24 唐突に降りてきた記憶
「ユーリィを転倒させた魔力は恐ろしく微弱という意味ではある意味レア。そのレアな魔力を持っているのは界隈では女伯のみな上、動機もある」
「まぁ、ビンゴなのだろうな。判ってみればひねりの無い結果だが、現実などというものはそんな物かもしれんよの」
話し合っているお二人に対し、私は「あのう」と声をかけた。
黒姫さまも皇子殿下もくるりとこちらを見る。
「えっと、皇子殿下…」
恐る恐る声をかけると、
「………………………………………………………………なんだ?」
たっっっっぷり溜められた挙げ句、じろっと睨まれたけど私はへこたれない。
「女伯≠浮気相手の件、そろそろ教えて頂けたらって思うのですが」
「……………………ああ、その事か」
皇子殿下は三角巾で吊った自身の腕をもう片方の手で撫でつつ、面倒臭そうに口火を切った。
「ざっと調査した限り、エルイングが女伯に靡いた様子はないのだ。女伯の方からはユーリィの目を盗んで度々エルイングとの接触を図っていたようだがな」
「でもユーリィ様が仰るには、エルイングは女伯様を何度か見つめてたそうなんですが。相思相愛率の方が高いんじゃないかなあと」
そう言うと、
「うむ。言っておったよな」
黒姫さまが同意して下さったので、ですよねーと私は笑顔を返した。
そうして改めて皇子殿下を見て、
「私、これでもあいつとの付き合い長いので判りますが、あいつ、他意もなく人の顔を眺めるような奴じゃないんですよ。基本、生きてる他人には興味の無い男です。ミイラなら別ですが。それが"見つめた"とあっては、それはもうエルイングからしたら破格なんですよ、破格」
私が力説すると、
「……何故エルイングと女伯をそうもくっつけたがるのだ?」
皇子殿下が不思議そうな顔をするので黒姫さまが解説してくれた。
「女伯がただのストーカーでしか無かったのなら慰謝料の上乗せが出来そうにないからだろ。セーラとしては二人が両想いで、しかも交際実績のひとつもあった方が都合が良いのだ」
「……は?」
皇子殿下はなにやら吃驚しているようだけど、吃驚される意味がわからん。だけど皇子殿下は「信じられない女だな」と軽蔑したまなざしを向けてきた。
「女伯は早晩調査の対象となり、ほぼ間違いなくそれなりの処罰を受ける事になる。女伯が本当に相愛の恋人ならばエルイングは悲しむだろう。浮気相手ではなくただのストーカー女であった結末をこそ喜ぶべきだろう? それなのにお前は慰謝料の方に関心がゆくのか? なかなかに無粋な女だな」
え? 私、無粋?
「キャシュレットよ。そなた、自身の行動を棚に上げて他人にばかりに良識を強いるでないわ。セーラの身にもなってみよ」
ですよねえ。
黒姫さまが庇って下さったので私は遠慮なく無粋な女でいる事にした。
一方ぐっさりやられた皇子殿下は、
「…くっ」
とか言ってる。
「と言うわけで殿下。個人的にはいまひとつ納得がいかないので、件の二人が相思相愛でない根拠をもう少し詳しく教えていただけましたら幸いに存じます」
改めて請うと、殿下は致し方ないといった風に話し始める。
「……先ずは女伯の"本命"説なるものについて話そう。イズハルト伯爵家のクローディア嬢とは違い、女伯の"本命"説はほとんど本人による単なる自称なのだ。エルイングが女伯を見つめたというのが事実としても、人の口の端に上る程ではない。むしろエルイングが女伯を冷たくあしらう姿の方こそ目撃情報が多いくらいだ」
「えーーー」
「男爵令嬢よ、女伯がどのように自称しているかを教えてやろう。多分、困惑すると思うぞ」
「え、困惑ですか?」
皇子殿下はフッと笑う。
「女伯は自身とエルイングは幼馴染みだと言っているのだ。地方都市のデンスレイドで度々デートをし、魔道具ショップ廻りをしたとも言っているんだが。
お前はこの"自称"をどう思う?」
「え。え? はい?」
皇子殿下から発せられた斜め上すぎる謎の情報。その威力たるや世界一の格闘家にウルトラ級のデコピンを食らったが如しで、私の魂は肉体から解脱し、はるか上空、空高く舞い上がり、いつしか一条の閃光と化し、最愛の妻アカネイシャを寿命によって喪って以来、世界のどこかで永い午睡をむさぼっていると伝わるアースタート神すら、思わずその瞼をうっすらと開いて見上げ――――――た気がしたものの、我に返ってみれば、私は公爵邸の黒姫さまのお部屋のソファに依然として座っていたけども。
