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クマちゃんと森の街の冒険者とものづくり ~ほんとは猫なんじゃないの?~  作者: 猫野コロ


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第482話 苦労性のマスターと、可愛いクマちゃんによる愛らしい調査。乱れる雑貨屋。事件の裏に隠された何か。

 名探偵クマちゃんはむむむ……! と気になる場所を調査した。

 ピンク色の肉球で、チョチョチョ……! と。



 甘く優しい風、樹々のざわめき、愛くるしい鳴き声、かすれ声の要求、無言の男。

 いつものように平和な風景を視界に入れながら、冒険者ギルドの管理者は器用に片眉を上げた。


 ――大変なことが起こった現場にはとても見えんが。


 そんな風に思いつつ、マスターは手元の紙へと視線を落とした。

 その顔は、早朝の薄暗い森で書類が積み重なった執務机でも見つけたのか、というほど幸福とはかけ離れている。


 だが、眉間の皺は一瞬で消え、すぐに目元を和ませた。

 渡されたものが、日々クソガキのようないたずらを仕掛けてくる冒険者のくだらぬ落書きではなかったからだ。


 ――大型モンスターの問題に悩まされるようになる前、〝元気がいい〟という無理やり長所を探し出したような理由により街中での依頼を担当していた冒険者から、珍しく真面目な表情で、何を描いたのか分からぬほど下手くそな灰色の絵を渡されたことがあった。

 当然仕事に関するものだろうと思ったマスターは『これは?』と尋ねた。

 元気が取り柄な冒険者は真面目ぶった顔のまま、『顎ヒゲっす』と答えた。

 二秒で描いた傑作らしかった。


 その時は、褒められたくて見せにきた(わずかばかりの)可能性を考慮し、『部屋に仕舞っておけ』と言ったが、元気なクソガキは素直に『はい』と頷かず、『なんでっすか』と、答えにくいうえに双方に益のない質問をしてきた。


 笑顔でないからといって真剣であるとは限らない。

 真剣であるからといって仕事をしているとは限らない。

 成人しているからといって話が通じるとは限らない。


 長年そんな環境で過ごしているせいで、マスターは冒険者が真面目な表情で話しかけてくると警戒するようになったのだ。


 しかし、視線の先にあるのは二秒で描ける灰色の波線ではない。

 もっと切実な思いがこめられている。


 探し物というのはギルドによく来る依頼の一つではあるが――。


 そう考えているあいだも、意図せず持ち上がりそうになる口角を押さえつけるため、マスターは敢えて難しい表情を作っていた。


 クマちゃんの独創的かつ芸術的な文字を少々標準的にして、大きさを揃えて並べたような文字には、マスターの心を解きほぐし、笑顔にしてしまう効果があった。

 彼の執務机で一生懸命ペンを握っていた可愛らしい姿が、この紙を見るだけで思い浮かぶ。


 あのときは今よりも体が大きかったはずだが、いったいいつになったら戻るのか。

 だが本人はまるで困っていないようだし、大人があまり心配しすぎるのも……。


 いや、子猫のような大きさになってしまった本体のことは気になるが、今はとにかくこの紙を冒険者に渡してきた妖精、あるいは白きもこもこの分身の問題を解決せねば。

 この『いらいしょ』に書かれた大問題を。

 

