第479話 癒しの魔道具の凄まじい力。暗殺者に下った罰。慄く大人達。明言を避けるマスター。
クマちゃんは『良い子のための動画』からとても大事なことを学んだ。
悪いことをすると大変なことになってちまうのでちゅね……と。
◇
リオは、可愛い我が子のつぶらなお目目を隠そうと思った。
純粋なクマちゃんは、この変態がなぜ人に矢を向けるのか理解できないだろうからと。
しかし、映像に目を向けたまま伸ばした手は、興奮している我が子の子猫によく似た牙であぐあぐにゃしにゃし……! と噛まれてしまった。
どうやら獲物と間違われたらしい。
だが痛くない。小さな歯と薄い舌が指を撫でる程度だ。
我が子は顎の力が弱いのではないか。
リオがそんな風に、暗殺者に射られそうなゴロツキよりも、クマちゃんの噛む力の弱さを心配していたときだった。
今にも矢を放ちそうな暗殺者、あるいはクソド変態が、弓矢を構えた格好のまま「うおぉぉ……し、びれ……る……」と、本来であれば絶対に出さないような声を出し始めた。
暗殺者失格である。
だが、ウサ耳クソド変態がそんな声を出したのは、感情が高ぶったからではなかった。
頭上のアヒルボートが、男にピンク色の光線を発射している。
あれに当たると厳しい訓練を受けた人間でも黙っていられないくらい嫌な痺れを感じるようだ。
精鋭達は映像の中の変態が体をガクガクビクビクさせているところを見ながら、クマちゃんの魔道具の恐ろしさに震えた。
あんな風にはなりたくない……と。
黄色い悪魔の攻撃が、突然止んだ。
自由を得た暗殺者がふたたび矢を構え、今度こそそれを放つ。
しかしその矢が標的にたどり着くことはない。
『シュポ』の音と共に、アヒルボートに吸い込まれる。
そして何故か、暗殺者の背後に、細長い厚手の布が現れた。
布からは水が滴っている。
ビチィィィイ!! 激しい音と共に、濡れタオルが暗殺者を打つ。
無防備な背中を狙われた暗殺者が濡れタオルごと宙を舞う。
物凄い勢いで国王のベッドがある方向へ吹き飛ぶ。
薄布に引っかかるが勢いは死なない。
そこからは、まるで時がゆっくり流れているように感じられた。
天蓋の薄布に絡まったクソド変態が、ベッドを超え、そのまま飛んで行こうとする。
天蓋を支える柱が横向きに引っ張られる。柱が曲がる。強風に煽られる小枝のように、ミシ……ミシミシ……バキバキベキィィンと不気味な音を響かせながら。
トゲのある弾丸のごとき成人男性のせいで薄布がビリビリィ!! と悲鳴を上げる。
だが耐久力のない布に引っかかっているのは一人ではなかった。
ズルゥと引っ張られたゴロツキの膝が、この国のトップである国王の頭を引っ掛けたまま移動する。
尊い者を脚で引きずったゴロツキがドス! とベッドから落ちる。
やや引きずられた国王は、まるで寝相が悪い人間のように斜めになってベッドに残った。
薄布を矢で引き裂き突き破った暗殺者が、壁一面の大窓へ飛んで行く。
重さ七十キロを超える暗殺者が加速する。
バァァァァンッ!! ガッシャァァァンッ!!
重いものに凄まじい勢いでぶつかられた大窓は、いかにも窓ガラスが割れたような音を立てて大破した。
歴史ある高級絨毯に割れたガラスが飛び散る。
ベランダに散らばった何かが、月光を浴びて悲し気に煌めいた。
国王の寝室がどんどん荒れてゆく。
しかし大窓にぶつかった重いものは、癒しの魔道具、アヒルボートが素早く回収し、無事だった。
窓を突き破ることなく、外に落ちることなく、どういうわけか、入り口付近で弓矢を構えさせられている。
本人は抵抗しているようで、「やめろ……! 放せ……!」と言っているが、謎の光線で操られている男の体は自由に動かない。
真っ白なシャツが水に濡れ、肌が透けている。
幼子が書いたような『あんさつ』の文字は、心なしか滲んで見えた。
短すぎる短パンからも水が落ち、足元には水たまりが出来ている。
もがくことすら許されない変態が、アヒルボートに操られるまま矢を放つ。
ドス!! と矢が刺さる。国王のベッドマットに。
ドス! ドス! ドス! と連続で。
無事であった部分までボロボロになってゆく。
ボォン!! 超高性能なクマちゃんの魔道具によって力を得た矢が、ベッドの内部で爆発する。
ガタタタタとベッドが揺れ、就寝中の国王の体が細かく跳ねる。
折れ曲がった四本の柱がガガガ! と振動する。
リオは映像を観ながら「いやもう撃たなくていいでしょ。何のためにしてんのそれ」と普通過ぎる意見を述べたが、過ぎ去りし時は戻ってこない。
何のためにしているのか、答えを知るすべはない。
ふたたび映像が加速する。
アヒルボートによって大量に複製された凄すぎる矢が、操り人形と化した暗殺者によって次々と放たれてゆく。
ヘッドボードにガガッと矢が刺さる。
超高性能なクマちゃんの魔道具により強大な力を得た矢が掘削機のように回転し、ギュルルル! とヘッドボードに穴を開け、その先にある壁も掘る。
隣の部屋まで突き抜けた矢が、隣室で爆発を起こす。
マスターは思わず「おい、まさか王妃の部屋じゃねぇだろうな」と尋ねたが、正解を知る者はいない。
未だ主のいない貴人の寝室から、パリーンと高い音が響く。
壁にも絨毯にも天井にも矢が刺さった部屋で、暗殺者は最後の矢を構えさせられていた。
