第9話 リナリー・シャルロット。
それはエドワードがルトック村に着いた頃。
ここは王都エルブサロウ。
王都の中央にある王城の近くにある建物群は一等地とされていた。
その建物群の中にある円形の建物の一室……S級ギルド十字星のギルドマスターの執務室。
「くく、ようやく俺の時代がやって来たのか」
デスクチェアーに腰かけた茶髪の男性……十字星の現ギルドマスターのマーシャル・ファン・アベルトが不敵な笑みを浮かべていた。
マーシャルは我の強そうな顔立ち、鋭い目つきで屈強な体躯の持ち主で、歴戦の冒険者という風貌である。
「っと、浮かれてばかりもいられないな。過去の遺物は排除できたんだ。今までのギルドの緩みきった体制を引き締めにかからないと」
マーシャルはデスクに置かれた茶色い紙が目に留まる。そして、不愉快そうな表情を浮かべてフンっと鼻を鳴らした。
「エドワードの奴……なんの躊躇もなく脱退しやがって、俺がこのギルドでのし上がるのにどれだけ金と伝手を使ったか」
執務室の外がドタドタと騒がしくなる。
そして、蹴破る勢いで扉が思いっきり開く。
鼻息荒く興奮した様子の青髪の女性が姿を現して、ズカズカとマーシャルのデスクの前にまでやってくる。
青髪の女性は冷たい感じを抱かせる切れ長の瞳。
スッと伸びた高い鼻。
薄い色の唇。
……他者を圧倒するほどに綺麗な顔立ちの女性であった。
体つきが分かりにくくなる冒険者服ながら、その服を大きく胸とお尻の辺りを大きく押し上げていてプロポーションの良さが覗えた。
「マーシャル!」
「……騒がしいな。リナリー」
マーシャルは部屋に入ってきた青髪の女性……リナリーへと視線を向けた。
「聞いたわよ! お師匠様がギルドを脱退したなんて!」
「あぁ。本当に俺も残念なんだよ」
マーシャルが悔し気に唇を噛みしめた。そして俯き頭を抱えてみせた。
マーシャルの様子を目にしたリナリーは騙されやすいのか、言葉や姿勢から勢いが失われる。
「貴方がギルドを追放した……なんて噂があったんだけど」
「まさか、根も葉もない噂だよ。俺はむしろ引き留めたんだ」
「じゃあ、なんで……お師匠様はギルドを脱退したの?」
「それは……前ギルドマスターの死によって自身が年老いていることに気付いたのだろう、若者である俺達にギルドを任せると言っていたぞ」
マーシャルはリナリーへとニコリと笑みを浮かべて、デスクチェアーから立ち上がった。
十字星は二十年前に十人の冒険者が集まって始まった。
しかし……今や冒険者を二千人ほど抱えるS級ギルドへと成長した。
国からも認められ、前ギルドマスターのイザベラ・マディソンが死に、行われた葬儀には王族すらも出席するほどであった。
本来ならありえない。
なぜなら、イザベラ・マディソンは貴族でもなく、小さな商家の出の者であったからだ。
つまり、S級の冒険者ギルドのギルドマスターであることが王族ですら無視できない、権力を有している存在なのだ。
それに加えて、ギルドの運営する手腕によっては大金が転がり込んでくる。
S級の冒険者ギルドのギルドマスターとは冒険者ならば誰もがうらやみ、なりたがる存在なのだ。
にもかかわらず、そのギルドマスターを決める選挙でエドワードは多く集まっていた他薦を辞退した。
本当にふざけた野郎だ。
他薦を金で買った俺がバカみたいだろう。
更には、エドワード自身が勝手にギルドマスターになるのを辞退したにも関わらず、煩わしくもエドワードの方がギルドマスターに相応しかったなどという噂が絶えない。
エドワードはだらしなく朝から酒を飲む、ただの酒飲みだ。
どこがギルドマスターに相応しいのか……と言うかS級冒険者ギルドの幹部の席に座っていることすら、相応しくない。
だから、俺がギルドマスターになってから一番にした仕事が過去の遺物であるエドワードのギルド追放だったんだが。
ただ、このことは他に言わない方が良さそうだ。
ふ、酔っ払いのことなどどうでもいい。今はそんなことより……リナリーはいい女だな。
性格に難はありそうだが、そこは調教すれば夜が楽しそうだ……クク。
マーシャルが考えを巡らせていると、リナリーは不服そうにブツブツと呟き出す。
「それは四番隊の連中から聞いたわよ。なんで私には別れの言葉をくれなかったのか。いや、私がクエスト中で王都を離れていたからなんだけ。それでも少しくらい待ってくれたらいいのに。むむ、あの奴隷の雌豚は付いて行ったというのに……このままじゃ雌豚に先を越されてしまうかも知れないじゃない」
「おいおい、お前がエドワードを師匠と慕っているのは聞いているが……お前まで辞めないでくれよ?」
「辞める……そうね。それも……いや、それは名案ね」
「待てよ。冗談だからな。副ギルドマスターのお前に辞められては困る。それに俺達はエドワードよりこのギルドを託されたんだぞ? ……俺とお前でこのギルドを王国随一にするだ。それでだが、冒険者が二千人も抱えているから仕方ないとはいえ、俺とお前は今まであまり関りがなかった。それでなんだが……今後のために交友を深めるようじゃないか。この後食事でもどうだ?」
マーシャルがリナリーに近付き、手を伸ばし……リナリーの肩を抱こうとした。
ただ、リナリーはフイッとマーシャルの手を躱して、距離を取る。
「悪いわね。私はお師匠様が居ないこのギルドに未練がないわ」
「……どうするつもりだ」
「じゃあ、今受けているクエストをすべて終わらせたら、私もギルドを脱退するわ」
「なんだと!? 冗談はよせ!? 今の地位をむざむざ捨てるというのか?」
「ええ、地位とか興味ないし」
「ま、待て。副ギルドマスターが勝手な理由で脱退など……俺は許可しないぞ!? 他の者に示しがつかない!」
「許さない? 冒険者の基本理念は自由でしょ? 前のギルドマスターに頼まれたのなら、多少の恩があったから迷ったでしょうけど……貴方には恩の欠片もないわ」
「ぐっ、お前はこのギルドを抜けてどうするつもりだ」
「どうするも何も……とりあえず、師匠のところに行くわよ。あの奴隷に好きにはさせないのだから」
リナリーは踵を返して、扉から出ていこうとした。ただ、途中でスタッと立ち止まって……続ける。
「マーシャル……貴方は頭を下げても、お師匠様を止めるべきだったわ」
「俺が? あの飲んだくれに? 頭を下げてまで?」
「今の貴方に言っても仕方ないわね。じゃあ、ギルド運営頑張って」
リナリーはそう言い残すと、マーシャルの部屋から出て行った。
部屋に残ったマーシャルは拳を固く握った。
「クソが!!」
マーシャルが眉間に皺を寄せて、額に血管を浮き上がらせ……怒りを露わにした。そして、ダンッとデスクを蹴って、吹き飛ばした。