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第487話 その時彼は。思い遣りが溢れすぎるシェフと一般的な思考の調理補助。仲良しな一人と一匹。味見とは。

 天才シェフクマちゃんは、大好きなみんなが元気に過ごせるように、願いをこめて朝食を作った。


 ひとの好みはそれぞれ違うはずである。ということは、色々な料理があればみんなが幸せになるはずである。と、真剣に考えながら。



 とある医務室で、美人な男が歳の離れた兄を起こそうとしていた頃。


 大きな問題もなく海色ラムネストリートに到着した大人達は、マスターの指示に従い、それぞれの自宅に戻っていた。


 朝食の前に身支度をするため、そして健気にお留守番をしているはずの、クマちゃんにそっくりな妖精、クマウニーちゃんの様子をみるためである。


 巨大な巻貝を彷彿とさせる意匠の屋敷、あるいは宮殿の扉をくぐると、心地好い水音が彼らを迎えてくれた。


 ザァー――。


 高い天井の大穴から爽やかに流れるソーダの滝が、室内の温泉に大きな波紋をつくる。ソフトクリームで出来た真っ白な壁や柱に、青く揺らめく水紋がキラキラと反射する。

 緩やかな螺旋を描く通路を、マーメイドの衣装を纏うもこもこした妖精達が、ヨチヨチ……ヨチヨチ……と歩いているのが見える。壁沿いに、いくつもの大きなくぼみ(アルコーブ)が並んでいる。


 広いリビングルームで、柔らかなマシュマロで出来た家具達が優雅に、さぁどうぞくつろいでください、と言わんばかりに鎮座している。

 金髪の男はそれらをじっと眺めて言った。


「ちょっと休んでもいいよね」


 クマちゃんを抱えたリオは、(魔法が使えないお菓子の国で唯一使える)浄化の魔法をかけると、ふわふわなソファに身を沈め、はぁ……と深いため息を吐いた。


 ――ところで、南国の鮮やかな鳥のごとく派手な男の邪魔が入る。


「では、僕がクマちゃんを洗面所に連れていくよ」


「クマちゃ……」と素直なクマちゃんは両手の肉球を伸ばし、『連れていってくだちゃい』のポーズをとった。


 シャラ、と繊細な音と共に、ウィルの手が可愛らしいもこもこを抱き上げ――、


ようとしたところで、リオは手の甲でそれを阻止した。


「俺が行くし。クマちゃんも俺が良いって言ってるし」とリオが言う。


「本当に?」と、ウィルが問う。


 素直なクマちゃんがハッとした顔をする。


「めっちゃ人の心(えぐ)ってくるじゃん……」


 大人げない二人のもとに、無表情な男が近付いてゆく。

 ルークは心を抉られたリオから、すべてを絶望に落とす魔王のような手口で鮮やかにクマちゃんを奪うと、ハッとした表情のもこもこを撫でながらスタスタと去っていった。


 そんな彼らの様子を視界に入れながら、商業ギルドマスターリカルドと王都の冒険者ゼノは、その建物の幻想的な美しさに衝撃を受けていた。


 上を見ると、聖堂の吹き抜けのように高い場所から、透き通る青が落ちてくる。

 謎の大穴が植物とランプで装飾されている。天井とも屋根とも違う、植物で編まれた天然の日除けが、空を芸術的に区切っている。

 リビングルームと思しき空間には、花嫁のヴェールのごとく美しく広がる天蓋付きの巨大なベッドがひとつ、半円を描く大きなソファが向かい合わせに二つ、真ん中には海を閉じ込めたようなガラスのテーブル、そして床には、ひと際目を引く青色の温泉がある。

 何もかも、すべてがキラキラと輝いていて、現実味がない。


 そのうえ、あちこちで白い子猫のような妖精達がくつろいでいる。


「魔王の別荘……違うな、妖精王の隠れ家か……? いや、隠れてはいない……フハハッ!」


 あまりの美しさに心を揺さぶられすぎたリカルドは、面白いものを見つけた悪党のような顔で口元を隠し、非常に悪役らしい笑い声を漏らした。


「こんな建物、人間の手じゃ作れねぇよな……俺の頭がおかしくなったって言われたほうが信憑性があるぜ」


 隣の人間がおかしくなった瞬間を見てしまったゼノは、高笑いをする商業ギルドマスターに恐ろしいものを見る目を向けた。


「まぁまぁ。一旦顔でも洗って落ち着いてきなよ~。ほらこっちこっち~」


 意外と面倒見のいい陽気な精鋭は、そう言ってゼノ達を現実味のないウォッシュルームへ案内した。

 が、マーメイドの遊び場のごとく流麗で美麗で華麗な空間で、鏡の中に住む光のイルカに見守られながら、可愛いクマちゃんの世話をする魔王の隣で朝の身支度をすることになった彼らの心が落ち着くことは、最後までなかった。