「……随分と可愛らしい依頼書だな」


 何度見ても愛らしいそれにマスターが思わずそう言うと、ルークからクマちゃんを奪おうとして失敗した金髪が「え、なに、それ依頼書なわけ?」といって紙を覗き込んできた。


 そこには確かに『いらいしょ』と書かれていた。

 森の街のガサツなオヤジが書いたものよりよほど丁寧に、分かりやすく紛失物の絵までつけて。


 リオは大きく目を開き、「哺乳瓶無くなったら牛乳飲めないじゃん!」と言った。


 傷心中の妖精と、ひたすらルークに甘えていたクマちゃんがハッと口元を押さえ、もこもこもこもこ……と体を震わせる。

『牛乳飲めないじゃん!』というあまりにも残酷な言葉の響きに衝撃を受けてしまったのだ。


 そうして、いつも通り余計なことを言った男は、悲し気な顔をした派手な男と、あらゆる命を刈り取りそうな顔つきの男の手で、やや離れた場所へと追放された。


 リオとざっかやちゃんの距離、僅か二メートル。



 可愛いクマちゃんのいる場所から約三十メートル離れた流刑地。


「つーか普通にどっか落ちてんじゃねーの」


 と言って、振り返ったリオの目に映る、クッキー柄の敷物。


 短いあんよを投げ出し可愛らしくお座りした妖精ちゃんの横には、『ざっかやちゃん』と書かれた看板――の横に縦長の物体。


 そして、縦長の物体に立てかけられた『はちおく』という値札的な何か。


「はちおく」と、リオが思わず声に出す。まるで数分前の王都の冒険者のように。


 リオは「はちおく」と繰り返しながら、可愛いざっかやちゃんの前を通り過ぎ、自然な足取りでマスターのもとまで戻った。



「マスター、めっちゃやべぇ哺乳瓶あっちにあるっぽい」


 と、リオは真剣な表情で事件の重要な手がかりをマスターに知らせた。


「なんだ。もう見つかったのか。……ん? そのまま置いてきたのか?」


 マスターは『めっちゃ』と『やべぇ』が口癖な金髪の『めっちゃ』と『やべぇ』を当たり前のように聞き流した。


「まぁいい。取りに行くから案内しろ」


 あまり良くないことに気付かぬ彼がそう言うと、リオは真剣な顔をしたまま「えぇ……」と素直に頷かない青年のような声を発した。

 いかにもヒトの頼みを聞きたくない人間の声である。


 が、忙しいマスターは『えぇ……』が口癖な金髪の『えぇ……』も当たり前のように聞き流した。


 大人達の真剣な雰囲気に、もこもこした口元をもふっと膨らませたクマちゃんは、ふんふん、ふんふんふん……と湿ったお鼻を鳴らして小さな手帳を開き、可愛いキノコのペンで一生懸命何かを書き込んでいた。



 たった三十メートルの移動はすぐに終わった。

 彼らの目の前には、クッキー柄の敷物に座った『ざっかやちゃん』がいる。


「…………」


 マスターは眉間に深すぎる皺を寄せ、目元を隠すように片手でこめかみを揉んだ。

 今にもため息を吐きそうな様子で下を向いているが、思考の海に沈んでしまったのか、立ったまま気絶したのか、無言のまま静止している。


 ウィルは涼やかな声で「おや?」と言った。

 森の街で一番大雑把な男は『はちおく』にはふれずに別の疑問を口にした。


「この妖精は制服を着ていないようだけれど、自分で商品を集めているのかな。とても立派だね」


 正直者な金髪は、仲間の意見に同意できずに正直に尋ねた。


「それより『はちおく』をどう思ってんのか聞きたいんだけど」


 しかし南国の美しい鳥のごとく派手な男は、どこまでもクマちゃんとクマちゃんの分身のような妖精の味方であり、ざっかやちゃんの突き抜けた価格設定を否定することはなかった。


「リオ、お店の前でそんな話をするのはお行儀が悪いよ。まずは目当ての商品を買ってからにしないと」


 その言葉を聞いた金髪は、目の力だけで相手を倒したいと言わんばかりに目力を強め、神経が大樹より太そうな男を凝視したまま、貴重な朝の時間をチクタクチクタク――と無駄にしていった。




「『目当ての商品』はちおくじゃね?『まずは』で買えないやつじゃん。……え、何その驚いた顔。まさか持ってる感じ? 持ってないのって俺だけ?」


 二人がそんな風に話を再開し、彼らの側のクライヴが森に実るすべてのクッキーを冷凍クッキーにする勢いで冷気を放ち、精鋭と商隊の護衛が凍えそうな旨を伝えるべきかどうか悩んでいるときだった。


