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第495話 雅なクマちゃん。リオとマスター。二つの王城。

 高貴なるクマちゃんは、ゆったりと猫手を動かし、言った。


「クマちゃ……」

 どうぞ……と。



 歴史や伝統を感じさせる厳かな空間。

 ――に見えるが、実際は完成して数時間な王城風医務室の一室。


 やわらかな陽が、繊細なカーテン越しに、彼らに癒しを贈っている。

 壁一面の大窓から見える、白亜のバルコニーの手すりには、白い小鳥が二羽止まっていた。

 

 高貴なるクマちゃんは、優しい白に包まれた夢の中からふわりと意識を覚醒させた。

 ぱちり、と開いたつぶらな瞳が、大好きな彼(ルーク)を探す。


 目の前には、着心地の良さそうな黒いシャツ。

 湿ったお鼻がきゅ、と鳴る。

 すると、大きな手が羽のようなふとんを避け、ふわふわと背をなでてくれた。

 嬉しくなったクマちゃんは、もこもこ、と体を動かし、仰向けになって彼の手を捕まえた。

 

 しばしの間、彼の長い指をかみしめ、ふんふんと鼻を鳴らし、朝の挨拶を交わす。


 ルークの指が、クマちゃんの鼻にとん、とふれる。

 彼からの『おはよう』に、クマちゃんも上品にきゅ、とこたえた。



 クマちゃんは、すでに美しい身をさらに整える前に、やるべきことがあると気がついた。


 なんと、仲良しのリオちゃんが、まだ眠っているのだ。

 金髪の彼は、仰向けで、いつものように顔に腕をのせ、目元を隠している。


 部屋の中から、ぱら、と紙をめくる音がする。

 ハッとして視線を向ける前に、窓の外から密やかな小鳥の歌が聞こえてきた。


 なるほど……。

 クマちゃんは深く頷いた。

 高貴可憐なるクマちゃんの、雅やかな歌声でリオちゃんを起こしてあげよう。



 さんざん夜更かしをして、横になったのは朝だった。

 リオはまだ、深い眠りの中にいた。


 夢かうつつか、小さく紙をめくる音と小鳥のさえずり、子猫の鼻息のようなものが聞こえる。

 心地好い癒しの気配が、ふわふわとまぼろしのように、彼の意識にふれてくる。


 ――あと三十分、いや、あと二時間は寝れる。

 ぼんやりとした頭が、男を幸福な二度寝へといざなう。


 そんなふうに、リオがもう一度、深き眠りの世界まで二時間の小旅行に行こうとしていた時だった。


 リオの鼓膜を、謎めいた調べが揺らした。


「くまちゃーん」


 起きてはりますかー。


「なに今の」


 起きていなかったはずの男が、カッと目を開く。

 リオは耳元の、妙に雅やかな鳴き声を響かせる獣を見た。


「くまちゃ……」


 お目覚めやす……。と、雅やかなもこもこは、おっとりした口調で言った。


 白き猫手をそっと口元に添え、

「くまちゃ……」お起きやす……と。


「『やす』」リオは一番気になる箇所を繰り返した。「『やす』」


 いつも通り可愛いが、耳と心が違和感を叫んでいる。


 やすって何。


 彼が雅な謎を解く前に、『真っ白で愛くるしいが、何かが変』なもこもこは、麗しの魔王様の手で、もふ……と連れ去られてしまった。


「…………」リオは無言のまま、着替えと毛繕いのために浴室の方へ向かった一人と一匹を追った。


 その途中、「『やす』って何」と誰にも分からぬ答えを、死にかけの死神に訊いてみた。


 死神からの(いら)えは、貴様に欠けているものだ――であった。



「俺に欠けてる『やす』って何」とリオが南国の鳥に尋ね、「それは……僕の口からはとても言えない『やす』だね……」と深刻な顔でおちょくられる数時間前のこと。


 王都の高台には、雪白の王城が悠然とそびえ立っていた。

 王城では、深刻と思しき問題に、深刻に向き合えないという問題が発生していた。


 カツン、カツン、と硬質な音が西塔警備司令室の円卓から響いている。


 漆黒の万年筆が意味もなく、艶やかな木目に何度も叩きつけられる。


 最年少騎士は、あれ、という顔で、神経質そうな騎士を見た。


