01 セーラルルーの悩み事 -1-
破格の美貌を持つ幼馴染みの伯爵令息エルイングと婚約したものの、
破棄されそうで悩んでいる男爵令嬢セーラルルーの物語です。
今日は帝都にある皇立学院本校の秋の学院祭の初日。10日も続くお祭りであり、三学年分の生徒達はそれぞれで用意した催しを見て回る。一般科の出し物はカフェや手作りクッキーの販売、手作り迷路やビンゴなどだが、魔術科は魔術を駆使した出し物が多く、人気が高い。
賑わう生徒達。
その合間を縫うように、私―――セーラルルー=イニシアズ・キサラシェラはただ一人、歩いていた。沢山の出し物も視界に入れずに。クラスメイトや寮のルームメイトの誘いにも乗らず、ぼっちを決め込んでいるのには理由がある。
なぜなら私には悩みがあった。
そのせいでイライラし過ぎて、ちっとも楽しむ気分になれないのだ。
校舎の角を曲がろうとして、遠目に知った男の姿を見つける。
私は慌てて足を引っ込めた。
(モテモテ君、発見)
ゆるやかなウェーブのホワイトブロンドの男子生徒―――が、大勢の女生徒にチラ見されている。その傍らには長い直毛の薄桃色の髪を背中に流した小柄な女生徒が寄り添っている。彼らをチラ見している女生徒達の何割かは、その小柄な女生徒を羨望のまなざしで眺めている。
その光景を見るなり、
私は弾かれたように回れ右して今来た通路を引き返した。
だけど次の瞬間、知らない男子生徒にぶつかる。彼が手に持っていたらしきチラシがドサァと床に落下し、バラける。見ると上級生のようで、私は慌ててチラシを拾い、謝罪した。
すると、
「謝罪なんていいから、うちの舞台、見てってよ」
そう言って講堂の方を指さした。
講堂の傍には幟、扉には『演劇部主催』。
壁には様々なポスターが貼られている。
「もうすぐ上映時間だからね。速く速く」
急かされる。
さすがにこの状況ではスルーもしづらく、私は大人しく講堂の中に入った。堂内の奥にダークレッドカラーの幕があり、手前にはソファが設えてある。観客の入りは七~八割ほどだろうか。私はあえて人の少ない隅を選んでソファに腰掛けたけど、後に入ってきた二人組が傍近くに座ってしまった。
「今年の演劇部の出し物は背景スクリーンにご期待あれ……だって」
「今年は魔術科の生徒が入部したらしいね。きっと映像系の魔術が得意な奴なんだろう」
二人組は入り口で手渡されたのであろうチラシを片手に小声で話している。
(そういえばもらわなかったな…)
などとと思っている間に堂内の照明が落とされ、幕が上がった。
それなりに期待して舞台上の背景スクリーンを見てみると、書き割りとは明らかにレベルの違う、現実そのもののような美しい背景が現出した。
しかも物語の展開に合わせて映像が変わってゆく。
ある時は朝焼けの美しい湖の畔、
ある時は賑わう街中、
ある時は作り込まれた庭園、
ある時は豪華な宮殿の様子、
あるいはその室内だったり廊下だったり。
場合によってはその映像は舞台背景を越えて客席にまで展開する。
珍しい光景に目を奪われ、私はしばし悩みを忘れて舞台に見入ったのだけれど。
正直、ストーリーは頭に入ってきていなかった。
だから、
―――魔族の女王黒姫よ。
―――そなたとの婚約は破棄させてもらおう。
長いストレートの黒髪を足首まで垂らした美形男優の台詞を聞いて、私はようやく気がついたのだ。今舞台上で演じられているのは、この世で1番有名な神話上の婚約破棄劇だと言う事に。
神話によると、
神たるアースタートは婚約者である魔族の女王黒姫を捨て、
人間の女性であるアカネイシャの手を取ったのだという。
(なんたる皮肉な…)
私はため息を吐いた。婚約破棄問題で悩んでいる真っ最中に婚約破棄がテーマの舞台を観劇とは皮肉が効きすぎているだろう。
そう。
私の悩みというのは婚約者との破談危機についてなのだ。
だけど私の悩みは置き去りにして舞台は続く。
―――お許し下さい、黒姫さま。
―――私はたかが人の身である分を弁えず、
―――神たるアースタート様を心から愛してしまったのです。
人間の女性であるアカネイシャ役の女優がアースタート神役の男優に寄り添うと、
黒姫役の女優が呟く。
―――アースタートよ、長く約した私を捨て、
―――昨日今日出会ったに等しき娘を選ぶというのか。
(いやまて、すごい棒読みだな!?)
