11 ポ○コツ疑惑
一時間ほどで話が終わると、第三皇子殿下は皇宮のご自身の宮へ帰宅された。
ご帰還を見届けると、私はすぐにスガタガキエールを脱ぐ。
そうしてソファの隅っこでいじけた。
憤り過ぎて憤死寸前だ。
だって意味が判らない。
なんだかんだと小さい頃から仲良くやってきた相手にいきなり距離置かれて、無視されて、浮気されて、睨まれて、その上、なんなの?
「セーラよ」
黒姫さまがそっと背中を撫でてくれる。
「私がついておる、案ずるな。必ず真相を突き止めてやるゆえ」
「はい…」
「て言うかだな。思うに、事態の概要は案外単純やもしれぬぞ」
「と申しますと?」
「私はキャシュレットやユーリィの思惑はもっと複雑に絡んでおると睨んでおった。実際、事の初めはそうだったのかもしれぬ。なんせ弁えた娘とばかり思っていたユーリィが、意外にもキャシュレットの権力に甘えたというのだからな」
「そういえばそこ、黒姫さまの読みが外れてましたね」
「うむ、すまなんだ」
黒姫さまは素直に謝ってくれる。
「だがな。その後、時を経て、絡まっていた筈の糸は今はいくらかは解れておると見た。なにせキャシュレットは何がなんでもユーリィの恋を叶えてやろうとまでは思っていない。独裁帝国ワガママ皇子の汚名を着る気はないと言っておったろ。ユーリィもそなたの婚約者を得る為にキャシュレットの権力を用いた事を本気で反省しておる。つまり、」
黒姫さまは閉じた扇子を私の顔に向けてくる。
「そなたの婚約者が一人で複雑怪奇な事になっているに違いない」
複雑怪奇?
見かけのせいで気付かれにくいけどエルイングは実のところけっこう単純な奴で、複雑という言葉は似合わない。だけど最近のエルイングの事を私は理解出来てる気がしないわけで。単純だと思っていた事自体が私の勘違いの可能性もあるわけで。
「泣くでないぞ。私はそなたの後ろ盾だ。きっと力になってやる。けして悪いようにはせぬ」
「はい。でも―――」
「なんだ?」
「私、クールでドライにふられてやるつもりだったけど。でも追加で"ざまぁ"を加えたくなってきました」
黒姫さまは軽く目を瞬かせる。
そうして艶然と微笑んだ。
「任せておけ。かならずそなたの思い通りの結末にしてやる。キャシュレットとて権力を用いたのだからな。当初私は"たいした事はしてやれぬ"と申したが、あれは撤回だ。いざとなれば大鉈を振るってやろうではないか」
「はい!」
私は元気よく返事をしたわけだが―――。
「泥船に乗ったつもりでドンと構えておれ」
言われて思わずソファからずっこけた。
いや、大船の言い間違いだろうけども。
ああ、そういえば。
「あの」
「なんだ?」
「皇子殿下がいらしてた時、私、黒姫さまに皇子殿下あての質問を割と大きめな声でお願いしたんですが」
「……聞こえなんだが」
「ですよね。二回ほど試みましたが、黒姫さまには聞こえてないようでした。ペアリング機能を作動させ忘れてたんでしょうか」
「おかしいのう」
黒姫さまは私が脱いだスガタガキエールを手に取り、あちこち吟味する。
そうしてしばらくして、「あ」と小さく呟いた。
「すまぬ。ペアリング機能が壊れておるわ…」
「あはははは。そうだったんですねー…」
黒姫さまってひょっとしてそこはかとなくポン○ツ……?
身分や容姿が上級すぎてなんとなく目を逸らしてきたんだけど。
「して、何を聞こうとしたのだ?」
「はい、あの。抵抗と交渉と頑張りについて」
私は皇子殿下の台詞を思い出しつつ、黒姫さまに説明をした。
エルイングは六月の時点でユーリィ・マフリクス様との交際継続要請に抵抗の意を示し、殿下は抵抗するエルイングを交渉術で説き伏せて承諾させ、マフリクス様は何かを頑張った―――の件。
「……そういえば言っておったな、そんなような事」
「どのように抵抗し、どのように交渉し、どのように頑張ったかについて聞きたかったのですが、黒姫さまに気付いてもらえなかったので…」
「すまん。なんだったらまたキャシュレットを呼び戻すか?」
「い、いえいえいえ、いいです、割と真剣に恐れ多いですしっ」
すると黒姫さまは呆れたように言う。
「あやつがそなたから婚約者を奪った事や、この学院での生活に於いて数ヶ月もの間、多大なる精神的苦痛を与えた事実を考えてもみよ。そなたがあやつを幾度か呼びつけたところで帳消しになどならぬと思うがな」
「そりゃま、そうなんですがぁ、下々の身といたしましてはぁ」
「皇族だ貴族だ言うたところで一万年ほども先祖を遡ればみなどこかしらで血が繋がっておるだろうに。さてはて面倒な世の中よのう」
「そうは言われましても無理ですよう。もしも黒姫さまがまた皇子殿下を呼んでも、私やっぱりスガタガキエールを借りなくてはなりません。一時間の使用で消費魔力が三億リエン分でしたよね。さっき、結局一時間くらい使いましたし… 私の懐から出るわけではないとはいえ、ちょっと胃が痛いんですが」
「気にするでないというに」
「いえあの、ホント勘弁してください… お金もアレですけど、どちらかというとやはり何というか恐れ多くてデスネ…」
あくまで抵抗する私をしばらく見つめると、「よし」と黒姫さまは膝を打った。
「キャシュレットがそんなに嫌ならばユーリィを呼ぼうぞ」
「え、ええ?」
