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03 エルイングには本命がいる?


「実は。婚約者との事で悩んでまして」


 そう言った私に対し、


「ほう。どんな悩みだ?」


 黒姫さまは興味津々のようだった。

 顔色や表情はほとんど変わらないのに、目の輝きで判る。


「えーとその、ですね。私の婚約者はもともと幼馴染みなんですけど」


 そうして私は掻い摘まんで説明をした。

 婚約者には、最近、他に女が出来た様子な事、だから多分、近々婚約破棄されるのではないかと思っている事、そういう気配を察知しちゃっている現状である事を。


 黒姫さまは僅かに眉を顰める。


「気配? 確定ではなくか?」

「そうですね。でもほぼほぼ確定な感じです」

「当人同士で話し合ってはおらぬのか?」

「話し合いたくても―――無視されてるんです」


 六月の初めの"図書館デート、しばらく中止"発言を最後にエルイングが連絡をくれなくなって約三ヶ月。その間、私の方から学生課経由でメッセージを送ったりもしたけれど、一度も返信が無かった。実家経由での連絡も考えたけど、私も意地になってしまい、ずっと静観している状況なのだ。

 そう説明すると、黒姫さまは考え込むように僅かに眉間に皺を寄せた。


「……なるほど、そういう事であるか」

「はい、そんな感じです」

「しかしだな。男を奪い返したいのならば普通は神話の恋の勝者であるアカイシャ像に祈るのではないか? なんでふられた女の像に祈るのだ? 解せぬ奴よ」

「……ぶっちゃけると、婚約破棄自体はどうでもよくて」


 そう言うと黒姫さまがキョトンとする。

 私はフッと自嘲気味に笑った。


「私はですね。婚約者に惚れてないので、婚約が解消されたところで精神的にはそこまでダメージは無いんです。でも、ぶっちゃけ、ふられるのは世間的に体裁が悪いし、気分も良くないじゃないですか。それに、それだけじゃなくて」


 友達だと思ってた―――と私は絞り出すように言った。


「どうあれ私達は婚約以前に幼馴染みであり、友達でした。他に好きな女の子が出来て、婚約関係を解消したくなったというなら素直にそう言って欲しかったんです。そうしたら私は奴の顔を軽く一発殴らせてもらって、そうして笑顔で『幸せになれよ』って。ホントはちょっとイラつきながらも、それでも祝福出来たと思うんですよねえ…」


「…そうさせてはくれなかったと言うわけか」


 黒姫さまの問いに、私はこっくりと肯いた。


「いずれにせよ、今となってはそんな事をしてやる気はゼロですよ。だってまるでフェードアウトでも狙ってるような、なし崩し的にこちらを煙に巻こうとしているような、そんな卑怯な奴だなんて思って無かったんですよ。こんな風に粗略に扱われる自分も惨めだなと」


 ぐっと拳を握る。


「私が黒姫像に何を祈ったかを聞かれましたよね」


 改めて黒姫さまを見やると、黒姫さまも小さく頷いてくれた。


「確かに。婚約破棄の回避を願うなら、私は黒姫からアースタート神を奪い取ったアカネイシャの像に祈ったと思います。アースタート神に祈るなら、浮気の是非について糾弾したと思います。でも別に回避とかしなくていいし、悪態ついて神罰でも当たったら嫌ですし。―――だから私は黒姫像に祈りました」


 ああ、初対面の美女相手に何を長々と話してるんだろうかと。でも黒姫像に祈ってる時に顕れた方だから、なんだか本物の黒姫さまに相談している気すらしてきて。でも結局全部言い訳だって事、判ってた。エルイングに距離を置かれてからこっち、私は誰にも相談出来ずに一人で鬱々としていたのだから。


(多分、今、感情のダムが決壊してるんだわ)


 エルイングに対する恨み辛みでネッチネチに腐りきり、ネバつく糸を引いてる感情を完っ璧に隠し通し、泣いたりせず、震えもせず、舞台上の黒姫さまみたいに。出来うる限りクールでドライにふられさせて下さい。そう祈ってましたと―――私はエルイングに対する膨大な愚痴と共に、ひたすらネチこくネチこく説明をした。

 一方黒姫さまは赤の他人で初対面の私なんかの愚痴を長々聞かされながら、


「そうか、気の毒な話だな」


 時折相づちを打ちつつ、私の気が済むまで静かに聞いてくれていた。

 そうしてなんとか私の中のダムの決壊が一段落した頃。


「とりあえずだな。黒姫像に祈ったところでどうにもならん。あれはただの鉱物の塊で、黒姫への通信媒体ではないゆえ」


 至極真面目な顔で言う。


「はい判ってます。でも気休めにはなるかなって」


 そう自嘲すると、黒姫さまは無表情ながらにどこか途方に暮れたような顔をしている。黒姫さまは私よりも背が低かったけど、それでも背伸びをし、私の頭に手を乗せ、撫でてくれた。

