第46話 親切なクマちゃんと朝のきらめき
現在、クマちゃんは、良い香りのもこもこで、もこもこしている。
うむ。
完璧である。
◇
クマちゃんが、つぶらな瞳で、じっとマスターを見つめている。
マスターは、すぐに気づいて指示を出した。
「よし――それじゃ各自、一組ずつ受け取って、好きな場所に敷いてこい」
その眼差しから、完成した寝具を皆に配りたいのだろうと思ったのだ。
夜空を見上げて感動の涙を流す冒険者達に向かって、顎をしゃくる。
マスターは、ルークに抱っこされているクマちゃんにもう一度視線をやった。
もこもこが深く頷いている。
どうやら合っていたようだ。
冒険者達は腕で乱暴に涙を拭って、寄ってきた。
輝く展望台に照らされた、ふわふわなクマちゃんの優しさが、夜空でぼんやりと光を放つ。
ルーク達は魔法でそれらを操り、彼らに一組ずつ、流れるように、もふん――と腕の中に降ろしていった。
色の希望は特に無かったらしい。
冒険者達は、渡されたものを凝視して、素直によろこんでいた。
「ふわふわだ……」
◇
クマちゃんは、皆が喜び、自分達の寝床を整えているのを見ていた。
もこもこの胸がほわほわとあたたまり、非常に満足していた。
うむ。
これで、皆ふわふわで幸せに寝られるだろう。
クマちゃんはルークと一緒であれば、ベッドでもかたい地面でも、気持ちよく幸せに寝られる。
でも、皆はいつも一人ぼっちで寂しく寝ている。
だからきっと、ふわふわの方が少しは幸せなはずだ。
もしかしたら、皆もルークと一緒に寝れば、かたい場所でも幸せかもしれない。
しかし、ルークは一人しかいないので、仕方がない。
クマちゃんにも譲れないものがあるのだ。
「クマちゃん寝る場所どこがいい? 家の前?」
クマちゃんが真剣に考えていると、少しかすれた声で質問が飛んできた。
リオは、クマちゃんに寝床に適した場所を教えてほしいようだ。
一番適した場所はルークの胸元のあたりである。
実は、あの場所はひとりしか入れない。
うむ。
リオには教えてあげなくてもいいだろう。
しかし、家の前だと展望台が明るすぎるのではないだろうか。
クマちゃんには、明るくても潜り込む場所がある。
リオはひとりぼっちだから、眩しくない場所がいいはずだ。
展望台が無い方の家の横であれば、ひとりぼっちのリオでも眩しくないだろう。
クマちゃんは、ちょうど自分達がいる場所の近くを、ピンク色の肉球がついた手で示した。
あちらはどうでしょうか、と。
「あっち? 家の横?」
リオからの質問に、クマちゃんは、うむ、と頷いた。
「りょーかい。敷いてくる」と言って、リオは皆の分の敷物を持っていった。
ちゃんと、マスターとクライヴの敷物も持っていったようだ。
受け渡し作業をしている彼らを気遣ったのだろう。
◇
自分達の敷物とクッションを手に入れた冒険者達は、喜びを溢れさせていた。
「やばい。やわらかすぎる……」
「やばいな……」
「やばい……」
「――なぁ、今すぐこのふわふわに飛び込んでもいいと思うか……?」
「馬鹿やめろ! 汚れたまま飛び込んだら魚拓みたいになるぞ!」
「確かに……」
「間違いない……」
「自分の模様は嫌だ……!」
自分の跡がついたクッションで寝るのは嫌だ。
強く思った冒険者達は、美しく汚れのないそれを、悲し気にみつめた。
クマちゃんから貰ったクッションも、やわらかな敷物も汚したくない。
だが、埋まるようにもふ……と横になってみたい。
ならば、体の表も裏も、頭から足の先まで、とにかく隅から隅まで、完璧に綺麗にしないと――。
美術品のように美しい寝具を前に、彼は葛藤していた。
「あいつらは何をやってんだ……」
マスターは眉間に皺を寄せ、呆れたような口調で呟いた。
視線の先の冒険者達は座りもせず、物欲しげな顔をして、敷物の上の巨大クッションを、ただ見つめている。
「汚れてしまうのが嫌なのではない?」
美しいものが好きなウィルには、彼らの気持ちがわかるらしかった。
「あー。……まぁ、確かにそうか」
マスターは、やれやれという顔を隠さず、手を払った。
「お前ら。先に風呂に入ってこい。残りは俺がやっておく。クライヴ、お前も行け」
切ない冒険者達をクッションに座らせてやるには、順番に綺麗にしていくしかない。