皇子殿下は続きを話す。
「エルイングの幼馴染みは女伯ではなくお前の筈だ。デンスレイドの魔道具ショップでデートをしていたのもお前なんだろう? しかし女伯は自分の事だと言って裏で吹聴していた。サロンでユーリィに対する妄言を吐いたときも思ったが、この女伯、なんでも自分の都合の良いように記憶改竄する癖があるらしい。故意の改竄なのか自覚しての改竄なのかまでは知らないがな。
こんな女とどうしたら相思相愛になれるのか逆に訊きたいくらいだ」
「……それはちょっと。確かにわけが判りませんね」
いや、ほんとに判らないかも。
実は女伯様は私とエルイングの共通の幼馴染みで、実は常に三人でいた?―――なんて事は絶対にないよな。うん、ないない。何故かエルイングと私は仲良く揃って記憶喪失にでもなって女伯様の事を忘れてるとか、そういう事ってある? いや待て、ひょっとしたら記憶喪失なのは私だけで、エルイングの方は女伯様を覚えているとか? ―――しばらく考えてみたけど、うーむ、やっぱり無いと思うなあ、そんな謎の記憶。
―――と思いかけたところで。
「あ」
私の中に唐突にひとつの記憶が降りてきた。
今まで点と点が繋がらずにすり抜けていった記憶の断片や、像を結びきれずにいた靄のような映像が、唐突に形を成し、色を成し、ひとつの記憶として成立した。
デンスレイドの魔道具ショップで二人の美少女が喧嘩してた場面。
その後、見つめ合っていた場面。
美少女と言っても片方はエルイングなんだけど。
(あれって)
そして、紫。
紫の瞳。
それがふわっと私の脳裏に降りてきた。
「皇子殿下」
「なんだ」
「唐突に思い出した過去バナ、聞いていただけますか?」
「……雑談や与太話でないなら言ってみろ」
「先ず、先に言ってしまうと、女伯様の言う"エルイングの幼馴染み"、"エルイングと魔道具ショップ廻りのデート"は、勿論私自身にもあてはまりますが、女伯様にも当てはまってます」
「……ほう?」
「勿論、普通の人間ならアレをもって"幼馴染み"、"魔道具ショップ廻りのデート"とは言ったりしないでしょうが、しかしあの女伯様ならば充分言いそうだなって事で」
「……詳しく説明してみよ」
「はい……」
そうして私は過去バナを皇子殿下に話したのである。
あれは五年くらい前の事。
エルイングと婚約した後だったか前だったかはちょっと覚えてない。
いつものようにエルイングに誘われてデンスレイドの魔道具ショップ廻りをしていたんだけど、棚に囓りつきになって本格的に会話不可能になったエルイングを置いて、私は店内の少し離れた位置のベンチで寛いでいたんだ。でも、エルイングは女装をしているわけでもないのに見た目完全に美少女だったから、怪しいオジサンとかが近寄ったら助けなきゃと思って、目は離さなかった。
そうしたら金髪の美少女がエルイングに近付いていくのが見えた。
男じゃなくて女の子だし、歳も同じくらいだしと思って、私は引き続き眺めてた。遠目で見た限り、金髪ちゃんがエルイングに話しかけて、一方のエルイングはすごくナチュラルにフル無視を決め込んでたから、金髪ちゃん、可哀想にって思ってたら、
なんか、金髪ちゃんがいきなりエルイングの後頭部をぶっ叩いた。
エルイングは目前にあった棚の縁に顔面打ち。エルイング、さすがにムカついたらしくてキッと金髪ちゃんを睨み付けた。でも、見た目はどうあれやっぱり男の子だから、女の子に手は上げられないと思ったみたいで、手は出さずにただ睨んだだけなんだけど。
それなのに金髪ちゃん、ビビったみたいで、
『わ、私を誰だと思ってるの! 伯爵サマよ、跪きなさい!』
って。
この時は伯爵令嬢と言いたかったのに伯爵って言っちゃったのかなーと思ったけど、今思うと本当に伯爵だったのかな? 女伯様は確か10歳頃に爵位を継いだってユーリィ様が言ってたよね。
それは置いといて、そちらが伯爵家ならエルイングも伯爵家。身分だけで言うならそもそも跪く筋合いもないわけで。それ以前に暴力奮ったのはそっちだけで、エルイングは睨んだだけよねって思ってたら、
『店主! この子が私をいきなり殴りつけたの! 取り押さえなさい!』
と騒ぎ出した。
何言ってんのこの嘘つきって思った。
