29 黒姫さまは大鉈を振るう
「婚約破棄の件、とっくに終わってしまっておるかと思いつつも、急いで来てみたのだがな」
黒姫様は純黒の生地に金糸で薔薇の刺繍の施されたドレスを着ていた。胸元は洋紅色の薔薇を象った大きめのコサージュで飾られている。とてもとても美しい姿だけど、めちゃくちゃ美しいけど、こんな目立つ方が真横に来るまで気がつかないなんて有り得るのかなって、ホント。
「その件は終わりました」
そう答えると、
「おお、そうか」
そうしてチラリと私の横にいるエルイングを見て、
「首尾はいかがした?」
黒姫さまが微笑む。
首尾… 良くいったのかなあ?
婚約破棄受け入れに関しては個人の感想ながらも一応クールでドライに出来た気はするから、まあ計画通りではあった。ただ、当のエルイングがそもそも婚約破棄する気など無くて、"婚約覇気"だと意味不明な強弁をしているのが現状かな。
さっき突然私の肩を強く握ったエルイングはすでに力を抜いていたけど、表情を窺うと、黒姫さまに妙に不躾な眼差しを送ってる。見惚れてるって感じではなくて、警戒MAXで「誰?」て怪しんでる感じ。黒姫さまのようなとんでもない美女を前にしても心乱される様子もないとは吃驚だなとちょっと思いつつ、そんなどうでもいい事を考えている場合でもなかったなと。
それで私は黒姫さまに向き直った。
「それよりも、あのう。ユーリィ様が… 亡くなりました。階段から落ちて。いえ、落とされて」
そう報告すると、
「なんと」
眉を顰める。
「なにやら会場の様子がおかしいのうと思っておったら…」
時計を見ると21時半までもうじきという所。本来なら後夜祭はまだまだ盛り上がってる筈で、それなのに会場の雰囲気はこのザマで。黒姫さまのその美しい大きな目はフシ○ナですか? おかしいのうとか優雅に言ってる場合じゃないですよう―――と泣きたくなったけど言えなかった。
私が困惑の余り言葉を失っていると、
「いや、すまぬ。何か事故でもあったのだろうかと思いはしたが、まさかユーリィがのう…」
私がユーリィ様の亡骸の方を指さすと、黒姫様はゆっくりした足取りでそちらに歩いて行く。亡骸の傍にはユーリィ様のお母様がしゃがみこんで、今や言葉も無く俯いていたけれど、黒姫さまが声をかけると面を上げて、そうして激しく泣き出した。
そのタイミングでエルイングがぼそりと呟く。
「今の人、空間から急に現われた気がしなかった?」
「へ?」
ひょっとして黒姫さまはどこかから神力を使って瞬間移動して来たのだろうか。でも、神力を使ったら、ロンドグラム公爵さまが激怒するんだよね? たった17リエン分の神力の消費で皇子殿下は大怪我させられたわけで。神力使って瞬間移動なんかしたら、いくらなんでも17リエンでは済まないのでは?
い、いやまあ、後でご本人に訊いてみればいいか。
数分後、充分に確認をしたらしき黒姫さまは、また私の所に戻って来た。
「……本当に死んでおるではないか」
黒姫さまはそう呟いた後、今度は捜査員と話し込んでいる皇子殿下の方へ向かう。黒姫さまに話しかけられた皇子殿下は何やら熱心に説明をしている。
「今の人、セーラとはどういった知り合い?」
エルイングに問われ、
「ここ最近、私の悩み相談に乗って下さっていた方だよ」
短めに説明する。
「…どんな相談だったんだろうねえ。ちょっと怖いなあ」
意味ありげな眼差しを送ってくるのでギクッとした。
まあ、お察しの通りあんたの事でございますが。
そうこうする内、黒姫さまはまた私達の所に戻ってきた。
そうして言ったのだ。
「ユーリィは運が良いのう」
と。
え?
と問う間もなかった。
黒姫さまはしなやかな長い片腕を横にすらりと突き出した後、小声で何かを呟いた。すると黒姫さまの手の平に大きくて真っ黒な何かがぶわりと出現する。それは物というよりも小型の雷のようで、輪郭がまるで放電でもしているようにパチパチしている。そのパチパチはやがてバチバチに変化して、だんだんと膨張して、
最終的に成った形は―――。
「な、鉈ですか?」
えらく物騒な形状を象る。
サイズ的に見て大鉈、いや、超大鉈?
