第478話 動画で学ぶ、悪い子の行動。純粋なクマちゃんと、悩まし気なリオ。
クマちゃん達は、みんなで仲良く『あんちゃちゅちゃちゃん』の映像を観ている。
うむ。どうやらこれは、今より少しまえに撮影されたもののようだ。
◇
『ちゅごい医務室』というわりには医務室らしいものが置かれていない不可思議な空間。
謎のヴェール、あるいは謎のお菓子に包まれた甘くて可愛いアイテムだらけの場所で、彼らは三倍速で動くそれらを観ていた。
◇
黒衣の男が音もなく、ススス……と城壁に近付く。
黄色いアヒルボートが、ふよふよふよ……! と上空からそれを追いかける。
――が追いつかず、男の足元へなんらかの光線を発射する。
男が城から遠ざかり、アヒルボートの真下までシュッ! と移動する。
異変を感じた男が早口で『クソ! 城へ近付かせないつもりか!』と呟く。
リオは映像を見ながら「違うんじゃないの」と言った。
本当にそうなのであれば、もっと離れた場所まで連れていくだろう。
諦めないそれらは、両者同じことを繰り返しながら、徐々に城へと近付いていった。
城内へ侵入しようとした男が、胸元から『玉のようなもの』を取り出す。
アヒルボートが何かを発射する。
男が取り出した『玉のようなもの』が『シュポ』とアヒルボートに吸い込まれる。
男はバッ! と上を見た。
が、そこには何もない。
逃げ足は速いが人間からは離れないアヒルボートは、まるで犯人に剣先を突き付けるかのように、男の背にオレンジ色のくちばしを突き付けている。
映像の中、黒衣の男と黄色い悪魔の勝敗がついたように見えた。
静かに見守る大人達は、このまま勝者であるアヒルボートが、犯人を背後から仕留めるか、意識を刈り取るか、どちらかを行うだろうと推測した。
自分であれば犯人を捕らえるためにそうするからだ。
だが、癒しのもこもこによって作られた魔道具は、それをしなかった。
アヒルボートがシュッと高度を下げる。
ポン! と男の脚のあいだへ何かを撃ちこむ。
コロコロコロ……! と男の股下を抜け、何かが転がっていった。
男がバッ! と地面を見る。
数歩離れたところに、さきほど何者かに奪われたはずの『玉のようなもの』が落ちている。
『…………』
沈黙した男は、できるかぎり気配を殺し、後退した。
黄色いアヒルボートが、人間の移動をさまたげる猫のように男の足のそばをウロウロする。
罠を警戒した黒衣の男は、『玉のようなもの』から逃げるように、城の壁沿いに移動を開始した。
すると、アヒルボートはすかさず『玉のようなもの』に光線を発射した。
三倍速で走る男の進行方向に『玉のようなもの』が出現する。
走る男が三倍速で玉を踏む。
足首が三倍速でまがる。
ぐきっ。
真面目な顔で映像を観ていた精鋭のひとりは、通常の三倍の速さで横向きに吹っ飛ぶ男を眺めながら言った。
「もう帰ったほうがいいんじゃねぇか」
ズザァ……! と受け身を取った男が素早く身を起こす。
石畳に片膝を突いたまま、胸元へ手を差し込み、己の窮地を救う丸い何かを取り出す。
『玉のようなもの・そのに』がアヒルボートへ吸い込まれてゆく。
その瞬間だけ映像がきらめき、時間がゆっくりと流れているように感じた。
短いスロー再生が終わり、映像は二倍、三倍、四倍と、早さを増していった。
男が瞬間移動のように城の裏手を駆け、突如あらわれた玉を冗談のように踏む。
黒衣の男は前方不注意により驚異的なスピードで足をくじいた。
四倍速で吹っ飛んだ男が、ボロボロになりながらも執念で城への侵入を果たす。
しかし、大人達には分かっていた。
黒衣の男は自力で城にたどり着いたわけではない。
アヒルボートに泳がされているのだ。
とはいえ、このまま何もせずに引き返せば見逃してもらえるだろう。
