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第460話 その日、彼らは――。数時間前に起こっていた出会いと悲劇。夢で解析するクマちゃん。真剣に、酒を飲みつつ見守る大人達。

 現在クマちゃんは、複雑な人間関係をこっそりと観察している。


「クマちゃ……」


 大変ちゃ……と。



 しばらくたつと、暗い画面は段々と明るくなっていった。

 どうやら『ダウンロード』という謎の作業が終わったらしい。

 いったい何が現れるのか――。

 引き続き竜宮城で待機中の大人達は、真剣な表情のまま、何でも映る掲示板を見つめていた。


 複数の人間ががやがやと、何かを話している。そこに、カチャカチャ、コツン、ドン、ガシャン! と食器がぶつかる音が重なる。ついでにぎゃはは、という品のない笑い声も。


 掲示板に映ったのは、飲食店のようだった。お世辞にも、ガラがいいとは言い難い。

 レンガの壁に暗めの照明、木製のテーブル、揃いの椅子がやや不規則に置かれている。ところどころに見える黒の真鍮が、さほど広くはない店内をおしゃれに飾り、その様子はどことなく、ゴロツキのたまり場のような空間には不釣り合いに思えた。


 良く磨かれたカウンター席には誰も座っていなかった。誰かの忘れ物なのか、伏せた帽子がひとつだけ、ぽつんと置かれていた。

 カウンターの内側では、猫背の料理人が忙しない動きで料理を作っている。

 映像の中に、他の店員は見当たらなかった。


◇ 


 冒険者ギルドのマスターと、商業ギルドマスターのリカルド、王都の客人である商人達、宝石商よりも宝石を纏っている派手な男はすぐに気が付いた。

『おそらくこの建物の所有者は金持ちである』と。

『貧相に見せるため、お高い家具の配置を少々乱してみました』という印象が、この店にはあったからだ。真に安物の家具ならば、あのような光沢はでない。


 ――麗しの魔王様は、小さなベッドで就寝中のもこもこを見守るのに忙しいようで、映像を一瞥し、何かを確認しただけで、すぐに視線を戻してしまった。

 商人のトップである垂れ目がち色気だだもれ超美形商隊長は、相変わらずミニゲームをするのに忙しいせいで、映像を見ていなかった。

 商隊長の部下である奥二重地味美形商人が「しょ、商隊長!! ここは商隊長の家の近くの……」と男の肩を揺らす。

 しかし彼の上司は「クゥが映ったら教えてくれ」と言って見向きもしない。


 そのとき、映像の視点が切り替わった。店内全体を映すものから、ひとりの客が中心のそれへと。


 その男は、店を見渡せる壁際、奥の方で、美人という言葉の似合う、それでいて態度の悪い青年と向かい合って座っていた。

 よくみると、その周りのテーブルだけ客が少ない。料理の置かれていない席に座っているのは、ゴロツキとはそりが合わなそうな、『実は仕事中なんです』といった表情の男達だった。



 十秒以上待ってみたが、映像の中央にいるのは五十代のナイスミドルだ。

 可愛いクマちゃんの登場を期待していた精鋭達の口から『おっさんじゃん』と落胆の声が漏れる。


 しかし男は『おっさん』というには小綺麗だった。

 そして美形で品の良い『おっさん』は、目利きのできる者達からすると、身につけているものすべてが、無駄に高級品であった。

 一部の商人の口から『隠す気はあるのか……?』『変装というより、むしろ自慢では』『誰だゴロツキの中に獲物を放り込んだのは……』と誹謗中傷に近い心配の声が上がる。


 失礼の塊リオは、外れない眼帯にはふれずに、金髪を雑にかき上げながら言った。


「オーサマ変装へったくそすぎじゃね? 何してんのこの人。ゴロツキ煽ってんの?」


「うーん。……護衛を引き連れた王族にしか見えないね。王様と、向かいの彼もそうかな。たくさんのピアスで誤魔化そうとしているけれど、貴族でも気軽に扱えないような高級品ばかりだし、顔も、髪も、手も、綺麗すぎて周囲から浮いてしまっているよ。動作にも、気品が表れているし……まるで、この店のようにちぐはぐな印象だね」