 その気遣いがなんだか嬉しい。


「お話聞いて下さって嬉しかったです」


 言いながら、私は気持ちが浮上するのを感じていた。ここしばらく狭くなってた視界が開き、急に明るくなった気がしたのだ。


「そなた、名はなんと申すのか」


 訊かれたので私は慌ててご挨拶をした。


「キサラシェ男爵家のセーラルルー。セーラルルー・イニシアズ=キサラシェラと申します」


 そう言うと、「おお、そうか」と黒姫さまは優しく微笑んでくれた。

 そして、


「私は二年のレヴェルターブ侯爵家のユンライだ。宜しくな」


 名乗ってくれた。が―――。


 レヴェルターブ侯爵家。


(侯爵家って)


 私は顔面に微笑を浮かべたまま、凍結した。


 この皇立学院は貴族御用達で、生徒は男爵家から皇族まで幅広い。当然、侯爵家だの公爵家だのの高位貴族の子女も在籍している前提だが、それはあくまで前提。男子生徒側は幅広い階級がバランス良く在籍している一方、女生徒側はそうでもない。ほぼ八割が男爵や子爵といった下位貴族の令嬢で、残りの二割近くが伯爵令嬢。ほんの一握りの例外が高位貴族といった所だ。

それなりに理由はある。

 高位貴族の令嬢なんてのは、幼少期にさっさと同階級の貴族令息と婚約してるものだし、嫁ぎ先で恥をかかないよう自宅で花嫁修行をしているのが普通で、わざわざ学院に入るのは意識高い系か、変わり者か、あるいは訳ありかって感じで、あくまで一握りなのだ。


(実際、寮のルームメイトは一代男爵だし、クラスメイトだってほぼほぼ男爵家か子爵家なんだもん…)


 石を投げれば下位貴族に当たる環境で、たまに伯爵令嬢を見かけると無意識に畏まっちゃってるくらいなのに、侯爵家って。冷静に考えるとエルイングも伯爵家令息なんだけど、幼馴染みの気安さでアレは別腹になっちゃってるから除外するとして、エルイングのお兄様の伯爵家嫡男様は、年が離れているのもあってあまり馴染みが無い分、普通に恐れ多さを感じているくらいなのに、侯爵家って。


 青ざめて立ち尽くす私の様子を見て、黒姫さまは訝しそうに小さく小首を傾げる。そして、凍り付いている私の様子を色々と察したらしく、


「レヴェルターブ侯爵家の令嬢ではない。遠縁の者なのだ。大仰に考えずとも良い」


 そう言って気持ちを解してくれたので、私はようやくほんの少し安堵出来た。


 貴族が低位の遠縁を保護する事は少なくない。実際我が家も平民のハトコを男爵家が保証人になって学院に入学させている。ハトコが通うのは本校ではなく分枝校だし、我が家に居候しているわけでもなく本人の自宅から通っているくらいなので、面識はほとんど無いけれど、そのハトコと目の前の黒姫さまの立場は同じなのかなと思えば、すぐに納得が出来た。


「また悩みを聞いて欲しくなったらば教室にでも訪ねてくるが良い」


 私は改めて感動し、


「ありがとうござまいます」


 礼を言った。言いつつもそそくさとその場を辞去したわけだけど、恐らく黒姫さまから見たらスタコラサッサの様相だったろう。割と本気で逃げ足だった。

 でも、ここ最近には無く、心軽やかになれたよ。

どうせしばらくしたらまたぐるぐると腐った糸を引き始めるのだろうけれど。一時的にでも心軽やかな今の内にと、私は学院祭を楽しむ事にした。

 だから私が寮の自室に戻ったのは陽が傾き始めた頃だ。











 いつものように寮の管理人に挨拶してから割り当てられた部屋へ向かう。部屋は二人部屋で、ルームメイトの名前はダイナだ。

 ダイナ・リリスアデル。

 赤紫色の髪で瞳は緑。顔立ちはなかなか蠱惑的な美少女だ。細か目の巻き毛が爆発気味な事がコンプレックス。爵位は一代男爵。魔術科の生徒であり、この学院へ入学する直前まで平民だった子だ。

 我が帝国は魔力持ち優遇政策を採っていて、魔力持ちの子供が生まれた家には身分を問わず多額の奨励金が出る。奨励金を受け取ると、帝国への魔術師奉公義務が生じる為、断るご家庭もあるのだけど、平民の場合は貴族になれる最短コースとして大人気だった。なんせ、義務のひとつに皇立学院魔術科への入学というものがあるのだけれど、入学をもって一代男爵の地位を獲得出来るから。