残りの受け渡しくらいであれば、少し雑な魔法でもどうにかなるだろう。
「マスターやさしー。じゃあ先に入ってくる」
リオは、喜んでマスターの気遣いを受け入れた。
白い家の陰とその周りに、最高に寝心地の良さそうな寝床を作ってきたばかりだったのだ。
◇
世界最強の冒険者は、世界で一番器用に魔法を使う男だった。
ルークに温泉シャワーを作ってもらった仲間達とクライヴは、現在、露天風呂の横で体を洗っている。
彼らがここに来るまで、温泉は、クマちゃんの像がちょこんと座っているツボから、零れ落ちるように流れていた。
だが今は、重力を無視して宙へと舞い上がっていた。
さらに自然界の法則を無視した温泉は、あたりを覆う樹々よりも、細かく枝分かれしていた。
ルークが魔法で、温泉の雨を降らせているのだ。
「リーダー器用すぎ」
リオは温かな雨で体を洗いつつ、横目でルークとクマちゃんを見た。
そして胡乱な眼差しを向ける。
「それより何でクマちゃんだけ泡だらけなの? 何で森にそんなもん持ってきてんの?」
ルークは魔法を操りながら、クマちゃんを泡でもこもこにしていた。
「本当にリーダーは魔法を――というより魔力を器用に使うね」
相槌を打ったウィルも、リオと同じ場所に視線をやっていた。
派手な鳥は、確かに、と頷いてさえずった。
「……どうして森に石鹸を持ってきているの?」
超人的な魔法はもちろん気になるが、もこもこのクマちゃんから目が離せなかった。
あの小さい石鹸は、クマちゃん専用の――〈お肌にやさしい高級石鹸〉ではないだろうか。
◇
きれい好きのクマちゃんは、ルークに石鹸の泡でもこもこにされながら考えていた。
うむ。
いい香りである。
やはり一日の終りはこうでなくては。
いい香りに包まれ、ふわふわに乾かしてもらい、あたたかな胸元で眠る。
どれも絶対に欠かせないことである。
お外では石鹸で洗ってもらえない可能性など、甘やかされ続け、堕落したクマちゃんは考えようとしなかった。
「リーダーまじでクマちゃん甘やかしすぎ……」
リオは、常日頃から思っていることの欠片を吐き出した。
クマちゃんはこんな森の中でまで、高級な泡に包まれ、繊細な被毛と肌を傷つけないよう優しく洗われている。
リオは、色々と言いたいことがあった。
だが余計なことを言って、自分の温泉シャワーが止められるのは困る。
今は黙るしかなかった。
「…………」
クライヴは、いい香りの泡でもこもこになったクマちゃんを、危ない目つきで見ていた。
当然、悪意はない。
彼は、これがあの艶の……と考えているだけだった。
「このお湯ってなんで青っぽいんだろ。ちょっと光ってるし。しかも葉っぱの隙間から見える景色すげー綺麗じゃん」
リオはため息をつくように、温泉の素晴らしさを語った。
四人と一匹で入っても余裕のある大きさの露天風呂の中。
リオは湯を手のひらで掬い、不思議そうな顔をした。
そうすると、青くは見えなかったし、光ってもいないようだった。
視線を湖の方へ向けると、葉の隙間から、水鏡と光の塔が見えた。
やや離れた場所から、冒険者達の声が聞こえた。
明るく楽しそうで、ともすれば危険な森の中だということを忘れてしまいそうだった。
「……今は疲れていないし、気づきにくいけれど」
ウィルは考えをまとめるように話し出した。
「この温泉には回復と浄化の効果があるみたいだね」
「それと、先ほどの魚料理には、身体強化だけでなく回復効果もあったのだと思う」
「――この湖全体に癒やしの力を感じるから」
「魔力に敏感か、もしくは怪我人でないと、個別の効果には気が付かないかもしれない」
ウィルは派手な外見と大雑把な性格のせいで、あまり真面目そうには見えない男だった。
しかし魔法に長けた彼は、魔力の流れにも敏感だ。
普段はそうでもないが、考え事をしている時は、大体は真面目だった。
いつも纏っている装飾品のほとんどは外されていた。
残っているのは手首と足首のものだけだ。
浄化の効果も付与されているそれらは、温泉にふれても問題がないらしく、湯の中で美しくきらめいていた。
「そうだな」
ルークは全体的にクマちゃんを褒める内容の会話に、相槌を打った。
ふわりとのぼる湯気と、魅惑的な低音があたりに広がった。