 自身の耳にも複数のピアスを飾っている男はそう言うと「――ああ、もしかすると、店主はこの麗人で、彼が〝歳の離れた王弟殿下〟なのかな。行方知れずで、生死不明という噂の。……それならここは、国が営む飲食店ということ? それを真実とすると、今の場面は『視察を装って弟に会いに来ている国王陛下と、場違いな客に絡むふりをしながら店で得た情報を渡している王弟殿下』ということになると思うのだけれど」と、おそらくこの店どころか国の秘密であることを、一目で、芋づる式に暴いていった。


 ナイスミドルランキングがあれば世界一位を獲れるであろう、『(しぶ)格好いい男代表』のマスターは、心底嫌そうな顔をしながら、疲れと渋さ、大人の色気が滲む声で言った。


「やめろクソガキ共。分かっても口には出すな。これは、あくまでも夢の中の出来事で、実在の店じゃねぇんだからな。……もし仮に、だ。この男が王弟で、王都のどこかにそっくりな男がいたとしても、その二人はまったくの別人だ。そういうことにしておけ。万が一、出くわすようなことがあっても『王弟』だの『殿下』だのと、絶対に口を滑らせるなよ」


 そんな、彼らの『聞いてはならない話』に驚いたのは、王都からの客人である地味な美形商人だった。

 男は『口を滑らせてはいけない』それを大声で叫んだ。


「しょ、商隊長!! 商隊長の家の近所に、暗殺されたはずの王弟殿下がいるらしいですよ!!! しかも我々がロクに確かめもせず、怪しいホワイトスープを(おろ)してしまったあの、赤レンガの店に! 早くあの家を売って身を隠さないと! このままでは捕まりますよ!!!」


 その場合罪名は『詐欺罪』だろうか。いかがわしい食材を、王族の運営する店に持ち込み、さらには『健康に良い』と偽り売りつけた罪。

 ……しかも可愛い子猫の目には、『拾った古い食材』を『異物と共に煮込み』『とりあえず煮えたから売った』ように映っているらしい。


 とんでもない(やから)である。


 王族相手に何をやっているのか。大切な御身に何かがあれば、詐欺どころではない。

 命が惜しくない人間でもなかなかやらないだろう。


 彼の上司である、ひとの話を半分聞き流している商隊長は、部下の言葉にこう返した。


「私は忙しいと言ってるだろう!! 死んだはずの王弟が私の家の近所にいたからなんだというのだ! 一介の商人の私に『なんと、御存命でいらっしゃいましたか。お元気そうでなによりです。しかしそのあたりは治安が最悪なので、本当に死んでしまいますよ』以上のことが言えると思うか!? ゴロツキの店でもなんでも勝手に運営してろ! そんなことでクゥとの思い出の家を売ったりするものか! ――それに、どうせ引っ越すなら、私にはクゥの用意してくれた『田舎の土地』がある。あれを当てるためにも『ミニゲーム』に全力を注ぐべきだ。お前が当てたら俺が住んでやる。だからお前ももっと真剣にやれ。今すぐにだ」


「あなたという人は……! いやに真剣だと思ったら、狙っているのは模型だけじゃなかったんですか?! あの的当ては危険なものだと一目で分かるでしょうに! 見損ないましたよ! 良いのは顔だけじゃないですか! 性格もその顔に寄せてどうにかしてくださいよ! 口を開けば悪童のようなことばかり言って、詐欺ではないですか! 王都で女性に襲われても絶対に助けませんからね!」


「なんなんださっきから。私の顔に恨みでもあるのか! お前が王弟を見損なおうが、王弟が詐欺に遭おうが、詐欺で性格がひん曲がって女に襲われようが、私にはいっさい関係のないことだ。いいから早くスイッチを押せ!」


 と遊戯に夢中な悪童のような超美形商隊長は、部下の話をほぼ聞いていなかったことを、自身の言葉で証明してみせた。


 当然のことながら、部下は己の怒りを言葉と行動で示した。


「あなたと王弟が無関係でないから言ってるんですよ! 加害者側のあなたと! 被害者である王弟殿下が!!」と言いつつ、彼は上司のスイッチへ手を伸ばした。

 そんなに言うなら押してやるから寄越せと。


 そして取っ組み合いの喧嘩が始まった。


 そんななか、リオが「ちょっとそこ王弟(おうてい)王弟(おうてい)言い過ぎでしょ何回王弟って言ってんの。めちゃくちゃマスターに喧嘩売るじゃん」と無駄に『王弟』を連呼し、マスターのこめかみに青筋を立たせたところで、映像の方にも動きがあった。