 とある医務室で、美人な男が起きない兄を諦め、いかにも王妃がいそうな続き部屋のドアをバーン! と開けていた頃。


 ふわふわな頭巾を被ったクマちゃんは、海色に輝く屋外用キッチンで真っ白な本を開き、本日の朝食に必要な食材を読み上げていた。


「クマちゃ、クマちゃ……クマちゃ、クマちゃ……」


 お鶏肉ちゃ、クマちゃ、卵ちゃ、玉ねぎちゃ、クマちゃ……お牛肉ちゃ、クマちゃ、玉ねぎちゃ、クマちゃ……、おトンカツちゃ、クマちゃ、卵ちゃ、玉ねぎちゃ……、各種調味料ちゃ、クマちゃ……、お豚肉ちゃ、ネギちゃ、クマちゃ……各種調味料ちゃ、クマちゃ……。


「えーと、鶏肉、クマちゃん、卵、玉ねぎ、クマちゃん……牛肉、クマちゃん、玉ねぎ、クマちゃん……トンカツって食材じゃなくね? 各種調味料って何だろ。もしかしてこの袋?」


 調理補助リオは、可愛らしいシェフの言葉に従い、冷蔵機能のある箱から食材を取り出し、また、正しいタイミングで何度もシェフを撫でた。

 複数回読み上げられた食材は(足りないよりは多い方がいいはず)と、テキトーに積み上げておく。

 リオは〝各種調味料〟を求め、黒くて格好いい袋を覗き込んだ。


「黒っ!! こわっ!!」


 目を剥き、闇が渦巻く袋の感想を述べる。

 どうやら、過保護なお兄さんがカウンター席でクマちゃんを見守っているらしい。

 シェフの願いを叶える袋を一瞬で用意したようだ。

 調理補助は跳ねる心臓を強い意思で押さえつけ、姿を隠している高位な存在に「お兄さんありがとー」と礼を述べた。


「クマちゃんこれで何作んの?」と、調理補助が尋ねる。


「クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……」


 親子丼ちゃんと牛丼ちゃんカツ丼ちゃんと豚丼ちゃんとネギ塩豚カルビ丼ちゃんとスープちゃんとサラダちゃんとお惣菜パンちゃんとチョコクロワッサンちゃんでちゅ……、と常に時間に余裕のあるシェフは答えた。


「なんだろ。ぜんぜん聞こえなかった。俺の耳が『無理』って言ってる。分かった。減らそ。最初のやつだけでいいよね。えーと、おやこどん?」


 調理補助は理解を拒み、おそらく九種類を軽く超えるであろう品数を一品に減らした。


「クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……」


 親子丼ちゃんと牛丼ちゃんカツ丼ちゃんと豚丼ちゃんとネギ塩豚カルビ丼ちゃんとスープちゃんとサラダちゃんとお惣菜パンちゃんとチョコクロワッサンちゃんでちゅ……と、時間にも心にも余裕があるシェフは、調理補助が『すっごい聞こえた』と言うまで頑張ることにした。


 ――クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……――。


 ――えぇ……――。


 ――クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……――。


 ――絶対無理だって……――。


 ――クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……――。


 ――クマちゃん諦めないねぇ……――。



 鳴き続ける猫に屈する人間のように簡単に敗北した調理補助が野菜を切っているあいだ、シェフは調理台の上をヨチヨチ……ヨチヨチ……と歩きながらカフェ店員妖精達に指示を出していた。


