第508話 轟くホイッチュル――激震のジャッジメント。
主審クマちゃんは、黄色く輝く笛を片手に宣言した。
ちから強く「クマちゃ――!」と。
◇
ピピィー――!
律涼とした笛の音に人々は息をのんだ。
まるで空を裂く閃光のようだった。
人々は鋭澄な音の出どころへ、ぱっと目を向けた。
ごく自然な動作で、導かれるかのように。
そこには漆黒の帽子を身につけた、白き綿毛の乳幼児がいた。
美麗な魔王に抱かれし聖戦の裁定者――主審クマちゃんである。
彼らは一目でそれを理解した。理解せざるを得なかった。漆黒の幼児用エプロンに白字で書かれていたのだ。
〝しゅしん〟と。
その言葉が、明暗を分かつ純白と漆黒が、全身で伝えていた。
〝白黒つけまちゅ――!〟
猫手の中では黄色い笛が、己が役目を叫んでいた。
レモンイエローに刻まれし黒き肉球と告示――
〝宣誓〟と〝judge〟
少年心をプニッとされた精鋭は、思わず声を上げた。
「カッコいい……」
「欲しい……」
リオは正直に告げた。
「いや意味分かんないんだけど」
『ピッ!』
鋭笛が、男の口を閉じさせる。
主審の警告である。
右の猫手で幼児用前掛を、ごそごそ……と探る。
黄色いカードをス、ス――と一瞬チラつかせる。
「何その黄色いの」
リオは怪しい物体に視線を送ったが、残念ながら回答は見送られた。
主審は忙しいのである。
「えぇ……」という不満を厳格に聞き流し、主審は「クマちゃ――!」と声を上げた。
すべての観客に伝わるように、子猫のごとき清き声音で、
『こちらをご覧くだちゃい――!』と。
人間達は抗うことなく指示に従った。
即座に掲示板を見た。
そこには、金縛りに遭ったように動かぬ侯爵が映っていた。
観客は思わず『おおっ』とどよめいた。
王宮勤めの騎士達をも苦戦させる強敵が、憤怒の表情で、指先ひとつ動かせず固まっているのだ。
圧倒的な主審の力に驚愕するほかなかった。
――が、実はそれより気になることがあった。
リオは明らかに〝変なモノ〟へ向ける眼差しで、それを見ていた。
率直に、主審に尋ねた。
「なに、VAFって」
主審は湿った鼻をキュッと鳴らした。
つぶらな瞳をキリリと吊り上げた。
そうして猫審判のごとく清らな声で、一言一句分かりやすく説明した。
物々しく頷きながら「クマちゃ……」と。
それは人間達の耳にはこう聞こえた。
ビデオ、アシスタント、フェアリーの略称でちゅ――と。
◇
「いや余計意味分かんないんだけど」
と、リオは正直に口を挟んだ。
が、『ピッ!』に鋭く弾かれる。
主審から二回目の警告である。
ス、ス――と黄色いカードを二度、猫手でチラ見せされる。
「えぇ……」
にも当然のように『ピッ!』を食らい、リオは仕方なく口を閉じる。
主審の鮮やかな肉球さばきによって、会場は秩序を取り戻した。
すると掲示板の中、VAF〈ビデオ・アシスタント・フェアリー〉が仕事を開始した。
重大な事象を暴くための映像解析である。
会場にはシン――と静寂が広がっていた。
映像が侯爵の全身を映し出す。
光輪がキュイー――と頭から足へ動いてゆく。
観客がはっと息を詰める。
まさか……能力を分析しているのか?!
王都からの客人達は、空恐ろしさに鳥肌を立てた。
黒衣を正し、猫手で神笛を磨く主審を畏怖していた。
解析は即座に成された。
ピー――ピピピピ!
輝音が軽快に連なる。
そして次の瞬間、掲示板にパッ――と、羽の生えたクマちゃんが現れた。
アシスタント・フェアリーの登場である。
観客が『キャー!』『うぉぉ!』と歓声を上げる。
フェアリーは先端に猫手がついた指し棒を持っていた。
猫手でそれを持ったまま、パタタ――と輝く鱗粉を散らし、映像の一部を示す。
天鵞絨の上衣がふわりとゆらめく。
観客の意識に倣うように、映像が――侯爵の胸部が拡大される。
分厚い布で隠されていたはずの〝秘密〟が暴かれる。
彼らの目は、しっかりとそれを捉えていた。
隠しポケットの中、球状の物体が、気味の悪い輝きを湛えているのを。
玉の内側で、赤紫の光が旋回している。
いや、流動しているのだろうか。
生き物のなれの果てが、怨嗟にもがく魔力の残滓が、押し込められた晶檻で、出口を求めて。
◇
誰一人口を開かなかった。
王都の商人達は、あまりのおぞましさに眼を開いていた。
護衛は舌打ちでもしそうな顔で、『おいおい、今度は玉のバケモンかよ……』と苦い呟きを飲み込んだ。
精鋭達は冷酷な眼差しで、暗紅の輝きを記憶に焼き付けていた。
獲物を見定める猟犬のように、じっと。
リオはいつも通りの声音で「めっちゃキモイ」と正直がすぎる感想を漏らした。
が、応えてくれたのは主審だけだった。
主審のつぶらな瞳が、リオを見ている。
猫手がス、ス――と黄色をチラつかせる。
「ごめんて」
そんななか、周囲と異なる反応をする者達がいた。
所在の知れぬ魔法学園の生徒達だった。
生徒会役員達は、大きく目を開き紅紫の宝玉を見ていた。
戦慄く吐息が、切れ切れに、微かな音を綴る。
なぜ あれが 此処に
しかし、彼らを襲った激震に気づく者はなかった。
主審が「クマちゃ――」と、解説を始めたからである。
とんでもない玉の映像はパッと消されてしまった。
画が切り替わる。
VAF、新たな検証映像である。
映っていたのは、先ほどまでとはまったく趣の異なるものだった。
大理石の廊下。天井から映した騎士が二人。
横並びの二人のやや後方に、黄色いアヒルボートが映りこんでいる。
そしてよく見ると、赤丸で囲まれた銀色の金属があった。
おそらく侯爵がいる方向から、赤線が引かれていた。
銀色の小さな物体が、〝侯爵〟から〝騎士達〟の方へ飛んで来たことを示すように、矢印が描かれていた。
親切なことに、矢印は点線と共に、ツツツ――と動いていた。
主審は厳格な子猫のように「クマちゃ――!」と言った。
反則行為の名を、高らかに宣言したのだ。
大きな声で、
オフサイドでちゅ――! と。
リオは正直に告げた。
「めっっちゃどうでもいい」




