが時間を止めたり、
戻したりする為に使った神力の量に思いを馳せてみる。
魔道具のタイムガトマールやタイムガモドールはどうなんだっけ。確か一秒につき10億サイズの魔預缶が1ダースとか10ダースとか、頭の可笑しい量だったよね。それを神力に換算するとして―――。
そうだ、黒姫さまが公爵さまへの釈明の為に瞬間移動した際の神力も追加?
一体どれくらいの神力が失われたんだろう。
とにかく途方も無い量なのは間違いないんだろうなと思う。
ミイラ愛好癖が高じて魔道具オタクにもなっちゃってるエルイングなら少しくらい把握が出来るかも?
そう期待してエルイングを振り返ると、私の肩に手を置いたまま、机に突っ伏して居眠りしていた。恐らく、事件や女伯の行く末に興味がなさ過ぎて退屈していたのと―――あと多分、久しぶりに私と過ごして安心したのかな? 私がエルイングに去られて何ヶ月もの間、ずっと寝づらい日々を送っていたように、きっとエルイングもそうだったんだなと思った。
それからしばらくして、女伯は隠密がどこかに連れていった。暴れたので口に猿ぐつわを噛まされて。居眠りしていたエルイングは起こされたけど、かなり寝ぼけていた為、皇子殿下が男子寮へ送ってくれる事になった。
そして私だけサロンに居残り。
普通に女子寮に帰るつもりでいたら、黒姫さまが私に話があると言ったんだ。
どんなお話なのかなと。
エルイングとのあれこれについて訊かれるのかなと思っていたら、
「セーラよ。あと20分もすれば21時32分15秒になる」
などと仰る。
私は壁にかかった時計を見上げた。
秒針はともかく、長針と短針を見る限り、黒姫さまの言うとおりの時間を確かに指している。
「そうですね」と肯くと、
「21時32分15秒は、先ほど私が時間を戻した時刻だ」
そう仰る。
私はあれは21時半頃だったとザクッと大雑把に把握していただけだったけど、黒姫さまは存外しっかりと正確な時間を把握していたらしい。
一体何を仰りたいのか、黒姫さまはひどく神妙な顔をしている。
「セーラよ、これからまたその時刻が来ると、どうなると思う?」
「21時33分15秒の1分手前になります」
そう言うと黒姫さまが私の額にチョップをくれた。
「そんな当たり前の話はしておらぬ。パシフェルの奴が来るのだ」
「え゛」
「私はな。20時前後に女伯に神力をごっそり奪われた時、これはヤヴァイと思ったのだ」
「そ、そういえばどのくらい奪われたんですか?」
「そうだの。カクレミーノが三時間くらい使える量だ」
「……えーと」
カクレミーノは一時間の使用で神クリ五千本必要なんでしたっけ?
て事は、一億五千本分!?
でも神クリって神殿にあるのは常時千本くらいで、皇宮にも40~50本しかなくて。
それなのに一億五千本分って。
しかも、そんな量を奪われといて、黒姫さま、なんでグロッキー状態になっていないんです!?
魔預缶に魔力を溜めるのは魔塔の魔術師達だし、クリスタルに神力を溜めるのは神殿にいらっしゃる方々だ。彼らの持つ力は年齢による量の増減はあれども、生きている限り絶える事はないそうだけれど、人によって保持出来る量は違うし、使いすぎて一時的に空になる事もあるし、回復にはしばらく休息が必要になるとも聞く。そういえば黒姫さま、スマーフォのフルチャージは高位魔術師でも大変で、チャージ完了後は魔力切れでグロッキー状態とか仰ってませんでしたっけ?
「く、黒姫さまが体内に蓄えていられる神力の量ってどんだけあるんですか!?」
さっき、女伯が奪う魔力量は、0.1%って話してたよね。あの時、なんで黒姫さまだけごっそり奪われたのかなってちょっと気になったんだっけ、そういえば。
「ひょっとして、神クリ一億五千本分が黒姫さまの持つ神力の0.1%なんですか?」
私は思わず目を剥いた。
すると黒姫さまが首を振る。
「まぁ、なんというか、アレだ」
「アレ」
「私の神力は無尽蔵での」
「無尽蔵」
「え、黒姫さま、聖女とかですか?」
神殿は巫から始まり、神官、神官長、大神官という地位があるけど、最上位は聖女の筈。
「聖女はここ数百年出現しておらんし、聖女の持つ神力にも限界はあるゆえ」
「じゃあ無尽蔵の黒姫さまはスーパー聖女? ハイパー聖女? ウルトラ聖女?」
「かっこ悪いのう、その名前」
黒姫さまは渋いお顔をなさる。
「いやでも、おかしくないですか?」
私は首を捻る。
「神力無尽蔵ならなんで公爵さまは黒姫さまが神力を使うのを嫌がるんです?」
今まで公爵さまの怒りどころについて深く考えた事はなかったけれど、改めて思いを致してみる限り、黒姫さまの神力が減ると何か支障があるのかなあとか、そういう方向にしか漠然とだけど受け止めてなかったようにも思う。でもこうと知れば話は別ですよ。
「まあ、それは置いといて」
「置くんですか!?」
「そんな事よりも伝えたい大事な話があるのだ。大至急ゆえ。パシフェルが来る前になんとしても」
「判りました、その大事な話、仰ってください。質問は後にしますので」
「……後、か」
「はい。―――だから、黒姫さま。後でちゃんと質問に答えてくださいね」
そう確認すると、黒姫さまは大きな目をぱちくりさせる。
しばらく迷うように目を泳がせる。
「黒姫さま?」
改めて名を呼ぶと、意を決したように「わかった」と肯いてくれた。