 エリートな妖精達がハッとお目目を開く。ごそそそ……!! と素早すぎる動きで食材の下ごしらえを終わらせてゆく。

 調理台の上に、幼児用のおもちゃよりも小さな食材が、透明なクマちゃんキャンディ製のボウルに入れられ、次々と並べられていった。


「え、妖精ちゃん達すごくね? もしかしてレベル上がった?」


 驚いたリオは、うっかり、ふれてはならない話題にふれてしまった。

〈レベル1〉のクマちゃんが、瞳を大きく開き、子猫っぽい口をあけ、リオを見上げている。


 カウンター席に座っている保護者達の視線が、迂闊な男にザクッと突き刺さった。


 ふわふわ頭巾を被ったシェフの震える猫手から、愛読書、〈はじめてのりょうり〉がバサリと落ちる。


 リオは手を浄化し、もこもこもこもこと震えるクマちゃんを抱き上げ、丸くて可愛い頭に頬擦りをした。


「クマちゃん可愛いねー。めちゃくちゃ可愛い。すっごい可愛い。お鼻ビチョビチョだねぇ」


「クマちゃ……」


 嘘のつけない調理補助は、余計なことは言わず、真実のみを伝えた。

 心からの褒め言葉が、清らかなもこもこの心にすっと入っていく。

 そのおかげで、毎日幸せなクマちゃんの幸福度は、九から十へと無事回復していった。

 ――ちなみに、ゼロから十までの十一段階である。



 とある医務室で、美人な男が護衛達を文字通り叩き起こしていた頃。


 クマちゃんとリオは、煮るだけ、炒めるだけの料理を次々と完成させていった。


 甘辛いタレの匂いが食欲をそそる。

〈土鍋ちゃん〉という不思議な形の鍋でツヤツヤに炊かれた〝ごはん〟に、飴色に輝く肉や玉ねぎを、職人のような手付きでササッと盛り付ける。

 カフェ店員妖精によって炊きあげられた〝ごはん〟が、〝どんぶり〟という名の黒い器に盛られ、ヨチヨチ……ヨチヨチ……! とクマちゃん達のもとまで次々と運ばれてくる。


 屋外用キッチンの周りを、精鋭達が意味もなくウロウロしている。

 一人と一匹の作業中、手伝いを申し出たが止められたのだ。


「手伝いましょうか?」

「いやそれなら俺が」

「いや俺の方がそいつより刃物の扱い上手いっすよ」

「おいふざけんなテメェこのナイフでズボン短くされてぇのか」

「じゃあ俺はお前のつまんねぇズボンを可愛い花柄にしてやんよ。このナイフの先っちょでな」

「よし表でろ」

「ここが表だろうがバーカバーカ」



「馬鹿はお前もだ。このまま騒ぎ続けたらどうなるか……分かるな?」



 キッチンの周りでナイフを持って騒ぐ馬鹿野郎共を止めたのは、渋い声のマスターだった。

 手伝い役を決める争いに参加しようとしていた他の精鋭達も、即座に「はい。分かります」と言って静かになった。

 そうして、食欲をそそりすぎる香りが漂うキッチンの周りを、グゥグゥ鳴る腹を抱え、ひたすらウロウロする羽目になったのだ。


 とんでもなくいい香りを放つ〝ネギ塩豚カルビ〟が、ジュウジュウと音を立て、フライパンからほかほかごはんの上に移される。


「すっげぇ良い匂いするじゃん……」


 調理補助がごくりと喉をならす。

 ふんふん、ふんふん、と香りを確かめるシェフに、「クマちゃん味見って大事だよね」と尋ねる。


 屋外用キッチンを囲む精鋭達がデカい声で野次を飛ばす。

 ――が、マスターの腕組みが外れた瞬間、彼らは両手をそっと腹の前で重ね、教職者のように静かになった。


 エリートなカフェ店員妖精達が、ヨチヨチ……! と味見用の小さな器に炊き立てごはんと焼き立てのお肉を盛り付ける。

 ニンニク入りネギ塩ダレの香りがふわりと広がる。

 そうして、見覚えのある縦長のグラスがコト、と置かれ、リオが「え」と声を出したときには、水滴のついたそれは、成人男性が片手で掴むのに丁度いいサイズに変わっていた。


 黄金色に輝く液体が、キンキンに冷やされた状態で、彼を待つ。


 冷静さを失った精鋭達が、無言で拳を振り上げる。


 リオは真面目な顔で「なるほど」と頷き、まずはあつあつの器を片手に持った。