彼はクマちゃんが溺れないように、抱っこしたまま温泉につかっていた。
そして、もこもこの――おそらく肩と思われる部分に、掬った湯をかけてやっていた。
◇
ルーク達は湯から上がると、装備や道具に浄化魔法をかけた。
彼らは全身ぴかぴか、全身ホカホカで露天風呂から出ていった。
順番待ちの冒険者達は、少し離れた場所で地面に座っていた。
美しいルーク達を、羨ましそうに、切なそうに見つめていた。
「あまり人体にかけるのは良くない気がするのだけれど」
とウィルは彼らに声をかけた。
「お風呂上がりに汚れた服を着たくない気持ちはとてもわかるよ」
「――浄化の魔法をかけてほしい人は、僕の前に並んで」
装飾品で全身を飾る、派手な外見。
青い髪、美しい顔立ち、透き通った声。
そんな姿でやさしいことを言うウィルを、冒険者達は拝んだ。
「神よ……」と。
冒険者達はすぐに列をなした。
『人体にかけるのは良くない』という台詞は、都合よく聞こえないことにしたらしい。
ルークとクライヴも、寄ってきた彼らにまとめて浄化魔法を飛ばしていた。
たまに「冷たっ!!」と聞こえるが、汚れているよりはマシなはずだ。
◇
クマちゃん達は、〈クマちゃんの別荘〉の陰に用意された寝床で、就寝の準備を整えていた。
ルークの素晴らしい技術で、堕落したクマちゃんが、ふわふわのピカピカになっていく。
もこもこが自分で身を整えることは、この先ないに違いない。
「めちゃめちゃツヤ出てんじゃん……」
リオはクマちゃんを見ながら呟いた。
クマちゃんは、ルークの膝の上に、つぶらな瞳でぬいぐるみのように座り、高度な魔法と高級な布でお手入れされていた。
リオは普段の就寝時、街灯のないこの場所よりも暗い部屋の中にいる。
高級お手入れ中のクマちゃんをやや明るい場所で見たのは、これが初めてだった。
昨日はここまでツヤツヤでは無かった気がする。
明るさのせいだろうか。
――いや、あの温泉とお高い石鹸で、何かが高まったに違いない。
そんなどうでもいい事を考えながら、やわらかな巨大クッションに、もふん……と身を沈める。
そうしてリオは、先ほど別荘の中から持ってきた布を目元に掛けて、静かに眠りについた。
◇
クマちゃんは、ルークの温かな胸元で目を覚ました。
目の前の少しはだけたシャツから視線を上げる。
やはり、ルークも一緒に目を覚ましていたらしい。
ルークは微かに目を細めると、朝の挨拶をするように、大きな手で優しくクマちゃんを撫でてくれた。
もう朝日が出ているが、皆はまだぐっすりと眠っていた。
「――まぶし……」
近くからリオのかすれた声が聞こえた。
どうやら、いつも暗い部屋で寝ているせいで、朝日に負けているようだ。
可哀想だから、クマちゃんがなんとかしてあげよう。
◇
『眩しい』
そんな余計な一言で、親切なクマちゃんは、もこ……と動き出した。
クマちゃんは、日差しを防ぐため、布を別荘から持ってこようと考えた。
だが、『眩しい』と言った本人が〈丁度いい布〉を持っていた。
親切なクマちゃんは、リオの敷物の上に置かれた道具入れを漁った。
ルークは巨大クッションに横になったまま、横目で可愛らしいクマちゃんの怪しい行動を見ていた。
ピンク色の肉球がついた手が、切れ味のいいものを、リオのクッションの上に置く。
親切なクマちゃんが、リオの寝ているクッションに全身を乗せる。
もふり――。
つぶらな瞳が〈丁度いい布〉を探し、発見する。
リオの頭の下に、何かが挟まっている。
親切なクマちゃんは〈丁度いい布〉を目指し、もこもこ……と近づいた――。
◇
ジョリ……
「……ねぇ。なんか今変な音しなかった?」
リオは目を開けた。
今の音は一体なんだろうか。
何か大変なことが起こった気がする。
彼は、自分が余計なことを言ったせいで、親切なクマちゃんに何かをされてしまった事にまだ気がついていなかった。
リオがクッションから、少し頭を浮かせた。
その瞬間。
ルークはスッと起き上がり、魔法で丸ごとすべてを回収した。
ルークの手が、親切なクマちゃんの体を、そっと払う。
彼らの周りには、持ち主から切り離された細い金色の束が、悲しげにきらめいていた。
◇
一人と一匹が証拠を隠滅し、欠けた金を元の姿に戻すまで、あと三分――。