「先輩、いつもなら『あのイライラに同意する』っていうのに、今日は嫌そうな顔をしていませんね」


「それをここで言うのはやめたまえ! カツカツに聞こえたらどうする!」


 神経質そうな騎士は、より聞こえてはまずそうな発言をした。

 運が良かったのか、今現在円卓をカツカツしている上官に気づかれることはなかった。


 最年少騎士曰く、よく他人をイライラの渦に巻き込むカツカツが、突然カツ――と止んだ。


「南にも北にも連絡がつかん。いったいどうなっている……あいつらはどうして戻ってこない?」


 万年筆を片手に呟いたのは、王宮第二騎士団の第一副団長だった。


 第二騎士団の騎士によって起こされたのは、二時間ほど前のことだ。

 副団長は自分でも驚くほど、起きたくなかった。

 だがそうも言っていられず、現状を確認し、指示を出したのだ。


 南と北、どちらの魔道通信にも反応はなかった。

 それぞれの塔への連絡役として、二人はきびきびと出て行ったはずだが、何の音沙汰もない。

 すでに一時間以上は経過していた。


「司令室の方々と同じように、二度寝をしているんじゃないでしょうか?」


 と最年少騎士が、石造りの床に転がる第四騎士団の第一副団長を手のひらで示す。

 神経質そうな騎士は、口から出かかっていた『同意する』をぐっとのみこんだ。

 血走った目で『やめろ!』と訴えた。


 そうして、何事もなかったかのようにきりりと進言した。


「副団長、やはり東塔にも連絡をしたほうが」


「……まさか、誰も連絡をしていないのか?! ……まぁ、王宮の近衛は、第二が全員でかかっても倒せないようなクソ野郎ばかりだが」


 副団長は一瞬『馬鹿な! どれだけ時間が経ったと思っている!』という顔をした。

 が、すぐに万年筆で円卓をカツ、とやりはじめた。


 王の護衛はもっとクソ野郎だがな、と呟きながら。


「……いま、まさか『クソ野郎』とおっしゃいましたか?」


 神経質そうな騎士は、普段は仏頂面で隙を見せない上官の、意外どころではない一面に、信じられないという顔で答えた。


 さすがにクソには同意しかねる、という顔だった。

 そのまま再度、姿勢を正す。


「万が一ということもありますので」


「ありえん。奴らは不死身だ」


 カツ、カツ、の拍に合わせ、試しに後ろから斬りかかってみろ、と副団長は言った。


 神経質そうな騎士は、少しのあいだ目をつぶり、小声で意見を述べた。


「その行いこそが『クソ野郎』なのでは……」



 王都の王城で、騎士道精神に反する発言をしていた副団長が、王城警備に関わる魔道具を扱う〈王宮第二特殊魔導士団〉の副団長を叩き起こしていた頃。


 高貴なるクマちゃんがベッドで休んでいる間、王の護衛にはまた別の問題が起きていた。


 王弟から命を受け、仲間を探しに廊下を進む男もまた、例の道を通り、同じものを見たのだ。

 真面目な護衛が進行方向、左斜め前方の壁に視線を向ける。

 護衛の目に、とんでもない張り紙が飛び込んだ。


 ――王家の指輪、貸し出し中、ご自由におつかいくだちゃい――。


「ばっ、は、はぁ?! ご自由におつかいくだちゃい?!」


 荒げた声は、同じ廊下で扉を護る護衛達まで届いた。


「おつかいくだ〝ちゃい〟?」

「あいつ、今『ちゃい』っていったか?」


 思わず声に出すが、王の護衛とは、いついかなる時も冷静でなくてはならない。

 彼らは揃って警護に戻った。


「異常なし」



 国王の寝室に酷似した部屋の中。

 美人な王弟はのんびりとした口調で言った。


「廊下で叫んだのってあいつだよなぁ」


 王弟は銀製のカトラリーを手に、愛くるしいコネコを模した冷菓を掬い上げ、静かに口に運んだ。

 薄藍のサングラスの奥で、高貴な色味の瞳がゆるりと隠れ、二度またたく。


 一人で広い室内を警戒する護衛が、「は」と応答した。


「おそらく、ですが……」


 あれだけ叫べば一般の兵士でも聞こえるだろう。

 と護衛は思った。

 同じく王族を護る者としての付き合いはあるが、おかしな悲鳴を上げているのは聞いたことがない。

 少々、いや、本人に『おつかいくだちゃい』と言った真意を問いたいぐらいには気になる。

