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第497話 クマちゃん先生の至高のアイテム。動揺する大人達。

 麗らかな陽が射しこむ心地よい午前のひと時。

 大人なクマちゃんは、静かに肉球のお手入れをしていた。

 うむ。素晴らしく健康的である。



 鮮やかな青、そこから滲む紫、さらに桃色へとゆるやかに階調が変わる、不思議な宝玉。

 煮詰めた飴のように艶やかに煌めく、彼本来の琥珀。

 左右で色も魅力も異なる神秘的な瞳。


 この世の不思議を詰め込まれてしまったようなリオの目は、その美しさを見せつけるかのように大きく開かれていた。


 リオの視線の先、〈クマちゃんのなんでも映る掲示板〉には、歴史ある城に相応しい、大理石の廊下が映っている。

 曇りなく磨かれた大理石は、水が張られたように潤んで見えた。

 揺らがぬ水鏡のようだった。

 そこに、金の装飾が施された魔道灯の明かりが、光の帯のように並んでいる。


 だが、彼が驚いているのは、城の廊下が綺麗なことでも、そこで寝ているのが騎士であることでも、罪なき騎士の背に樹が括り付けられていることでも、そんなことをされても騎士が起きないことでもなかった。


 艶めく廊下のど真ん中に、とんでもないものが置かれているのだ。


 そのとんでもないものを一言で表すと、仰向けで眠る子猫、が一番近いだろう。

 大層立派な城の廊下に、子猫が仰向けで寝ていたら確かにとんでもないが、それだけではない。


 その子猫は、世界で一番愛くるしい生き物であるクマちゃんとまったく同じ外見で、そのうえ、なんと、驚くべきことに、短いお手々をふわふわな胴体の横にぴたりとつけ、短すぎるあんよを真っ直ぐに、ぴん――と伸ばしているのだ。


 つまりどういうことかというと、


「めっっっちゃ姿勢良いんだけど……!!」


ということだった。


 リオは、胸の高鳴りでどうにかなりそうだった。

 新米ママリオの大事な大事な我が子が――我が子に瓜二つな人形が、ツヤツヤの城の廊下に、限界まで姿勢を正した状態で、仰向けで寝ている。


 お目目をきゅむ……と閉じて、人間でもそこまで姿勢良くは寝ないだろうという姿で――。


 息苦しく感じるほどの愛おしさとトキメキで苦しんでいるのは、当然のことながら、リオだけではなかった。


 普段はまったく表情を変えぬ魔王のごときルークの美貌に、わずかな変化があった。

 透徹した切れ長の目は、微かに細められていた。

 自身の膝で猫手の手入れをしているもこもこを撫でる手は、一瞬ぴくりと動き、止まっていた。


「…………」


 どんな困難にも冷静な対応を求められるはずの、冒険者ギルドの管理者は、稀に見る難題にぶち当たったギルドマスターのような表情で押し黙っていた。

『可愛いな』と、いつものように笑うことができなかった。

 姿勢が良すぎる。

 ただそれだけのはずなのに、どういうわけか、それだけに思えない。

 とにかく、その人形から目を逸らせなかったのだ。


 ウィルは跳ねる鼓動を静めるように、胸元へ手を伸ばし、強く押さえつけた。

 美しいものが好きだから、という理由では到底説明できない感情だった。

 この叫び出したくなる気持ちは、いったいなんなのだろうか。

 可愛い。愛おしい。抱きしめたい。切ない。――苦しい。

 膨れ上がる想いは心の中からあふれ、決壊してしまいそうなほどだった。


 クライヴは感情を持て余す前に、意識を手放していた。



 誰一人として冷静でいられなかった。が、彼らは――一人意識のない人間を除いて――なんとか話せる状態にまで意識を復活させた。


 最初に口を開いたのはリオだった。

 彼には、どうしても言いたいことがあったのだ。


「クマちゃんあのヤベー人形なに? あそこに置きっぱなしは駄目じゃね? 誰かに踏まれたらどうすんの? いやそんなことさせねーけど、もしかしたら拾われちゃうかもしんないじゃん」


 早口でそこまで言うと、一番大事なことをはっきりと伝えた。


「俺あの人形めっっっちゃ欲しいんだけど」


 その瞬間、物理的に刺さるのではないかというほど、強い殺気がリオを襲った。

 大人げない人間は一人ではなかった。

 麗しの魔王様も、完全に仕事の手が止まっているマスターも、笑顔が消えている派手な男も、揃ってリオに視線を向けていた。


 しかしリオは黙らなかった。

 魔王軍に挑む勇者のように、果敢に立ち向かった。


「いや一番あの人形欲しがってるの俺だから」


 言いながら、人差し指で掲示板を指し、その手で自分を指さした。

 アレ、俺の、と。

 あの、姿勢が良すぎるおねんねクマちゃん人形は、誰にも渡さない。

 自分のものだ。そうに決まっている。

 ちょっと欲しいな、という生半可な気持ちではないのだ。

 魔王にコツン、否、ゴツンとされても譲れないほどの情熱を、あの、〈究極的に姿勢良く寝ている子猫のごときクマちゃんの人形〉に抱いてしまったのだから。


 並の魔王を視線一つで滅ぼしそうな、見た目が究極的に魔王な人間ルーク様は、非常に珍しいことに、ふ、と小さく笑っておっしゃった。


「んなわけねぇだろ」


「んなわけなくないから!」とリオは力強く主張した。本当に、心からクマちゃん人形を欲しているのだと。


 ウィルはいつも通りの涼やかな美声で、「んなわけねぇかどうかは分からないけれど」と話し始めた。

 リオは「耳が受け付けないんだけど」と口を挟んだが、いつも通り聞き流された。


「僕もあの人形に心を奪われてしまったから、君には譲れないな」


「あ~……そうだな。戦場で一番怖いのは仲間割れだ」とマスターも頷いた。


 渋い声も包容力のある響きも普段と同じだった。

 が、内容はまるで冷静な人間のそれではなかった。


 大人達が大人げない戦争を繰り広げていた時だった。


 この、あまりにも魅力的な人形を製作し、王都の王城へ飛ばした張本人、クマちゃんがもこもこ……と動き出した。

 膝まで麗しい麗しのルーク様の膝の上。もこもこ……と身じろぎ、可愛い足裏――ピンク色の肉球を見せて、クマちゃんが座り直す。


 可愛い……という怨念のようなかすれ声は、リオのものだ。


 クマちゃんは、ミィ……と鳴く子猫のように、最初の質問に答えた。

『クマちゃんあのヤベー人形なに?』というリオのそれである。


「クマちゃ……」


 では、せちゅめいいたします……。


 愛くるしいクマちゃんの長い『せちゅめい』は、このようなものだった。


「クマちゃ、クマちゃ……」


 あちらのお人形ちゃんは、健康クマちゃんグッズの中の、睡眠クマちゃんグッズです。

 睡眠クマちゃんグッズは、たくちゃん種類があります。

 あのクマちゃん人形は、理想的な寝姿のお手本ちゃんです。


『天才的おねんねクマちゃん人形ちゃん』というアイテムです。

 専用のベッドちゃんもあります。


「理想的な寝姿」と、リオは重々しく頷いた。

 そして繰り返し呟いた。「理想的な寝姿」


 そうしてリオは、クマちゃんの『せちゅめい』の中に、聞き逃せない内容があったことに気づいた。


「クマちゃんいま〝専用のベッドちゃん〟って言った?」

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