 調理台にそっと降ろされたクマちゃんは、いつものように肉球を見せ、どうぞ、のポーズをとっている。

 心優しいクマちゃんは、仲良しの彼に一番に食べて欲しいと思っているのだ。


 リオは愛らしいもこもこに「ありがとークマちゃん。可愛いねー」と心からの礼を言った。

 そうしてついに、リオは便利な〝クマちゃんおはしちゃん〟を使って、ごはんとネギ塩ダレがかかった肉を同時に口に入れた。


 左右で色の違う目がカッ!! 見開かれる。


 精鋭達が血の涙を流す勢いで歯を食いしばり、感想を待つ。


 リオの手がおはしちゃんを操る。

 二口目の、熱々ネギ塩豚カルビごはんが、彼の口に放り込まれる。


 男らしくガッ! と、しかし美しい所作で、リオの手が三口目のネギ塩豚カルビごはんを口へ運ぶ。


 リオはたった三口で無くなってしまった味見用の器を切なげに見つめ、冷えっ冷えのグラスにそっと手を伸ばした。


 ごく、ごく、と、冷えた液体を飲み干す。男の喉仏が動く。


「これマジでやばい……くっっっそ美味い」


 というまったく役に立たない感想に怒りを燃やす精鋭達が「そんなことは分かってるんですよ!!」「リオさんのは味見って言わないんすよ!」「ただの本気食いじゃないっすか!!」と声を上げたが、リオはそちらを見なかった。


 なぜなら、カフェ店員妖精ちゃんが、別の味見用ミニどんぶりを運んできたからだ。

 小さなどんぶりの横には、クマ耳付きの白い小皿に、梅酢で漬けられた細切りのショウガが美しく添えられている。


 そのうえ、超エリートな妖精ちゃんは、彼の思いを()み取り、キンキンに冷えた琥珀色の液体まで、ヨチヨチ……! と素早い動きで運んできた。


 リオは妖精ちゃんに「ありがとー」と感謝を伝え、ちょっとした味見のつもりで黙々と親子丼を完食し、ビールを飲み、冷ましたごはんをクマちゃんに「はい、あーん」と食べさせ、では自分ももう一度別のどんぶりを――、と手を出しかけたところで、事態に気付いた。


「あれ、俺いまめっちゃ食ってなかった?」


 と言った彼を、精鋭達が歯ぎしりをしながら凄い目つきで睨んでいたが、マスターはそれを止めなかった。



 とある医務室で、美人な男が激しく動揺する護衛達に、「なぁ、お前ら、仕事しなくていーの?」と、『あなたには言われたくない言葉ランキング』上位の質問を投げかけていた頃。


 お菓子の国の彼らは、皆でテーブルや椅子を購入していた。

 用意された食事の種類があまりに多かったため、巨大な円卓だけでは置き切れなかったのだ。


 購入された海色のテーブルの上に、ウィルが妖精用のドアを設置する。

 すると、そこからヨチヨチ……! と素早く出てきた妖精達が、サラダやスープが入った容器を綺麗に配置していった。

 ポン! ポン! と音を立て、料理の入った器が人間用の大きさに変わってゆく。

 ウィルは美しい顔に優しい笑みを浮かべ、可愛くて働き者な妖精達を見守った。


 そうして、皆で準備を整えているあいだに、精鋭の一人が竜宮城からぞろぞろと客人達を引き連れてやってきた。


 垂れ目がち色気だだもれ商隊長が、離れ離れになっていた大切な存在に目を留め、「ああ、クゥ! 会いたかった!」と駆け寄ってくる。

 奥二重な地味美形商人が、「商隊長、まだ朝なんで色気は仕舞ってください……」と疲れが滲む忠告をする。


「そういうのはメシ食ってからね」とリオは朝から不要な色気をまき散らす商隊長にクマちゃんの可愛い肉球を見せてあげた。


 商隊長は朝から可愛すぎるクマちゃんに動揺し、「あ、ああ、そうだな、クゥ」と言って沈黙した。もこもこを操るリオの存在は目に入らなかったらしい。


 金髪の調理補助は、おそらく王族が食す朝食の十倍は豪勢な料理の数々を指さし、王都からの客人達に無理難題を告げた。


「これ、クマちゃんが作った絶品料理。頭ぐらぐらしてちょっと意識飛ぶほど美味いから、食う時気を付けてね」

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