 いつから、赤子の言葉を使うようになったのかと。


『廊下で叫んだ護衛』の相方である男は、王弟が小さな銀食器で妖精に冷菓を食べさせているのを、少々険しい顔で眺めていた。


『赤ちゃん言葉は、人に聞かれないようにしろ』


 同僚への伝え方を、険しい表情のまま考えた。

 いや、自分の口からはとても言えない。

 ならば『くだちゃい』に手紙を……いや『キュウリ』から伝えてもらうか。


 険しい顔の護衛は頭の中で、仲間の護衛に失礼なあだ名をつけていた。



 眠っていた間の出来事を知らないクマちゃん達は、相変わらずまったりと過ごしていた。


 高貴なるもこもこクマちゃんが、威厳を宿すテーブルで仕事を片付けるマスターを、じっと見つめる。

 視線に気づいた渋い男は「ん? どうした白いの」と目元を和ませた。


 深い樫樹(かしき)のテーブルに、宮廷芸術を思わせるマグカップが置かれている。

 丸い耳がついた白磁のカップからは、ほのかに湯気がくゆっていた。


 クマちゃんは、白き猫手をすいと持ち上げた。

 ルークの大きな手が、もこもこした口元へそっと、マグカップを運ぶ。


 チャ……チャ……と心地好い音が広がる。

 クマちゃんの白猫のごとき前腕が、(くう)をかくように動いた。


 もどかしげな猫のような姿に、それを凝視していたリオは、ぼそりと呟いた。


「牛乳飲んでるだけなのに可愛い……」


 天鵞絨(ビロード)が張られた長椅子で、気配を殺していたクライヴが「天上の音色――」と冷徹な声を漏らした。


 牛乳を飲んでいる『だけ』ではない。

 そういう意味らしかった。


 ハッと顔を上げたクマちゃんは、高貴なる子猫のような声音で、リオに常識を教えた。


「くまちゃーん……」


 モーニングミールークー……。


 ちょうど向かい側でモーニングコーヒーを飲んでいたマスターは、ごほっ、とむせた。


 リオは、耳の中に猫の長鳴きを『ニィャァーォァー』と直接吹き込まれたような顔で、正直に答えた。


「牛乳だよね」


 それから少しのときが流れ、派手な男に連れ去られた正直者は、雅な部屋に帰って来た。


「マスター王様(オーサマ)王弟(オーテー)クンってほっといていいの?」


 真っ当な疑問に、マスターは書類の処理をしながら答えた。 


「そのまま帰すわけにもいかんだろ」


 さっきも言ったと思うが、と。

 渋い声は苦みを吐き出すようだった。


 王都には暗殺者を雇った人間がいるのだ。

 暗殺者のほうは、白いのがとんでもない方法で締め上げたが、黒幕はまだ王城にいるに違いない。

 今頃、城内の人間から情報を引き出そうと動いているはずだ。


 まぁ、王族が揃って空の上にいることなど、誰も知らないわけだが。


 マスターがそんなふうに考えていると、闇色の球体がテーブルから大きな気泡のように現れた。

 闇は処理済みの書類を飲み込み、また、新しい山を築いた。


「怖い怖い……つーか減ってなくね?」とリオが言うのと、マスターが万年筆で金髪を狙うのは同時であった。


「暴力じゃん!」


 叫んだリオの膝に、もふり……と愛らしき白がのる。

 クマちゃんは仰向けで、ふわふわなお腹を存分に見せつけ、短いあんよをピピピ! と動かした。


「やばいやばいクマちゃんその動きで金貨稼げるよ」と言った金髪は、ルーク様のコツンで静かになり、部屋が静かなことに気づいたクマちゃんが、猫手をくいくいと動かす。


「クマちゃ……」


 宮廷音楽ちゃんをどうぞ……。


『高給取りになれる動き』をしたクマちゃんによって呼び出されたのは、なんでも映る掲示板だった。


「それさ、マジで良いもん映んないよね」


 リオの言葉を証明するかのように、クマちゃんの掲示板に、眠り込んでいる騎士達が映る。

 騎士達の口から『ごぉぉ……』と、地鳴りにも似た音楽が響いた。


 正直者は感じるままに尋ねた。


「クマちゃん『いびき』って知ってる?」

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