「キャシュレットよりはマシだろう? そなたは男爵令嬢だっけか。ユーリィは子爵令嬢。身分と言う意味ではそう差はあるまいて」
「いやいや、男爵家の中だって序列ありますし、うち、お祖父ちゃんの代まで平民で」
「ええい、ワガママを言うでないわ。スガタガキエールは引き続き貸すゆえ、いつでも着衣出来るようスタンバイしてそこに直っておれ」
黒姫さまは宣言すると、呼び鈴を鳴らしてメイドを呼ぶ。
やってきたメイドに、
「マフリクス子爵家のユーリィを呼べ。ロンドグラムの名は使わずとも良かろう、ユンライの名前で良い」
そう命じた。
それから30分ほどして、メイドに案内されながらユーリィ・マフリクス様が本当にやってきた。
学院祭の真っ最中なので当然のように制服姿だ。
チラッとマフリクス様の足下を見てみると…。
(……あ、ホントだ)
皇子殿下が言っていた通り、マフリクス様は標準よりヒールの高い靴を履いていた。
ちなみに私は先ほどに引き続き、結局スガタガキエールを着込んでいる。マフリクス様が来る直前、度胸を決めようかと一瞬思ったけれど、やっぱり無理だった。だってさすがに皇子殿下よりは緊張せずに済んでいるけど、それでもやっぱり顔を合わすのは気まずいわけで。
「久しいな、ユーリィ」
「皇女殿下、お久しぶりでございます」
マフリクス様は丁寧にお辞儀をし、黒姫さまの勧めに従って対面のソファに座る。
すると黒姫さまが問う。
「少し痩せたか?」
「そうですね、少し痩せました」
確かに。
間近に見るマフリクス様を見たのは傍で蹴つまずかれた時以来だけど、あの頃より痩せたような。もともとほっそりしてたのが、更に細くなったような。
「本日はどのような御用でしたか?」
マフリクス様が黒姫さまに問うと、
黒姫さまは扇子をバサッと開き、仰ぎながら話し始めた。
「実はな。ひょんな事からエルイング・カシスタンド―――の婚約者と仲良くなったのだ」
そう言うと、マフリクス様はもともと大きな目を更に大きく見開いて、次には眉を八の字にした。そして少しだけ俯いて、
「…ご迷惑お掛けしました…」
酷く沈痛な表情を浮かべた。
皆まで言わずとも黒姫さまの意図を察したのだろう、
そうして語り出した。
「私が初めてカシスタンド伯爵令息エルイング様を見たのは学院の玄関ホール裏手の噴水庭園でした。庭園の奥の通路へ向かうエルイング様を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃が走ったのです。一目惚れでした。
皇女殿下もご存じの通り、私は小さな頃から皇宮へ行く機会が多くて。皇族の方々は並よりも美しい方ばかりですし、侍女や従者、近衛騎士などもご容貌の優れた方が多いですよね。そんな環境で育ったせいもあってか、美形慣れしている自信があったんですけど―――。
でも、エルイング様を見た時、なんというか。一瞬で心を搦め捕られてしまったのです」
マフリクス様は大真面目かつドシリアスだ。
だからこちらも真面目に―――スガタガキエールなんて着込んでおいてなんだけど、私なりに真面目に聞かなくちゃって思ってはいるんだけど。
(背中がムズムズする)
なんというか、世の中の全ての"幼馴染み"の背負う業という物ががぶりよってくる。
うちに泊まりに来てやらかしたエルイングの寝小便姿とか、カシスタンド伯の屋敷に遊びに行ったらエルイングが風邪を引いていて鼻提灯膨らませてたとか、泥だらけの足で廊下を走ってたエルイングが乳母にげんこつ食らってた姿とかが脳裏に浮かぶと同時に、目の前の恋する乙女の可愛らしいピンクの唇から出てくるエルイング像とのギャップがね。なかなかにクリティカルだった。
マフリクス様は目を潤ませる。
「彼がどんな話をしても、私には全部が格調高い詩の朗読のように聞こえました」
すごい。
エルイングの声が? え、何?
格調高い?
まぁ、声は悪くないよね。
変声期前はめっちゃ甲高かったけど。
12~13歳頃だっけ、久しぶりに会ったら変声期迎えてめっちゃ声が低くなってて、その頃のエルイングはまだ女顔が抜けてなかったから違和感ハンパなくて大笑いしたっけな。
思い出して吹き出しそうになりつつ膝をつねって堪えた。いやでも、スガタガキエール着てるしペアリング機能壊れてるから黒姫さまにも聞こえないだろうし、堪える必要なかったわ。
と言うわけで私は遠慮なく笑った。
盛大に声を上げて。
その横で黒姫さまとマフリクス様の会話が続いてる。
「…そなたとエルイングとやらの間では楽しい会話は成立したのか?」
「……と言いますと?」
黒姫様の問いかけにマフリクス様は小首を傾げた。
「いやなに。実は先ほどキャシュレットにも話を聞いておったのだ。キャシュレット曰く、エルイングとやらは話しかけても生返事を返すような地味なオタクだと言っておったぞ?」
「……そうですね。基本はあまり喋らない方です。ただ、なんというか。自分の趣味についての話題だと、ものすごく饒舌になる感じです」
「饒舌に」
「言い方を変えるとマシンガントーク…的な」
そういえばここ数ヶ月あいつのマシンガントーク聞いてないな。
「ちなみにエルイングとやらはどんな話を好むのだ?」
「主にミイラとかですかね……」
出ました、ミイラ。
(あいつ、こんな可憐なマフリクス様にまでミイラの話、したのか…)




