クマちゃんと森の街の冒険者とものづくり ～クマちゃんそれ転生しちゃったんじゃないの？～

第45話 クマちゃんの破壊と創造

　クマちゃんは知っていた。

　あの忌まわしき道具が入っている場所を――。

◇

　展望台の淡い光に照らされた湖。

　そこから少しだけ森に入った場所につくられた、葉に隠された広場。そして、その中央には先程完成したばかりの青く輝く露天風呂があった。

　現場職人クマちゃんは考えていた。

　露天風呂が完成したら、次はやはり寝る場所が必要だろう。

　クマちゃんのようなふわふわの、もこもこした物をたくさん用意しなければ。　

　布や綿が欲しい。

　別荘の中にあるのではないだろうか。

　自分を抱っこしてくれているルークへ気持ちを伝えようと、彼の瞳をみつめると、森と同じ色の目を微かに細めてくれた。

　喜んでくれているのが嬉しくて、もこもこの頬をくすぐる手を捕まえ人差し指をくわえ、ハッと気付く。

　違う。

　指をくわえている場合ではない。

　危うく目的を見失うところだった。

　大好きなルークと一緒にいると、つい気分が高揚していつもよりも子供っぽく振る舞ってしまう。

　クマちゃんはもういい大人だというのに、恥ずかしいことだ。

　普段は大人で格好いい自分から、微かに残っている幼い部分を引き出してしまう頼りがいのある彼に、うむ、と感服した。

　クマちゃんはルークの指をくわえたまま、肉球のついたもこもこの手をスッと別荘へ向けた。

「何、クマちゃん今度はあの家入るの？」

　温泉に手を突っ込んで「めっちゃ適温」と言っていたリオが、視界の隅にいる一人と一匹の動きに反応しクマちゃんに尋ねた。

　もこもこの手が指している方向から推測したのだろう。

「そういえば、まだ誰も入ったことがないのではない？　展望台へ入る時、マスターから『魚が欲しかっただけ』というようなことを聞いた気がするのだけれど」

　ウィルは日が落ちる前、皆で展望台へ昇った時のことを思い出していた。

　視線は、露天風呂の不思議なツボに固定されたままだった。

　彼は、滾々(こんこん)と湧き続ける温泉と、それがどこかへ消えてゆく仕組みが、気になって仕方がなかった。

◇

　クマちゃんを抱っこしたルークと仲間二人、そしてマスターとクライヴは、展望台の横の可愛らしい白い建物を調べるため、濃い木の色のドアの前に立っていた。

　他の冒険者達は、まだ露天風呂を見学していた。

　彼らをそこに残す際、マスターは『まだ入るなよ』と注意した。

　クマちゃんが今から何をするつもりか、何が起こるのか、誰にも分からないからだ。

「なんか普通の家っぽいけど」

　リオが右手で濃い木の色のドアにふれると、予想通り、自動でそれは開いた。

　外観を見てリオが言った通り、入り口から見える部分も、普通の家のようだった。

　ルークはクマちゃんを抱いたまま、中へ入った。

　他も順番などは気にせず、ドアに近い場所に立っていた者からてきとうに、家の中へと入っていった。

「普通の家っていうか、すげー避暑地っぽいっていうか。……なんだろ。くつろぐ場所ってかんじ？」

　真っ白なふんわりとした絨毯のような、それよりもやわらかい質感のものが床に敷かれていた。

　敷物の上にはたくさんのクッションが置かれている。

　部屋のあちこちにある観葉植物と思しきものは、よく見ると植木鉢ではなく床や壁から直接生えていた。

　壁を含め、ほとんどの物が白かった。

　が、ドアや床の一部、家具に使われている木は、やはり自然の色のままだ。

　たくさんのクッションと布の中には真っ白だけではなく、緑がかった水色、ターコイズのような涼し気な色のものもあった。