黒姫さまはそれを軽々と持って小さく笑う。
「前に言ったろう? いざとなったら大鉈を振るってやると」
(言ってた、確かに言ってたけど)
黒姫さまは超大鉈を軽々と振ると、空間をまあるく切り裂いた。切り裂かれた範囲は遠心力で会場内の全てを被い、全ての色彩が突如色褪せてゆく。
すると。
会場内の人達が、突然動きを止めた。
まるで時間が止まったように。
いや、本当に止まっていた。
見ると、皇子殿下は捜査員に対して何かを話しているような様子のまま完全に静止していたし、マフリクス子爵さまも静止している。捜査員や警備員、公人魔術師など、たった今まで忙しげに動いていた時のまま、全員が全員、思い思いの姿勢のままで静止していた。ユーリィ様の亡骸の傍にいたマフリクス子爵夫人も。なにもかもが。
そして全員が色彩を無くし、
いつしか世界はモノトーンに染まっていた。
瞬間的に背筋にゾッとした寒気を感じる。
私はハッとして真横にいる筈のエルイングを確認した。
だけどエルイングは普通に動いてて、
モノトーンじゃなくて、ちゃんと色が着いている。
勿論、この事態に驚いて呆然とはしていたけど。
「良かったあ」
私が思わずエルイングに抱きつくと、エルイングはコロッと機嫌を良くしてニコニコ笑って私を撫でる。
それで私は落ち着いて、くるりと振り返って黒姫さまを見た。
「あの、これは一体?」
半べそ気味に問うと、
「見ての通り、鉈を振るった」
「まさか本当に鉈(っぽい物)を振るうとは思ってませんでした…。て言うか、ソレって」
黒姫さまの握る鉈型の謎の物体を指さすと、
「そりゃあ、アレに決まっておる」
「まあ、わかりますが」
神力ですね、黒姫さま!
「せっかく婚約者と縒りを戻した様子であると言うに」
「え、戻ってません、まだ」と私。
「戻りましたあ」とエルイング。
「…こんな事件が起きては験が悪かろう? せっかくそんな嬉し恥ずかしな青春の1ページに人死になどという瑕があっては台無しであろうよ。せっかくこの私がもの珍しくも助力したと言うに、こんなオチでは気まずいにも程があるであろ?
よって、ユーリィが死ぬ直前まで時間を巻き戻す」
「え」
私は目が点になった。
「神力って、そんな事が出来るんですが!?」
「できるとも」
「なんか、皇宮の魔道具倉庫にタイムガトマールとかタイムガモドールとかいう魔道具がありましたけど、なんかすっごい極悪な魔力消費量でしたけど!」
「あんなモンを使うより神力の方が早い。戻す時間は一秒でも早い方が使う神力も少なくて済むしな。ちょっと時間はかかるが。では戻すぞ」
そう言って黒姫さまは手に持っていた大鉈を手放した。
大鉈は特に落下するでもなく、
バチバチと音を立てながらどんどんと小さくなり、
そして今度は閉じられた扇子のような形になった。
黒姫さまがそれを優雅な仕草でパサリと開く。
開いた扇子の扇面に向けて息を吹きながらゆらゆらとあおぐ。
すると、
モノトーンの世界の中、停止していた全ての人達が逆回転のコマ送りのような動きで時間を遡り始めた。そのあまりに不思議な光景を、私とエルイングは手を繋ぎながら、ただひたすら、ぽかんと見守る他なかった。
時間が戻り初めて数分ほど経過したろうか。私とエルイングは当初こそ固唾を呑み、めまぐるしく時間を遡ってゆく空間の様子に圧倒されていたんだけど、しばらくするとさすがに心に余裕が出来たし、ふと思いついて私はエルイングに話しかけた。
「それにしてもあなた、よくこの状況に平然と対応出来るわね」
だって私と黒姫さまの会話とか、突然起こったこの不可思議な状況って、普通は疑問に思うじゃない? 私と黒姫さまの間には私の勝手な思い込みかも知れないものの、ばっちり信頼の絆がある。黒姫さまが何をやらかしても受け入れるだけの信頼と覚悟がある。だけど、エルイングからしたら黒姫さまって突然空間から現われた怪しい謎の美女なわけで。
いや、初対面が"突然空間から現われた"だから、エルイングからしたら最早なんでも有りなのかな?
「私、魔力だの神力だので時間を止めたり戻したり出来るなんてつい数日前まで知らなかったから、今リアルに驚いてるんだけど。少し前に皇宮の魔道具倉庫でタイムガトマールとかタイムガモドールとか見たけど、消費魔力量がバカすぎて絵に描いた餅だとしか思わなかったし、そもそも必要魔力を賄えたとしても、ホントに作動するのか怪しいなって疑っていたくらいで」
完全に雑談のノリで言ってみただけだったんだけど、
「僕はね、伊達に小さい頃から数々の魔道具をチェックしてきたわけじゃないんだよね。皇宮所蔵の魔道具図鑑も持ってるし」
「え、そんなの売ってるの?」
「タイムガトマールとかタイムガモドールも載ってたし、あと、なんか、僕の趣味に使えそうな道具もあるなって思ってはいたけど」
「知ってたんだ」
「うん、ただね。消費魔力量がね…」
「あはは」
「あ、でも本当に作動するかどうかってのは判るらしいよ。検品は出来ない代わりに、神殿が魔道具の性能鑑定を請け負ってるんだって」
「あ、そうなんだ」
そんな風に盛り上がって話していたら―――。
「セーラよ、ユーリィが魔力攻撃を受ける直前まで時間を戻したぞ」
黒姫さまが言う。
ハッとして周囲を見回すと、本当に一時間半くらい前の情景が目の前にあった。
会場外に出されていた筈の生徒達は会場内にひしめいていたし、皇子殿下はアースタート階段の踊り場にいて、そして。
「あっ」
私は思わず声を上げる。
アカネイシャ階段の踊り場よりも10段ほど上のあたりにユーリィ様が座っていた。
「生きてる」
なんか、じわっと涙が出た。
まだみんな停止した状態だし、色もモノトーンのままなんだけど。
それでもユーリィ様はぜんぜん全く死に顔じゃなくて、しっかり表情のある顔だった。