束の間舞台に見入っていたが、黒姫役のあまりの棒読みに現実に引き戻される。そうしてまじまじと舞台上の黒姫役を見てしまったのだが―――。
(なっ…)
私は思わず二度見した。
黒姫役の女優が目の覚めるような美女だったからだ。
人を選ぶ髪型―――純黒の前髪パッツン直毛ロングヘアだというのに、その美貌は少しも損なわれていない。くっきりとした大きなアーモンド型の目、黒い瞳が印象的だ。繊細かつ形良き鼻梁、小さな赤い唇と顎の形。長い手足はあくまで嫋やか。
(美形はエルイングで見慣れてたつもりだったのに、これはまた別系統の美形様も居たもんだ……)
エルイングと言うのは幼馴染みの名前だ。
ゆるやかなウェーブのホワイトブロンドの―――。
しばらくして舞台は終わり、幕が降りる。
沢山の拍手。
私はソファから立ち上がろうとしたけど、傍近くの二人組が語り合ってるので、なんとなしに聞き耳を立てる。
「背景魔術、さすがって感じで凄かったな」
「うん、でも黒姫役が美人すぎて全部もってかれた気が」
「棒読みだったけどな」
「いやいやいや、あれはなんか、有りだよ。あの棒読み感がクールでドライな原初の神話の黒姫っぽくて格好いい」
私はその会話を聞きながら、心の中で同意する。
(あの棒読みは女優さんの素なのか役作りなのかは知らないけど。うん、私の理想とすべきふられ方だ)
そんな事を思いつつ講堂を出る。
またどこかの出し物の勧誘に合ったら煩わしいし、またモテモテ君と出くわすのは更に勘弁。そう思ったので、校舎の中央にある玄関ホール裏手の中庭の奥にある噴水庭園を目指す事にした。学院祭は学院の表側で行われている為、裏手の噴水庭園は人少なの筈だ。行ってみると案の定だった。
(しばらくは喧噪からも逃れられそう)
噴水庭園には三つの噴水が間隔を開けて二等辺三角形状に並んでいる。そして、それぞれの噴水の周囲をぐるりと囲むようにベンチが設置されている。私は無作為に適当な噴水のベンチに腰掛けた。
青い空を見上げ、緩やかに流れていく白い雲を見つめる。
あまりに爽やかな光景だというのに、それでも私の心はやはり悩みに搦め取られる。脳裏に浮かぶのは幼馴染みで婚約者であるカシスタンド伯爵令息エルイングの顔。先ほど、多くの女性達にチラ見されていたモテモテの男生徒の事だ。
(私がエルイングと婚約をしたのは10歳の時だっけ)
カシスタンド伯爵家と私の実家であるキサラシェラ男爵家は領地が近いし親同士が親友同士。その為、私とエルイングは当たり前のように幼馴染みとして育った。だけど両親ともあえて両家の子を結婚させようなどという意図は無かった。
だから婚約が成ったのは単にエルイングの強い希望。
『僕はセーラが好きだ。将来、セーラと結婚したい』
(あいつがそう言い張ったのよ)
当初『もう少し大人になってから考えようか』とカシスタンド伯は宥めたという。だけど息子のあまりの強情に匙を投げ、我が父キサラシェラ男爵宛に婚約の打診をしたのだ。
父親に事の次第を知らされた私はしばし考えた末に承諾した。エルイングに対してそういった方向の感情はゼロだったけど、でも友情はあったし、嫌いか好きかと問われれば好きだったし、それなりに損得勘定もしてみた結果「有りだな」と思ったのだ。
私はキサラシェラ男爵家の一人娘であり嫡女だから、いずれは婿取りをしなくてはならない。だけど私の容姿は並。細かく分類すれば中の上にぎりぎり足の親指つっこんでるかも? って感じで、少なくとも人目を引くような美人ではない。髪も瞳の色も平凡な茶色で、女性にしては背も高い。
相手を選べる立場ではない。
ただ、幸いな事に我が男爵家は経済力に恵まれていたので、それが唯一のセールスポイント。
だけど、金目当てで並顔女とわざわざ結婚しようなどという男性と将来幸せになれるだろうか。