　リオが『避暑地っぽい』と言っていたのはこれのことだった。

　白い壁を見ると、展望台の一階と同じく窓はクマの形になっていた。

「本当に、クマちゃんのつくるものはどれも可愛らしく、美しいね。展望台で見張りをする人達が交代で休むための場所なのかもしれないね」

　ここの隣にあるのは観光目的の呑気な展望台に見えた。

　だが危険な森の中に建てられたのだから、あれの本来の用途は、観光ではなく見張りだろう。

　ウィルはそう推測した。

「ああ」

　ルークは、普段はほとんど人の会話に参加しなかったが、相変わらず、クマちゃんの賛辞にだけは肯定を返していた。

　ルークが目を向けると、もこもこは床の何かが気になっているらしかった。

　彼はすぐに、クマちゃんをもふ……と降ろしてやった。

　マスターは鉢に入っていない植物が気になるらしく、そちらへ視線を向けていた。

　クライヴはクマちゃんの形の窓や、所々に置かれているクマちゃんの形の置物を恐ろしい顔で見ていた。

　床に降りたクマちゃんは、猫にそっくりな手で、やわらかい白い敷物を引っ張った。

　そこまでは問題なかったが、クマちゃんは敷物に乗ったまま、足元の布を引っ張っていた。

　このままだと後ろへ倒れる。

　と彼らは予想した。

「クマちゃんそれだと転ぶんじゃねーの？」

　リオがそういった時には、もうクマちゃんはひっくり返っていた。

　しかし頭をぶつける前に、クマちゃんは助けられた。

　最強に過保護な男ルークは颯爽ともこもこを抱き上げると、可愛らしい手や頭を痛めていないか確認していた。

「もしかして、その敷物を外に運びたいのか？」

　マスターは――床に降りた三十秒後にはもうルークの腕に戻っていた――クマちゃんに、尋ねた。

　聞かれたクマちゃんは、ルークの腕の中から、肉球のついたもこもこの手をクッションに向けていた。

「わかった」

　吹雪の男クライヴは、可愛らしいクマちゃんの願いを察知したらしい。

　彼の魔法がクッションを集めて、宙に浮かせる。

　氷だけでなく風の魔法も得意なようだったが、その風は、凍えるほど冷たかった。

「あー。両方ってことだな。じゃあ敷物のほうは、ルーク。頼んだ」

　マスターはクライヴの意図を汲んでそう言った。

　贈り物を持ったまま腕を組み、視線をルークに向ける。

　すべてのクッションが浮かされた時には、ルークはもう敷物を浮かせていたようだった。

　ルークは視線で承諾を伝えると、冷たすぎる風でクッションを運ぶクライヴの後に続き、外へ出た。　

「クマちゃんこれどうすんの？」

　リオは、敷物を見ながらクマちゃんに尋ねた。

　その敷物は、地面から少し離した状態で、ルークが浮かせているものだった。

　するとルークの腕の中のクマちゃんは、もこもこした手をすっと動かした。

　猫のように先の丸い手は、リオの腰の横に付いている、革製の焦げ茶の道具入れを指していた。

「なにその手。何で俺の道具入れの方向けてんの」

　リオは、警戒した声を出した。

　そして、クマちゃんのバックについている夜の森の魔王は言った。　

「貸してやれ」

◇

　別荘前。

　地面に座ったルークの膝の上で、可愛らしいクマちゃんが、リオの道具入れを漁っている。

「なんかめちゃくちゃ不安なんだけど。クマちゃんマジで変なことすんのやめてね」

　リオの大事な道具入れの中を、もこもこした生き物が漁っている。

　人間の鞄をかき回す猫のようなクマちゃんは、可愛らしいもこもこの手で、何かを掴み、取り出した。

「……クマちゃんまさか前の仕返ししようとか思ってないよね」

　リオは見た。

