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クマちゃんと森の街の冒険者とものづくり ~ほんとは猫なんじゃないの?~  作者: 猫野コロ


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第501話 クマちゃんの美声。半開の扉。都会人の――。

 天才シェフクマちゃんは、お鼻にキュ! と力を入れて、宝石のように輝く仕事場に猫足を下ろした。



 威風堂々たる庭園に、雲影がゆるやかに差し掛かる。

 城壁のまばゆい輝映は悠然と、青みがかった鉛白(えんぱく)へと塗り替えられていった。



 撤退を促されたクマちゃんは、肉球でプニ……ともこもこした口を押さえた。

 うむ。お昼ご飯はとても大切である。

 国民ちゃん達がお腹を空かせてしょんぼりしているかもしれない。


 しかしクマちゃんは、『〝ヒゲ〟を生け捕りにしたい』という騎士ちゃんのことが心配だった。

『そんなこと』とはどんなことだろうか。まさか、悪いヒゲなのだろうか?

 クマちゃんはムムム、と考えハッとした。

 もしかしたらそのヒゲには――ツノとキバも生えているかもしれない。


 ぶつかって怪我をしないように、サバイバルキットちゃんをプレゼントしたほうがいいだろう。

 クマちゃんは重々しく頷くと、肉球でポチッとスイッチを押した。


 掲示板から異様に高い音声が『クマちゃ――!』と響いた。

 子猫が『ニィー!』と叫ぶようなそれから、人間達はもう一つの想いを聞き取った。



 それは、どこまでも純粋で、それゆえ人々の心に、矢で射られたように深く突き刺さった。


 光あれ(ひかりちゃん)――!


 木製の人形を睨みつけていた青年は、息をのみ、目を瞠った。

 幼き聖獣(けもの)の咆哮に、彼の鼓動がドクンと大きく跳ね上がった。


 雪色の廊下を輝きが満たし、皓白(こうはく)が領域を支配する。

 抑えきれない高揚が奮激(ふんげき)に塗り替わる。

 新緑の騎士は鳥肌の立つ二の腕を右手で荒々しく握りしめた。


 戦士を鼓舞する喊声(かんせい)が、大地を揺るがす鯨波(げいは)のように耳に焼き付いて離れない。

 脳裏に、まぶたの裏に、両翼を広げる戦神の姿が、その背に率いる大軍が、そして青雷(せいらい)が走る刃を天に掲げる気高き神威が、うねる熱を感じるほど鮮明に浮かび上がり、魂が〝戦え〟と叫びだす。