一方、エルイングならば幼い頃からの付き合いで気心が知れているし、彼は伯爵家令息とは言っても次男だった為、婿に貰える。
そして最大の長所として、エルイングは顔が破格に良かったのだ。
艶やかなホワイトブロンド、白く艶やかな肌と、貌良き目鼻立ち。
バサバサの睫は瞬きの度に風でも巻き起こりそうだし、
瞳の色は珍しい紫色、目尻には泣き黒子。
そこはかとなく漂ってくる退廃的な色気とか。
神はなんてものを作り出したのかと問いたくなる程の造形美。
(小さい頃はよく女の子と間違われていたっけ)
一方の私は本物の女の割には骨太な方だったし、そもそも私の好みのタイプはエルイングのような綺麗系ではなく、真逆のワイルド系。少しくらいなら脳筋でも許す程度には野性的なタイプに萌える質で。
(でも、エルイングの美形遺伝子が我が家に入れば、すっごい美少女か美少年の子供が生まれるかもしんなくない? 未来の子供達の容姿の為にも私のタイプは封印しても良い)
そういう子供らしからぬ打算が働いた結果、私とエルイングの婚約は成立した。私側からの恋愛感情はお留守のまま年月が経ち、そうして昨年、お互いに15歳になった。
15歳になったエルイングは、かつて女児に間違われた事など嘘だったかのようにすくすくと成長し、背が伸び、顔も体つきもそれなりにがっしりしてきた。それでも退廃的な美貌は損なわれなかったが。
二人で街を歩けば、通りすがりの女性の内、10人中10人が振り返る上に真横にいる私を見て『ええ? 釣り合ってない…』て顔をするわけよ。実際に釣り合ってないからまぁしょうがないって諦められたし、なによりエルイングは相変わらず私の事が好きだったし―――。
『来年、いよいよ僕達も皇立学院に入学だね。セーラは寮生活の準備進んでる?』
入学前に久しぶりに会った時、嬉しそうに確認してきたっけ。
皇立学院は帝都にある本校の他、各地方都市に分枝校がある。本来ならば地方貴族の子女である私とエルイングは分枝校に通う筈だった。
だけどエルイングが本校を希望した為、私も付き合う事にしたのだ。だけど領地から帝都までの距離は馬車で三日かかる。移動魔術ならば一瞬らしいけど、そんな高位魔術を使える魔術師など、一般貴族ではなかなか雇えない。帝都に別邸でもあれば馬車通学出来るけど、それも無い。
だから必然的に私達は寮生活を送る事になったのだ。
『セーラ、学院案内見た? 校舎の見取り図が乗ってたけど、男子寮と女子寮、すごく離れてるし、部外者及び異性を部屋に上げる事は厳禁だって。共学とは名ばかりで、校舎も男子生徒は東舎、女子生徒は西舎って分れてて、共有スペースは玄関ホールと講堂、各種庭園と図書室だけっぽい。フリールームもあるみたいだけど使用許可が下りるのは10人以上のグループのみかあ…』
エルイングは学生生活に於いて少しでも一緒に居られるようにとあれこれ考えてくれていた。結果、学院内の奥まった所にある図書室が1番無難と判断し、
『お互いの授業が終わった後、寮の夕食前まで図書室でデートしようよ』
嬉しそうに強請られて、その時私は、『しょうがないわね』と上から目線で承諾したのを覚えている。しかも私は『席はひとつかふたつ分以上空けて、会話は筆談でね』とまで言い含めたのだ。エルイングには『なんで?』と訝しがられたけど、そんなの、エルイングの顔が良すぎるからに決まってる。中身はともかく、外見だけは完璧なんだから、学院の女子がほっとくわけが無い。
『私達が婚約してるってのも内緒にしてよね? あんたの婚約者がこんなモブ顔の男爵令嬢だってバレたら、やっかまれてイジメとかされそうだわ。いい? 万が一人に私との仲を探られたらきっちり否定するのよ? 親が知り合いで領地が近いから顔見知りなだけだとでも言っておきなさいよ?』
渋るエルイングを説き伏せたのに。
だけど入学後、ものの二ヶ月でエルイングは私から離れていったのだ。