リオは悲しき操り人形を見ながら「目が死んでる」と言った。
人間以外を撃ち滅ぼす暗殺者を捕まえた者は尋ねるだろう。
貴様の目的は何だと。
誰も傷付けられない暗殺者の手から、最後の矢が離れていった。
おかしな軌道を描いて飛んでいったそれは、ナイフが突き刺さったダーツボードを貫いたあと、何故かもとの場所まで戻ってきた。
変な物がぶら下がった矢を構えることになった男の腕が、突然ぶるぶると震えだす。
アヒルボートが、ダーツボードに光線を発射している。
「うぉぉぉ!」
男は妙な声を出したかと思うと、ガクッと床に膝を突き、ナイフ付きダーツボード付き弓矢を持ったまま、ゆっくりと、まるで石像でも持たされたかのように、震える腕を下ろしていった。
大人達は映像の中の暗殺者がじわじわと逆さまになっていく様子を、複雑な表情で観ていた。
それは、弓矢で天を狙う弓術士をひっくり返したような格好だった。
ウサ耳の付いた被り物と伸縮性がないTシャツともこもこ素材の短すぎる短パン姿の男は、どこかの世界のストリートダンサーのように、格好いいポーズで静止したまま、「うっ」と足がつった人間のような呻き声をあげ、それきり静かになった。
映像が切り替わる直前、ナイフと矢が刺さったダーツボードが拡大して映された。
矢が刺さっていた場所にはこう書かれていた。
『都会の城』と。
◇
人形劇が始まっても、声を発する大人はほぼいなかった。
リオは誰にも倒せない強敵を見るような眼差しで黄色い悪魔を見ながら「どうすんのあれ」と尋ねたが、答えられる者はいない。
『クマちゃんの魔道具すげぇな……』『あの矢はやべぇ……壁突き抜けてったぞ……』『魔道具っていうより兵器じゃねぇか……』
精鋭達は心の中ではそんな風に思っていたが、衝撃映像を目撃してしまったせいか、壊滅状態な国王の寝室を見てしまったせいか、声を出すと『アヒルがやべぇ』と言ってしまいそうだったため、口を閉じていた。
ウサギの被り物をしたクマちゃん人形は、ハッとした顔でもこもこの口元を押さえて言った。
『クマちゃ、クマちゃ……』
引っ越し先が決まったようでちゅね……と。
「この人形寝てたんじゃないの」と言った金髪の肩にシャラ、と青髪の手がかかる。
「眠いならそこにベッドがあるよ」と言った派手な男の示す先には真っ白なケーキで作られたベッド。と、そこで眠る国王と王弟。
空いている場所には麗しの魔王様がクマちゃんを抱えたまま腰を掛けている。
優し気なウィルの永眠を促す言葉に、リオは思わず本音で答えた。
「いや王サマと一緒に寝たら不幸になるから」
あの国王は運が悪いに違いない。
そんな顔をしている。
失礼の化身リオがそんなことを考えていると、人形劇のクマちゃんがふたたび話を始めた。
『クマちゃ、クマちゃ……』
皆ちゃんが暴れん坊なあんちゃちゅちゃちゃんに出会ったらすぐに逃げられるように、良く見える場所に姿絵ちゃんを張っておきましょう……。
それを聞いたリオは「いやそんなことしなくてももう捕まるでしょ。現場で逆さまになってんだから」と言ったが、相手は人形劇のクマちゃんだ。彼の意見は通らない。
何でも映るクマちゃんの掲示板・小にまだ暗い空が映る。
マスターは顎ひげに手を当て「ん?」と言った。
指名手配書を張った壁でも映すのかと思ったんだが、と。
星の少ない夜空に、ぼんやりとピンク色の何かが浮かび上がってくる。
二本の棒のような……と大人達が目を凝らしていると、それは段々と鮮明になっていった。
彼らは見た。
夜空にくっきりと浮かぶ、クソド変態の姿を。
色々な意味で凄い格好のまま静止していた暗殺者を拡大して投映したとしか思えないような『姿絵』が、〝空〟に張り付けられている。
まつ毛の本数まで数えられそうなほど、その姿絵は鮮明だった。
精鋭達の口から「えぐい」という呟きが漏れる。
リオはかつて酒を飲んではしゃぎ過ぎた後輩冒険者がマスターにシメられた瞬間を見たときのように「つらい」と言った。
しかしあの時と同じで悪いのは本人である。
城に入る前に引き返しておけば、こんなことにはならなかっただろう。
黄色い悪魔に両足をやられた時にはすでに分かっていたはずだ。
絶対に勝てない相手だと。
リオが二つの過去に思いを馳せ、空を穢す変態の姿絵を見ながら「あれいつ消えんの。キモいんだけど」と誰に聞いても答えが返ってこない質問をしていたとき。
冒険者ギルドの管理者であるマスターと、商業ギルドマスターのリカルドは真面目に話し合っていた。
「あ~……まぁ、白いのの魔道具のおかげで怪我人はでなかったってことだな」
「そう……ですね……。人の命に比べれば、壁や天井に多少穴が開いても……」
「しかし、結局どうやってこっちに来たのか、分からずじまいか。とはいえ、犯人はじきに捕まるだろ。心配なのは手引きした人間が城に残っている可能性なんだが」
「もしかすると、不穏な気配を感じ取ったアヒルが彼らを保護したのでは……」
そんな二人の会話にリオは何度か口を挟んだ。
「いやあの穴は多少って言わないでしょ」
「控えめに言ってハチの巣」
「平らな部分がない」
「壁っていうよりくぼみ」
がギルドの管理者達にそれを認めさせる前に、隣の派手な男から「ねぇリオ、あれを見てごらん。凄く可愛いよ」と声をかけられ、ついうっかりそちらを見てしまった。