 カララン――。とドアベルが鳴り、どかどかと店に入って来たのは、非常に見覚えのあるゴロツキ達であった。

 先頭の男は言った。


「おい、店員! 酒とツマミ、全員分な!」


 ぞろぞろと後ろを歩くゴロツキ達は、音量の調節に失敗したような声で、先頭のゴロツキに話しかけた。

「まぁたこの店っすかぁ?」

「好きっすねぇ」

「俺ら常連って感じっすよね」


 男は返事をしなかったが、ゴロツキ仲間の会話は続いていた。


「でも味は悪くねぇし、酒も水で薄めてねぇよな」

「だな。ほかのとこと違ってよぉ」

「不味いもんっつったらアレだけだよなぁ」


「白いやつな。ドロドロの」

「ホワイトスープとか言って売ってやがるが、何を煮たもんなんだかさっぱり分かんねぇしな」

「味つけぐらいしろや」


「ハッ……美食家でもあるまいし……気になんなら何かぶっかけて食えよ」

「テメェは食ってねぇから言えんだよ!」

「ドロドロしたモンに何かけて食えっつうんだよ。ドロドロが増えるだけじゃねぇか」


 ゴロツキ達はそう言ってぎゃはは、と大きな声で笑った。

 そんな彼らは多少うるさくはあったが、思いのほか店に馴染んでいる様子だった。

 気心の知れた仲間と馬鹿を言い合うのが楽しいと、彼らの表情を見ただけで理解できた。



 ゴロツキ達はドカッ!! ガタガタ! とちょっとした騒音を立てつつ、だらしなく席に着いた。


 竜宮城でその映像を見ているリオは、掲示板の画面内に可愛いクマちゃんがいないことを確かめると、つまらなそうにふーん、と言った。


「これさぁ、もしかして、クマちゃんがゴロツキ捕まえる数時間前とか、そんな感じ? 服装一緒だし」


「うーん。あのゴロツキ達と王様が同じ店にいたなんて、ちょっとした運命を感じるね。一緒に住むのも悪くないのではない?」


 そう言ってシャラ、と小さく首を傾げたウィルの言葉に、リオは「同じ店入っただけで一緒に住まされる運命(つら)」と一般的な意見を述べたが、交友関係が派手な者の意見を代弁した男は、もう彼の話を聞いていなかった。