　クマちゃんが肉球のついた手で持っているのは、かつて美の化身だったクマちゃんの、美しい被毛を失わせた、恐ろしい凶器、切れ味の良いハサミだった。

「するわけねぇだろ」

　夜の森の魔王の声が、夜の湖畔に静かに響いた。

　いつも通り抑揚に乏しい、魅惑的な低音だった。

　が、かすかに馬鹿にした響きを感じなくもなかった。

　元・美の化身クマちゃんの手には、あのときの、憎き凶器があった。

　しかしながら、その凶器でリオの頭をどうこうしようなどと邪悪な事を考えたりするはずもなく、ただ、寝る場所を作ることだけを考えていた。

　まずは、数を増やすために細かくしなければならない。

　この切れ味のよすぎるハサミであれば、クマちゃんでもチョキチョキできるだろう。

　うむ。

　と頷き、目の前に浮いている敷物に、もこもこした手をかけ、ジョキ、とハサミを入れる。

「もしかして細かくしたいのか？　お前の手じゃその鋏はあぶねぇだろ。ルーク、魔法でやれるか？」

　すぐ側で、可愛いもこもこが危ないことをしないよう見守っていたマスターが、ルークに声を掛けた。

　ルークは当然のように、手付きの危ういもこもこの手を長い指で軽く掴み、危険な行為を止めていた。

　適当に「ああ」とマスターに返すと、ルークは魔法ですっぱりと、敷物を半分に切った。

　しかしクマちゃんはまだ納得していないようだった。

　猫によく似た手で、微妙にハサミを動かしている。

　マスターは、クマちゃんのもこもこした手を見ながら言った。

「まだ切りたいみたいだな……。どのくらいにしたいの分からんから、もこもこの顔を見て判断するしかないだろう」

　難易度の高いことを飼い主ルークに押し付け、しつこくハサミで敷物を狙うクマちゃんの望む通り、ウィルとクライヴ、魔法が得意な者を中心に作業を進めていく。

　クマちゃんがハサミで敷物を狙うのをやめるまで、夜の森の魔王と魔法使い達は、裁断を続けた。

「……なんか今度はクッション狙ってない？　あれも切っちゃうの？」

　大分敷物が細かくなったところで、リオはクマちゃんのハサミが狙う先に気づいた。

　リオは残念そうな声で、クマちゃんに尋ねた。

　クマちゃんは、リオの言葉に頷いた。

　非情に残念だが、美しいクッションも、やはり無惨に切り裂かれる運命のようだ。

◇

　美しかった敷物も、ふんわり柔らかそうなクッションも、全て可愛らしいもこもこの望むまま、ボロボロに切り刻まれてしまった。

「…………ぼろぼろだな」

　マスターは、遠い目をしてそう言った。

「白いのに何か考えがあるのだろう」

　クマちゃんのバックには、冬の支配者のような男もついていた。

　クマちゃんは、宙に浮くそれらを見てようやく納得した。

　空中には、細かく切り刻まれた布と綿が浮かんでいる。

　うむ。

　これだけあれば問題ないだろう。

　クマちゃんは、ルークにハサミを持ってもらうと、もこもこ……と膝から下りた。　近くでぼんやりしているマスターの手を、カリカリする。

「ん？　……ああ、ここで魔石を使うんだな。今度はいくつ必要だ？」

　察しの良いマスターは、雪色のリボンをほどいてクマちゃんに尋ねた。

　クマちゃんはハッとして、もこもこした手を顔の前まで持ち上げ、ピンク色の肉球を見せた。

「……誰か意味のわかったやつはいるか」

　猫の肉球のようなそれを見ながら、マスターが尋ねる。

「三だろ」

　答えは、夜の森の魔王からもたらされた。

「なんで？！　今ので何がわかったの？」

　うるさいリオがカッと目を見開きルークに聞いた。

「見りゃわかんだろ」

　魔王にしかわからない何かで、クマちゃんの肉球の謎は解明された。