 きゅお……、と愛くるしい鳴き声と、微かに草を踏むような音がした。


 大人達がぱっと視線を落とす。

 すると、思った通り、愛くるしいクマちゃんがヨチヨチ……ヨチヨチ……と『ざっかやちゃん』へ近付いている。


 赤ん坊のような格好と相まって、実に可愛らしい。

 子猫のお店に向かう、赤ちゃんの洋服を着た子猫だ。

 こんなに愛くるしいお買い物風景は見たことがない。

 まるで、幼い子供が初めてのお使いへ行くのを見守るような優しい気持ちに――なっていたのは一部の大人だけだった。


 どこかのもこもこのおかげで暗い場所でも昼間のようによく見えてしまうリオの目が、クマちゃんのお手々が握る何かを捉える。


 薄くて黒いそれの名は、――ブラック お菓子 カード――。


「待って待って待ってクマちゃんそれ買うのちょっと待って!」とクマちゃんが聞き取れないほどの早口でそれを止めたのはリオだった。


『――クマちゃんそれ買うの――』以外聞き取れなかったクマちゃんは、ハッと仲良しのリオちゃんを見上げ、うむ……と重々しく頷いた。


 そして、ふたたびヨチヨチ……と子猫のような両手で黒いカードを持ったまま歩きだす。

 クマちゃんそれ買うの……とリオの言葉を心の中で肯定しながら。


「いや待って待ってじゃあ何で頷いたの!」とリオはまるで可愛らしい我が子に騙し討ちされたかのような発言をした。

 そのままもこもこをサッと抱き上げ、『メッ!』と叱るような顔をする。


 しかしいきなり抱き上げられたクマちゃんは驚き、すべての肉球から力を抜くと、ガクッと頭を下げた。

 死んだふりをするついでに仮眠をとるクマちゃんの丸いお耳に、リオの説教は届かない。


「――あれだよね。クマちゃんて俺の話ちゃんと聞いてないとこあるよね。つーかそもそも、拾ったもん売っちゃ駄目じゃね? 普通に持ち主に返せばよくね?」


 リオの長い独り言に応えたのは、何故か微動だにしないクマちゃんではなく、クマちゃんのすべてを肯定する麗しの魔王様の『ふっ』だった。


「リーダーいま俺のこと鼻で笑ったでしょ……」


『すべて分かっているぞ……』というリオの眼差しを、ルークは華麗に無視したまま、彼の腕からクマちゃんを奪いとった。

 だが珍しく一言だけ、「俺らの真似だろ」と、静かに告げた。


 低くて色気のある声は、彼らの鼓膜を震わせ、心をざわつかせた。


「真似? そういえば、商隊の彼らが『ホコリ』のせいでおかしくなっていたとき、拾ったものを売ったと言っていたね」


 ウィルはクマちゃんの子猫のような歌声を思い出した。

 あれはたしか、拾って、煮て、煮えたから高値で売った、という商人達の行動をありのままに伝える歌詞だった。

『俺らの真似』というのは一つの行いを示しているわけではなく『人間の真似』という意味で言ったのだろう。

 同じ種族である自分達も彼らだけを責められない。

 穢れなき生き物は、常に自分達を観ているのだ。


「それなら、俺らが悪いことしなきゃいいって話だろ。それで、こいつの哺乳瓶はどうすればいい? 返してくれってそいつに言えばいいのか」と尋ねたのは、それまで黙っていたゼノだ。


 王都の冒険者であり、商隊の人間達がおかしくなっているあいだ、ギルドの依頼で護衛を任されていた綺麗な男は、口調が少々荒っぽいだけで、根が善良だった。

 しかし、この世のものとは思えぬほど麗しく、側にいるだけで世界の終わりを感じさせるルークと目を合わせることはできなかったらしい。


 彼が質問をしたのは、先ほど陽気な精鋭に助言された通り、冒険者の疑問に何でも答えてくれるという『マスター』だった。


「……まぁ、それが出来たら一番なんだが」


 マスターが言葉を濁すのは、虚空を見つめる猫のように正面を見つめる『ざっかやちゃん』から哺乳瓶を取り上げるのが嫌だからだ。

 素直で良い子な妖精は、『そっちの妖精に返してやれ』と言えば、悲しそうな顔をして、人間の言うことを聞くだろう。


 人間のルールならそれで間違いではないはずだが、子猫のような生き物にそれを押し付けていいのだろうか。


 そうして、大人達が『そもそもその哺乳瓶は依頼書に描かれたものと一緒なのか』と、今さらすぎる疑問について話し合いを始めた頃。


 クマちゃんがハッと目を覚ます。

 大好きな彼に頼み、もう一度ざっかやちゃんの近くへ降ろしてもらう。


 ふんふんふん……ふんふんふんふん……。


 湿ったお鼻を鳴らし、ヨチヨチ……ヨチヨチ……、とざっかやちゃんの周りをウロウロする。


「…………」


 大人達の視線が、赤ちゃん用頭巾を被ったクマちゃんの動きを追う。

 コロリ……と草地に転がり、チョチョチョ……!! と猫手で哺乳瓶を攻撃するクマちゃんの動きを。


 リオが可愛すぎる我が子を見ながら「……クマちゃんめっちゃ可愛いけどそれやったらざっかやちゃんのお店ぐちゃぐちゃになっちゃうから……」と迫力も信念も効果もまったくなさそうな注意をし、ついに『はちおく』の哺乳瓶を倒したクマちゃんの痛くも痒くもなさそうな攻撃に心臓を一突きされた死神がガク――と片膝を突いた、そのとき。


 それまでただ商品の前に座っているだけだった『ざっかやちゃん』が、ハッと表情を変え、ヨチ……! と立ち上がり、クッキー柄の敷物の下をごそごそ……と探りだした。


 クッキー柄の敷物が、子猫がもぐりこんだ布のように膨らんでゆく。

『ざっかやちゃん』の雑貨が大変なことになっている。


 倒れた哺乳瓶をひたすらチョチョチョ……! と猫手で突いていたクマちゃんが、他の子猫の動きにつられる子猫のように、もこもこ……とクッキー柄の敷物にもぐりこむ。


 そうして、『ざっかやちゃん』の店舗はゆっくりと崩壊していった。



 現在この世の冒険者ギルドの管理者の中で一番忙しいはずのマスターは、己の溺愛する子猫がぐちゃぐちゃにした場所を片付ける人間のように、片腕に世界一可愛いクマちゃんを抱き、片手でもくもくと『雑貨』らしき何かを片付けていた。


 すると、『ざっかやちゃん』を営む妖精を抱えたリオが、「なんかある」と言い、クッキー柄の敷物をバサッと持ち上げた。


 余計にぐちゃぐちゃになったことで、マスターのこめかみに青筋が浮きかける。

 が、リオが言葉を発するほうが先だった。


「なに、このボロい手帳。『成功の秘訣』? ……これさぁ、人間の字じゃね?」

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