 時間が三分、五分、と過ぎても、ゴロツキ達の酒とツマミは届かなかった。

 猫背の店員はカウンター内で右へ、左へ、と忙しなく動き、一言も話さず孤独に料理を作っている。


 どうやら、客の数と店員の数が見合っていないようだ。


「あー、酒だけでも届けりゃいいのに」と、村長で園長で俳優で国王で実は店長な男は言った。


「王弟殿下が手伝うとも思えないしね」と、南国の王族のような見た目の男は相槌を打った。


 竜宮城の者達が、美味すぎる酒で喉を潤す。

 チクタクチクタク、と時間が過ぎてゆく。

 くだんのゴロツキ達は今のところぎゃはは、と楽し気に話をしていて、さほど気にしていないようだ。


 それから約十分後、ようやく猫背の店員がカウンターから出てきた。

 リオは、トレイに載せられた高級感漂う陶器の器と(さじ)を見て言った。


「百パーホワイトスープ」



 あれは絶対にゴロツキ達のツマミではないな、と竜宮城の大人達は考えていた。

 そして案の定、『ホワイトスープらしき器』が運ばれたのは、変装が下手な国王陛下と王弟殿下かもしれない男のテーブルだった。


「……お待たせいたしました」と猫背の店員は言った。


 王弟殿下らしき美青年は、最近開発されたばかりの超高級な『煙草』を銜え、横目で店員を見た。


 そして、こちらも最近開発されたばかりでデザイン重視の『着火用小型魔道具』をキィンと鳴らし、火をつけてから、ふぅ……と煙を吐き出した。


 気怠そうな王弟殿下は、のんびりした口調でおっしゃった。


「ほんとになぁ。でも、お前は悪くねぇよ」と。


 竜宮城の大人達は正直に言った。


「悪いのはお前だよ」

「店員を増やしなさいよ」

「ひとりでは無理だろ」

「雇用主がそんなだから労働者が苦しむんだよ」


「呑気に煙草ふかしてる場合か」

「酒もツマミもないのにおしゃべりしてるゴロツキが可哀相だろ」

「せめて水をやれよ」

「過労で死にかけのお兄さん、ちょっと弟くん叱ってやって」



 叱られなかった王弟殿下と店の経営に口出しができないお忍び国王陛下の旨くない食事会が静かに始まり、視点がふたたび切り替わる。


 次の映像は、天井を消して真上から店内を見下ろしたような、少し不思議で見慣れないものだった。


 がやがやと騒がしい店内で、見覚えのあるゴロツキ達は中央あたりにたむろしていた。おそらく数時間後、アヒルボートに翻弄される予定のゴロツキと、彼とつるんでいるゴロツキ五人の、計六名だ。


 彼らの側を通り、空のトレイを抱えた猫背の店員が、カウンター内へ戻ってゆく。


 そこでようやく、ゴロツキ達は自分達の状態に気が付いた。

 視点は変わらず、彼らの会話だけが強調されて聞こえた。


「おそくねぇか?」

「誰だよドロドロ頼んでるやつ。ぜってぇあれのせいだろ」


 そのドロドロを食っているやつが現在彼らの後方に居て、『誰だよ』と言われているやつが国王陛下であることを、彼らは知らない。

 国王陛下の護衛達が、何も置かれていないテーブルの上で、拳を握っている。

 体が震えているのは、怒りを(こら)えているからなのか、込み上げる何かを堪えているからなのか。


 ゴロツキのひとりが立ち上がった。

 可愛いクマちゃんに目を付けられる予定の男は、少々不機嫌そうに言った。


「おい店員、酒入れんのにどんだけかかってんだよ。まさか俺らにまでくっそ不味(まじ)ぃドロドロ食わせる気じゃねぇだろうなぁ!」と、護衛の胸と横隔膜に響く大きな声で。


『くっそ不味(まじ)ぃドロドロ』を食っている国王陛下は、何かに耐えかねたのか、美しい所作で匙を置き、「何か、入れ忘れたのではないか」と、王弟殿下に尋ねた。


 一口で超高級な煙草を片付けた王弟殿下は、のんびりした口調で、心底怠そうに答えた。


「はぁ? うちの店員はミスなんかしねぇよ。やわらかくなるまで煮て、器に注ぐだけなんだからなぁ。それ以上、アイツに何を求めてんだよ。忘れたモン入れろっつったところで、頼んでもねぇもん勝手に入れられねぇだろ。アイツが器に足せるとしたら、ホワイトスープか匙くらいじゃねぇの? 二本も三本も突っ込まれたら邪魔くさくて食えねぇからやめろって、少し前に客と揉めてたけどなぁ」

 

 食えねぇのは匙が多いせいではない、と王弟は気付いていない様子だった。

 首に手を当てた美人は、続けてこういった。


「お望みなら、『なんか忘れてっかもしれねぇから最初っからやり直せ』って言ってこようか? 今からだと、もうしばらく待つことになるぜ? でもまぁ、アンタのためだって言やぁ、アイツも頑張るんじゃねぇの。『最優先で煮込みます』っつってなぁ」


 竜宮城の大人達が「おい、やめてやれ」「余計なことをするな」と言ったが、王弟殿下を止めることはできなかった。

 これは過ぎ去った時間であり、それを映像化したものにすぎないのだ。


 国王陛下が「これ以上、煮込む必要はない。それよりお前、スープの味見はしたのか」と言ったときには、怠そうな美人はカウンターまで移動し、増え続ける業務と戦う店員に「なぁ、お前さぁ、何か忘れてるような気がしてたりしねぇか」と声をかけていた。

 しゃべりかたがだらっとしているだけで、動きは素早いようだ。


 猫背の店員は、鍋掛けから新たな鍋をおろした。


 ゴロツキ達は「おい、それ何の鍋だよ!」と少々大き目の声で尋ねた。


『ドロドロ用の鍋だよ!』と怒鳴り返す者はいなかった。


 仕事に追われる店員が、突然彼らに背を向けた。

 疲れてうなだれているようにも見えた。

 