　マスターは、取り敢えず三で間違いないらしいそれを、頷いているクマちゃんの前に置いた。

　魔王ルークは、クマちゃんのリュックから、杖を取り出して渡してやった。

　クマちゃんが、杖を持ったまま膝の上から立ち上がる。

　そのままヨチヨチと移動を始めたのを見て、ボロボロの素材と三つの魔石を浮かせながら、ルークがついていく。

◇

　彼らは少しだけ湖から離れ、広い場所に到着した。

　クマちゃんは、自分の周りに焚き火が無いことを確認すると、浮いているボロボロの素材と魔石の前で杖を振った。

◇

　それは、奇跡のような光景だった。

　クマちゃんが望んだ通りに、夜空は白と青緑(せいりょく)で覆い尽くされてた。

　彼らの頭上には、美しい敷物と、体の大きな男が横になって休めるほど大きな、ふわふわのクッションが、ふわりと光を放つように、大量に浮かんでいた。

「すっげぇぇ！！　クマちゃんまじで凄すぎじゃねー？　やべぇ鳥肌たった」

　リオは、夜空を埋め尽くす白い布、ターコイズと白の巨大クッションの山を見ながら叫んだ。

　展望台の明かりに照らされ、闇の中で浮かび上がるそれらは、彼の心を震わせるほど、圧倒的で美しかった。

「……クマちゃんの魔法はとても不思議で、人間には真似の出来ないものばかりだけれど、優しい気持ちがしっかりと伝わってきて感動したよ。――これは、皆で一緒に休むためにたくさん作ってくれたのではない？」

　ウィルはまぶしそうに目を細め、やさしい声でクマちゃんに尋ねた。

　寝具製作技能士クマちゃんは、敷物と巨大クッションの製作を終え、今はルークの腕の中にいた。

　ウィルの言葉を聞いて、うむ、と頭を頷かせている。

　褒めるようにルークに撫でられ、喜びで小さな鼻をふんふんしている。

「……お前らだけで建物の中で休んだって、問題なんかねぇってのに、――おまえは本当に、可愛らしくて、優しくて、優秀だ」

　マスターは、建物の中にあった綺麗な敷物やクッションを切り刻んでまで、皆の分の寝床を用意してくれたクマちゃんの優しさに、感動しているらしかった。

　いつも、可愛いもこもこの被害にあっていることも忘れ、目頭を押さえていた。

　仕事中に無理やり連れて来られたことも、湖に来なければ自分のベッドがあることも、クマちゃんが可愛くて仕方がないマスターには関係のないことだった。

「素晴らしい……」

　まったく素晴らしくなさそうな、凍えるような声だった。

　クライヴは、今にもすべてを引き裂きそうな顔つきで、この素晴らしい奇跡への感動を伝えていた。

　あまりにも恐ろしい表情だった。

　しかしクライヴにとってはこれが、優しく可愛らしく素晴らしい力を目の当たりにして、感動しているときの顔だった。

　露天風呂を交代で見学していた冒険者たちが、夜空に浮かび、やわらかな光に照らされた大量の布とクッションを見て近づいてきた。

「……やべぇ、俺泣きそうだわ」

「ああ、俺もだ……」

「あのもこもこ、俺達のために……」

「クソ！　せっかくナンバーワンが俺達の為に作ってくれた大事なもんが涙で見えねぇ……！」

「肖像画にはベッドも入れねぇとな……」

「……ああ、そうだな、ベッドにバラを散らして、何本かツルハシを並べる感じでいいんじゃないか……」

「――それで間違いなさそうだな、ナンバーワンの優しさが伝わると思うぜ……」

「お前ら天才か……」

「完璧、だな……」

　冒険者達は感動で涙をながしていた。

　肖像画の構成も、ほぼ決まったようだった。

　湖畔で皆と過ごす、クマちゃんの楽しい夜のひとときは、こうして美しく、感動的に過ぎていった。