 激情が胸を焼き、全身が灼熱のマグマのように燃え(たぎ)った。

 あとわずか、あと数秒で人間ではない何かへ我が身は生まれ変わる。

 ――と思春期特有の扉を開くぐらいに、興奮が極限に達したところで、シャラン――と神楽(かぐら)のごとき神聖なきらめきが、青年の鼓膜を揺らした。


 最年少騎士は指が白くなるほどヒゲ面の人形を握りしめ、わななくように言った。


「あ、危なかった……」


 青年の足元には、いつの間にか白い袋が置かれていた。



 リオは目的を見失った肉球剣から、さりげなく手を離した。

 背凭れの彫刻にのけぞるように体を預け、シャンデリアの黒真鍮を無言で数秒見つめながら、自分の愚かさを懺悔するような声音で、正直に告げた。


「今さ、アホみたいに興奮してたよね……」


 ごほっ、と噎せるように口元を押さえたのはマスターだった。

 馬鹿にしたのではなかった。

 絶対に白状するつもりはなかったが、先ほどまでの数秒間、マスターは冒険者に混ざって大型モンスターの討伐に行こうと本気で思っていたのだ。

 好戦的な感情が顔に表れているのではないかと、あまりの恥ずかしさに体温が上昇したように感じた。

 実際には、いつも通りに渋い男が苦々しい表情をしているだけだったが。


「……あ~、そうだな」と深く考えずに打った相槌で『アホみたいに興奮するさま』を認めたように思えて、さらに苦い顔になった。

 幼子の目がなければ舌打ちをしていただろう。


 大人げなく興奮する様子をさらすわけにはいかない。

 たとえその幼子が、子猫のような鳴き声で、人間をアホみたいに興奮させることが可能なのだとしても。


 マスターには、もこもこの末恐ろしい力を増幅させている存在に心当たりがあった。

 渋い男の視線が、八つ当たりのようにルークを射貫く。

 お前が魔力をやりすぎているからだろうと。


 だが、高雅なる魔王のごときルークがその程度の睨みで動じることはなかった。

 整い過ぎた美貌の男は、溺愛するもこもこに指先(まりょく)を吸わせたまま掲示板へ視線を向けていた。


 それまで黙って腕輪の羽飾りに魔力を注いでいたウィルも、「おや?」と瞬き掲示板を見やった。


 そこには、新芽のような髪色の騎士が、女神に祈りをささげるように跪いた格好で映っていた。


『……これで敵を討てとおっしゃるのですね。感謝いたします、幼き聖獣様……』


 騎士がごそごそと袋を開く。


 その青年の手元を、険しすぎる表情のクライヴが、氷紋がうつろう銀のナイフをきつく握りしめながら凝視していた。

 氷の刀で怨敵を切りつけるような極寒の眼差しで、冷え冷えとした声で、「馬鹿な……耳付きだと――?」と。


 新緑の騎士が袋から取り出した筒状の容器には、震える幼子が懸命に描いたような文字で、こう書かれていた。


 永久脱毛クリーム。


 騎士はごくりと喉をならすと、真剣な声色で呟いた。


『……死よりも重い罰を、とおっしゃるのですね……』


「なに言ってんのこいつ」というリオの純粋な問いかけに、思い込みの激しい青年からの応答はなかった。



 まさに一瞬、といえるくらいの早さで、彼らは地上に戻っていた。

 高位で高貴なお兄さんが、闇色の球体を使って彼らを移動させたのだ。


「地面落ち着く……」とリオは言った。


 空に浮かぶ建物内にいたという実感はまるでなかったが、自力で降りられない場所よりも地に足がついている方がいい。


「僕はどちらも素敵だと思うけれど」と大雑把な男は巨大な雲を見上げた。


 しかし残念ながら他の人間からの同意は得られず、創造主クマちゃんを抱えるルークが「ああ」とウィルのクマちゃん賛美を肯定しただけだった。



 青いオパールのごとき輝きを放つ屋外用キッチンでは、相変わらずマーメイド妖精達がヨチヨチしていた。


 調理補助リオが天才シェフを背後から抱え、小さな小さな肉球を流水で洗う。

 リオの目が野生動物のような鋭さで、もこもこの丸い頭を、丸い耳を、丸い手先を貫く。


「めっちゃ丸い……」


 丸いから可愛いのか可愛いから丸さが愛しいのか、もはやわからなくなってきていた。

 ふわふわぽわぽわとした毛が風でそよぐ様子に「もう意味分かんないぐらい可愛いよね」と無駄に冷めた声で愛を語った。


 意味が分からないぐらい可愛い天才シェフは、猫手を優しく拭かれながら、本日のメニューを考えていた。


 みんなが大好きなのは、お肉ちゃんである。

 お肉ちゃんとご飯ちゃんとパンちゃんとサラダちゃんと……。


「クマちゃん何食べたい?」と言いながら、リオはクマちゃんの丸い頭に鼻先をうずめた。

 クマちゃん専用高級石鹸の香りと、甘いミルクのような香りが、いかにも子猫な容姿のクマちゃんに良く似合っていた。


『実は俺さ……』と罪の告白をするかのような声音で、リオは言った。


「めっっちゃ赤ちゃんの匂いするじゃん……」


 頭上で苦しげな声を聞いたクマちゃんは、ハッと目を見開いた。

 しかし天才シェフの丸い耳には『赤ちゃんの匂い』という不都合な情報は入らなかった。

 最高にいい香りという良質なイメージだけが、シェフの脳内を駆け巡る。


「クマちゃ……」


 シェフはゆっくりと頷くと、カウンター席の正面、クマちゃんが一番良く見える位置に座る〝大好きな彼(ルーク)〟の方へ、ふわふわな両手を伸ばした。



 天才シェフがシェフらしく身なりを整えていた頃。


 王都の街中では都会人達が、半分目的を見失ったように、空を眺める者を探していた。


 昨夜寝るのが遅かった都会人の一人は、大きなあくびをしながら、よれよれのシャツにほつれかけのガウンを羽織った格好で、キィ、と門扉を押した。


 もう昼だと分かっていたが、朝日を浴びるのが日課だったからだ。


 しかめっ面で薄目を開き、さぁ伸びでもしようかと思ったところで、ザ――と複数の足音が止まったことに気づく。


「んぁ?」と首を突き出すようにして周囲を眺めた中年男は、次の瞬間、『きゃー!』と恥ずかしい叫び声を上げそうになった。


 なんと、自分を見つめる人間達の服装が、ありえないほど洗練されていたからだ。


 彼ら、彼女らは決して派手な格好をしているわけではなかった。

 どちらかというと地味目な人間が多かった。

 しかし彼らには、髪の毛のひと筋からつま先に至るまで、一部の隙も見当たらなかった。

 計算しつくしたかのように、とにかく〝オシャレ〟だったのだ。


 足が長く見えるファッションを極めた紳士が、「君」と言いながら一歩近づく。


 手に持った懐中時計がそのコーディネートを完成に導いた言っても過言ではない若者が「あの」と声を上ずらせた。


 貴方よりポニーテールが似合う女性は今後現れないでしょうというほど首筋の美しい唇ぷっくり美人が「ねぇ」と中年男性を見つめる。


 彼らのほかにも、背表紙がおしゃれな本を手にした眼鏡女学生や、鞄と革靴と髪が鮮やかな空色の男性など、『貴方にこそ似合うオシャレ』の巧者達が、よれよれな男性の家の前で、次々と足を止めていた。


 よれよれな都会人はガウンをガバッ! と頭からかぶり、門扉にぶつかる勢いで逃げていった。


 ガシャーン! という音と共に「ちくしょう、俺だって……!」という悲痛な叫びが切なく響いた。



 都会人達の迷走を知らぬクマちゃん達は、いつも通り仲良く、料理の準備をしていた。


「クマちゃ……」


 と言いながら、シェフは短いお手々を腰に当て、短すぎるあんよをスッと横にずらした。


 調理補助は美術品の目利きをするような眼差しで、チェック柄のズボンを褒めた。


「いやもう完璧だよね。ちょっとモコッとしてる感じがマジで最高もう完全にオム」


 と禁忌にふれてしまった調理補助が、闇色の球体に包まれ数秒間行方不明となる。


 きゅおー。

 という鳴き声によりキッチンに召喚された金髪の男は、余計な口は一切利かず、囁くように言った。


「じゃあ……お昼ご飯作ろっか……」


「クマちゃ……」

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