 可愛いクマちゃんに目を付けられる予定のゴロツキは、何かに気付いたように「あ゙あ゙?!」と立ち上がった。


「おい、店員! 鍋からぼこぼこ何か出てんぞ!」


 ゴロツキがそう言ったのと、猫背の店員が「クソッ……生ゴミが……!!」と言ったのは、ほぼ同時であった。


 そのとき店内は、さきほどまでの喧騒が嘘のように、シン――と静まり返っていた。



 そこから映像は、何故か、コマ送りのようにゆっくりと進んでいった。

 幼子にも見やすいように、という気遣いだろうか。


 ゴロツキ達は「ぬぁんだぁとぉお?!」と妙にゆっくりと叫びながら、徐々に立ち上がった。


 店員とゴロツキ達のいざこざの気配を感じ取り、護衛と王弟殿下が席を立とうとした、そのときだった。

 国王陛下の手から、ホワイトスープ用の匙が――カァシャァァーン――とゆっくり、時間をかけて滑り落ちた。

 珍しい事態に、護衛と王弟殿下が、国王をゆっくりと振り返る。

 国王の体が、ことさらゆっくりと(かし)いでゆく。


 それに驚いたのは護衛達だった。

 彼らは呼んではならぬ名で「へぇいぃかぁあ!」とお忍び中の国王を呼んだ。


 それに伴い、店にいる大半の客が、「まぁじぃでぇ?」と倒れかけの国王を振り返った。


 国王は完全に倒れる前に、王弟に支えられた。

 周りには客であるゴロツキ達も集まり騒がしくなっている。

「どぉくぅさぁつぅっしょぉお!」「ほぉうぅぎょぉお!」と彼らは悪気なく、国王陛下の隣で叫んだ。

 聞き間違いであってほしいそれは、毒殺、崩御、と言っているようだった。



 ふたたび映像が切り替わる。映っているのは、問題発言をしたばかりの猫背の店員だった。

 店員はこの騒ぎに動じていなかった。治安の悪い場所で働いているせいだろう。

 怒鳴り声や怪我人に耐性があるらしい。


 真横から映された店員は、大きなバケツに手をかけていた。

 持ち上げるつもりなのだろうな、と分かる動きで。


 もう一つの事件が起こる五秒前。

 バケツが床に固定されたように動かない。

 業務用の大きなバケツには、大量の『生ゴミ』が入っていた。

 八割方水分なそれの重さが、猫背の男の筋膜(きんまく)を襲う二秒前。

 

 男が腕に力を入れた。筋肉がぐっと大きく盛り上がる。

 その瞬間、いままで鮮やかだった映像が、何故か白黒映像に変化した。


 灰色になった店員の腰に、悲劇を表す稲妻がピシャァーン! と走る。

 事件を端的に表現する効果音が大音量で流れた。


 ボォキィッ!!! ギィヤァァア!!


 映像を見ていたリオは静かに呟いた。「演出に悪意がある」


 バケツは最後まで動かず、働き者だった店員も、ピクリとも動かなくなった。


 どこかから、キュオー……と悲し気な鳴き声が聞こえる。


 それは、可愛いクマちゃんが湿ったお鼻を鳴らした音だった。

 整形外科医クマちゃんは、店のどこかに姿を隠したまま、動かない患者に告げた。


「クマちゃ……」


 ギックリ腰ちゃんでちゅね……と。


 それを聞いた大人達は、ようやくすべてを悟った。

 あのときゴロツキに囲まれ、路地裏で俯いていた男は、この店の店員だったのか、と。


 ついでにいうと、可愛いクマちゃんが無許可で改造し、ギックリ腰の店員が背を預け、ゴロツキが殴り続けた公共施設の壁はこの店の外壁だったわけだが、それに気付いているのは魔王様と高位で高貴なお兄さん、地味な美形商人だけであった。



 のっぴきならない理由で店から人が去り、映像が切り替わる一分ほど前、リオの目がそれを捉えた。

 男は心の底から悔しそうな声で、クマちゃんが隠れていた場所を言い当てた。


「うわ、めっちゃ帽子動いてるし……」


 カウンターに伏せられていた帽子が大きく映り、掲示板から子猫のような声が聞こえてきた。


「クマちゃ、クマちゃ……」


 それでは、(ちゅぎ)はこの映像ちゃんを見た彼らに、変装ちゃんがお上手なクマちゃんとクライヴちゃんと執事ちゃんが、お話ちゃんをうかがってみましょう……、と。


「え、何その人選」と尋ねた男が『氷の人は止めた方がいいって、顔怖いから』と言う前に、掲示板の映像はまた、それまでと違うものへと変わっていた。

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