男の気配が城から遠ざかれば、さきほど夢の中で猫パンチにそっくりな『クマちゃんパンチ』を繰り出していた癒しのもこもこも、可愛い猫手をひっこめたはずだ。
だが、いま彼らの横でルークに抱えられながら一緒に映像を観ているクマちゃんは、ふんふんふんふん! 湿ったお鼻を鳴らしている。
おそらく攻撃力はゼロであろう猫手をチョチョチョ! チョチョチョ! と動かし、獲物を狩ろうとしている。
黒衣の男は善か悪か。議論の余地はなさそうだった。
◇
不運にも両足首を負傷した男の機動力は確実に落ちていたが、映像はスムーズに、早送りで進んだ。
複雑なつくりの城の廊下を、男はまるで見知った場所のように歩いてゆく。
扉前にいるはずの近衛達は、もともと寝ていたのか、何者かに気絶させられたのか、仰向けで倒れ、神に祈りを捧げるような格好で意識を失っている。
『罠か……?』
誰にも聞き取れないはずの呟きが、何でも映るクマちゃんの掲示板(小)に、字幕つきで表示された。
――キィ――。小さな音が鳴る。
黒衣の男はあやしい近衛に近付かず、とうとう禁断の扉を開いたのだ。
気配を殺していた男は、びくりと体を跳ねさせ、気を乱した。
さまざまな状況に対応できるよう訓練されている男でも、このような現場は見たことがなかったらしい。
そこで、掲示板に室内の様子が映った。
なんと、国王のベッドが無残に壊されている。
それだけではない。
王の顔をまたぎ、ゴロツキのような男がヘッドボードに頭突きをしている。
その格好のまま、穏やかな寝息を立てている。
いったいどういう経緯でそうなったのか、もとは天蓋であったはずの薄布のなかに入った状態で。
黒衣の男が無音で呟きを漏らし、ふたたび字幕が表示される。
『まさか、あの男は王弟か……? なるほどな、ああやって王の頭を護っているつもりか。なら、妙なやぐらから感じる気配は近衛だろう』
リオは映像を観ながら、黒衣の男に届かぬ答えを返してやった。
「いやただのゴロツキだし護り方おかしいでしょ」
『私を護れ』という命令を下す前に『顔をまたぐな』というべきである。
枕元のゴロツキは王弟ではないし、国王の頭を護るためにそこにいるわけでもない。
紆余曲折を経てそこに放置されたのだ。
そして、紆余曲折の大部分に、白きもこもこと黄色い悪魔が関わっている。
そういえば、あの『執事さん』はどこへ行ったのか。
ベッドが片付いていないではないか。
可愛い我が子のいたずらをなかったことにしたいリオがそんなことを考えていると、黒衣の男が動きだした。
何でも映る掲示板に、字幕が表示される。
『悪いが、あんたらが寝てるうちに仕事をさせてもらうぜ』
無音で呟いた男は、いつの間にか、弓矢を構えていた。
だが、男の頭上には黄色い悪魔がいる。
アヒルボートの中では、小さな小さなクマちゃん人形が、ドクロマークが描かれたスイッチをぽちぽちしているはずだ。
大人達がそう推測し、表情を険しくしていたときだった。
黒衣の男の『黒衣』が、ぱっと、一瞬で、違うものに変わった。
頭には、長い耳のついたウサギの被り物。
上半身はツルツルした上質の白い布で包まれ、どこにもボタンのない丸首のシャツには、真っ黒な文字で荒々しく『あんさつ』と書かれている。
そして下半身は、もこもこした素材の短すぎる短パンをはいただけになっていた。
映像の視点が動き、真横から映された男の臀部には、小さな尻尾もついている。
真面目に映像を観ていた精鋭のひとりが、思わず感想を述べる。
「クソド変態じゃねぇか」
クソド変態が弓を引く。
矢じりが狙うのは、巻き込まれたゴロツキ。
心優しいクマちゃんが、大好きな彼の腕のなかでハッとお口を押さえる。
「クマちゃ……」
そこはマトちゃんではありまちぇん……。
リオは赤ちゃんゆえに何も知らない我が子に、困った声で返した。
「うん」