ちなみに店主はガキの喧嘩かあって感じで聞こえないふりを決め込んでた。
私は店外に待機しているだろうカシスタンド家の従者を呼ぼうかなと一瞬思ったけど、まあでも子供同士だし、私が仲裁すればいいかなと思って近付いていったの。私はその頃も人より身長高めだったから同い年でも年上に見られがちで、子供の喧嘩の仲裁成功率も高めだったしね。
でも、気がついたら喧嘩になっていた筈の二人が、いつの間にお互いに見つめ合ってんの。まぁ、"見つめ合う"って表現が正確だったかはわからない。穏やかな雰囲気ではけして無かったしね。
私が至近距離まで辿り着くとエルイングは私を振り返ったけど、その瞬間、金髪ちゃんは背中を向けて逃げ出して、それっきりだった。
一応、金髪ちゃんの従者なりなんなりが店内に入ってくるかと身構えていたけどそんな事もなかった。
「実はエルイングはその頃、女の子達に今とは別の意味で絡まれる事があったんですけど、」
「別の意味とは?」
「10歳の頃のあいつ、美少女だったんで。容姿に自信のある女の子とかがエルイングを見て自信喪失するなんてのはまだ可愛い方で、自分より優れた美貌の主への嫉妬心を滾らせて因縁つけてくる武闘派女子とか…」
「ああ、わかるぞ」
黒姫さまがやけに実感を込めて肯くと、
「姉さま、私もです」
皇子殿下も同様に肯いた。
まあこの二人ならそうなんだろうけど、でもこの二人の場合、身分が身分だし因縁つけられた経験ないんでは? とちょっと思ったけどまあいいや。人には歴史があるからね。美形には美形の悩みがあるんでしょうね。私如きにはわかんない、なんか色々あるんでしょうよ。
「……なので多分、金髪ちゃんはエルイングを女の子だと思い込んでて、その上で因縁つけたんだろうなって。まあ、話しかけているのに無視を決め込んでいたエルイングも悪かったと思いますけどね。まぁそれは置いといて」
私はゴクッと喉を鳴らした。
「問題は、"セルバイス"なんですが。セルバイスってひょっとしてデンスレイドに近かったりします? デンスレイドに隣接してる伯爵領はカシスタンドだけの筈ですが、隣接はしてないけど少し離れた所にももうひとつあったなって。それが確か、セルバイスとか、そんな名前だったような気がするんですけど」
「……ものすごく近いという程でもないが、まぁ、それなりに近い方だと思うが」
「……あ、やっぱりそうなんですね」
「自身の領地の近所の範囲内だろうが」
「近かろうとも行った事無い地域はちょっと」
「…………つまりその"金髪ちゃん"が件の女伯という事か」
そう確認してくる皇子殿下に、私は「おそらくは」と肯いた。
まあどう考えても本人でしかないけど。
「あと、紫の瞳ですね。私は五年前のあの日、デンスレイドからの帰りの馬車の中で、『さっきの女の子とやけに見つめ合っていたけどなんで?』ってエルイングに訊いたら、『あの子、眼が紫になった』って言ったんです。『僕の紫の瞳は珍しいってみんながよく言うけどさ、あの子もそうなった』って」
「"なった"とは、とどのつまり」
黒姫さまの問い。
「恐らく、グリーンの目が紫になったんでしょうね。金髪ちゃんは腹立たしい相手だと感じたエルイングに魔術で攻撃をしかけたんでしょう。でもあまりに微弱だったせいか、その攻撃はエルイングには効かなかったのか、効果が出る前に私が来ちゃったので逃げ出したかって事なんでしょうが……。
当時の私は、エルイングに"紫になった"と言われても何を意味の判らん事を言ってんのかなあアハハハーと華麗にスルーしちゃったんですけどね」
そして、つまる所、
皇子殿下の推理は全て正解なんだろう。
なにしろ皇子殿下、ものすごいドヤ顔キメてるしね。
女伯様がかつてデンスレイドの街で出会って喧嘩した"美少女"がエルイングだと気付いたタイミングがいつ頃なのか不明だけど、その後、勝手に脳内で自分は"幼馴染み"とか、"魔道具ショップでデートをした"とか変換したんだろうね。勿論、普通の感覚ではぜんっっぜん意味わからないけどね。
一方のエルイング。女伯様の顔に見覚えでもあったんだろうか? 人の顔を覚えるのが苦手なあいつの事だから、思い出せなくてじろじろ眺めてただけってオチなんだろうなあ。
とりあえず、私の慰謝料上乗せの野望は夢と潰えたと痛感する他ない。