 扉をノックしてから部屋に入ると、ダイナが嬉しそうに話しかけてきた。


「セーラ、おかえり。学院祭、一人で廻って楽しめたの?」


 私は頷く。

 そうしてお互いが見てきた出し物の感想で盛り上がる。


 ダイナは自分のクラスの出し物である"魔術を駆使した無人オーケストラ"の客入り具合を確認に行き、観客の中に第三皇子殿下を見つけて、思わず黄色い声を上げそうになったと言う。間近で見る皇子殿下がいかに優雅だったか、全ての所作がいかに品に満ちていたかを熱く語る。

 ダイナは女子人気一位のエルイングにはさほど興味がない。

 噂話にはことかかない為、話題に上る事もあるが、しかし極稀だ。ダイナとは学院に入学してからの付き合いなので、私は当然エルイングとの関係は伏せている。そのせいもあって、ダイナと興じる"学院のアイドル"の話題の主役は専ら皇子殿下になるのだ。

 だけど学院祭に於いての一通りの話題が尽きた後、「あ。そういえばさ。モテモテ君の新情報」と、ダイナが思い出しように口にした。ちなみに"モテモテ君"とは二人でなんとなく名付けたエルイングの仇名だ。


「昨日、魔術科のクラスメイトから気になる噂話を聞いたの思い出したんだけど、セーラはもう知ってるかな」


 知らないと首を振ると、


「真偽は不明だけどね。モテモテ君、マフリクス様はカモフラージュで、別に本命がいるって噂があるんだってさ」


 エルイングの傍らに常に居る薄桃色の髪のユーリィ・マフリクス様。

 あの子がカモフラージュ?


「なんの為に? 本命がいるなら素直にそっちと付き合えば良くない?」


 他人事を装いつつ、だけど内心ではおおいに動揺した。

 そして。


(本命―――て、ひょっとして私の事だったりする?)


 不覚にもドキドキする。


(もしや、エルイングに婚約者―――私がいるって事実が明るみになったとか?)


 少しだけ期待した。

 だけどそうではないようで、ダイナの私を見る目も特に含みは無い様子だ。


「マフリクス様ってモテモテ君目当ての女子達に地味に嫌がらせされてるらしいんだけど」


 思わず「でしょうね」と言いそうになる。

 私も入学の際にそんな懸念を抱いて、色々対策を講じていたのだから。


 でね、とダイナは話を進める。


「モテモテ君がマフリクス様と付き合ってるのは本命彼女がイジメを受けないよう護る為なんじゃないかって。そういう説が一部で囁かれてるらしいのよ」


「え」


 と言う事は。


(私は頭ごなしにエルイングが心変わりしたものと考えていたけど、ひょっとしてそういう可能性もあるのかな? エルイングはやっぱり今でも私の事が好きで、だけど私を護る為にあえてマフリクス様と付き合ってる…?)


 ちょっとそんな風に考えてみたけれど、けど。


(いやいやいや、あいつ、そんな事するかなぁ?)


 あいつはそりゃ特別善良って事もないけど。さすがにそんな勝手な理由で他人を犠牲にするような奴ではないような。良識がどうこうじゃなくて、そもそもそんな複雑な事を考えたり行動したりするタイプではないって意味なんだけど。

 そう思いかけて、


(いや、だけどさ)


 思い直してみる。


(ずっと悪い奴ではないと思っていたけど、ここ数ヶ月はぜんぜん違った側面を見せられているのが現実なんだよね。あいつが"悪い奴じゃない"と思えたのは、あいつが私の事を大好きで、それなりに丁重に扱ってくれてたからってだけかも? 実際、好きじゃなくなったらしい今はおもっきり粗略に扱われてるわけだから…)


 小首を捻って思案してみるけど、しかしどうしてもエルイングのイメージが一致しない。そうしてしばらくして―――ふいにバカらしくなった。


 だってダイナの情報はあくまで"説"だ。


 マフリクス様はカモフラージュだとか、

 イジメられてるとか、

 エルイングは他に本命がいるとか。


 全部、単なる"説"。

 赤の他人の第三者から見たらありそうってだけの"説"。


 ああ、せっかく黒姫さまに解きほぐしもらった感情の糸がまたもやネバり始めるよ。

 私は脳内でハサミを思い描き、自身を再び絡め取ろうとする、腐りかけのネットネトな糸のイメージを断ち切る。ぷちぷちぷちぷち、もうひとつぷっちん。

 よし、完了。


 私はダイナに向き直った。


「ねぇね、そんな事よりもさ。明日は二人で学院祭、廻ろうよ」


 ダイナは笑顔で承諾してくれた。

 見ると窓の外はすでにとっぷり暮れている。


「そろそろ夕飯食べに行かないと」

「そうだね」


 寮の食事は時間内に食べないと食堂から閉め出されてしまうのだ。二人で部屋を出て食堂に行くと、まだチラホラと人が残っていた。

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