第455話 暗躍する司令官クマちゃん。見えざる白。一瞬挟まるミニゲーム。可愛すぎるお手々。
どんなときも皆と、寝ずに遊んでいたいクマちゃんは、ピンク色の肉球を上に向け、可愛い猫手を差し出し告げた。
「クマちゃ……」
こちらちゃんのことは気にせず、どうぞ続けてくだちゃい……、と。
◇
暗い路地裏に、緊張感を漂わせた息が、は、と零れ落ちた。
なんでも映る掲示板の中の二人の男は、片や下を向き、片や気弱そうな男を睨みつけていた。
彼らはさきほどと変わらず、自分達が謎めいた白い動物とその保護者達、その他大勢の大人達に、大して深い理由もなくじっと観察されていることを知らないままだ。
歪んだ男はチッ! とイラついた様子で舌打ちをした。
――男の頭上にいる小さな小さな白い何かが、小さな猫手に持った三角形の打楽器、トライアングルを、チィーン! と鳴らした。
それは『自国でも他国でも、気になる場所を気になった時だけ護る、計画性も見境もない治安部隊』の白すぎる司令官が、舌打ちに驚いて出した指示だった。
勘のいいゴロツキ数人が、「誰だ!!」と勢いよく上を向く。
しかし、そこにはやはり、切り取ったような細長い夜空があるだけだ。
俯く男が小さな声で、う……、と呻くように呟く。
すると、目の前の男は壁に手を突いたまま、何かに勘づいたように怒声を上げた。
「おい、テメェ! まさか、仲間呼んで俺らを嵌めようってんじゃねぇだろうなぁ!!」
誰も呼んでいない他所の動物にもうすぐ嵌められそうなゴロツキは、頭上のアヒルボートに気付かぬまま、ひたすらまっすぐに、俯く男だけに怒りをぶつけていた。
◇
「なめた真似しやがって!」
映像の中、キレたゴロツキが、俯く男を殴ろうと拳を突き出す。
その瞬間、標的がシュッ! と垂直に、まるで上空に潜む何者かに勢いよく引っ張り上げられたかのように、俯いたまま素早く移動した。
勢い余った拳が、壁に描かれた落書きの、多すぎるドクロのひとつをドン! と殴る。
「避けんじゃねぇ!」
と言われた標的が、シュッ! と拳からずれた場所へ、俯いたまま垂直に戻ってきた。
「なんだその気味わりぃ動き! ……おいまさか、テッメェ冒険者か!! さては始めっからそのつもりで……! クソがっ! 騙しやがったな!!!」
俯く男は「……う、え」と呟き『上』に関連する重大な何かを告げようとした。
ブチギレているゴロツキは、自身の頭上でスイッチをチラつかせる極小動物を見ずに言った。
「誰がしゃべっていいっつった?! あ゙あ゙?」
そんな、あまりにも理不尽で不自然な、和解からも精神の安定からもほど遠い二人の様子が、くだんの掲示板には映っていた。
◇
竜宮城で酒を飲みつつその映像を見ていた大人の一人、眼帯をつけた金髪の男は、黒い膳にゆっくりとグラスを戻した。
コツ、と微かな音がなる。男らしく骨ばった手で、癖のある金髪をくしゃりとかき上げる。
夢のように美しい宴会場に浮かぶ、不可思議でやっかいな魔道具からは、ピンポーン! ピピピピ! と不似合いな音が絶え間なく響いていた。
リオは珍しく逡巡するように視線を落とし、「あのさ」と、普段よりも真面目な表情で口を開いた。
「事が複雑になっちゃったよね」
誰のせいで、という話と、クマちゃんがスイッチ押してるせいだよね、というほぼ同じ意味合いの話はしないでおく。リオの言いたいことはひとつ、いやふたつだけだ。
赤子に仲裁役など不可能。これ以上ギックリ腰とゴロツキの関係がややこしくなる前に、肉球を速やかにスイッチから放し、寝るべきである。
都会の治安を維持したり、現地のゴロツキと民間人の仲裁役を担ったりと多忙を極めるクマちゃんは、ハッとしたようにお口のまわりを膨らませ、掲示板を見つめる大人達に言った。
「クマちゃ……」
こちらちゃんのことは気にせず、どうぞ、ミニゲームちゃんを続けてくだちゃい……。次のゲームちゃんが始まりまちゅ……。クマちゃんは仲裁ちゃんを頑張りまちゅ……と。
「クマちゃんいま俺のこと無視したでしょ」という一般的な疑問と指摘は、声がかすれているせいか、前半部分と最後しか、クマちゃんの丸いお耳には届かなかった。
風のささやきに『クマちゃんいま……でしょ』と背中を押されたクマちゃんは、うむ、と深く頷いた。
◇
リオは水晶玉に映るミニゲームを放置しようとしたが、そこから聞こえてきた音声のせいで、そうは出来なかった。
その声は、前半は甘く、後半は投げつけるようだった。
『クマちゃん可愛いねー。つーかイチゴ切っといて半分に』
「いや変だって。なんかおかしいって」
話している途中で人格が入れ替わったのでは、というほど、前後の態度に温度差がある。
本当に可愛いと思っているのか。イチゴを切らせるために可愛いクマちゃんをおだてているのでは。
思わず水晶玉を見ると、非常に可愛いものが映っていた。
それは、まな板らしきものと、白い子猫のお手々、その手にきゅむ……と握られた小ぶりの包丁だった。
子供のおもちゃのような包丁を持った、可愛い可愛い子猫のお手々が、緊張で大きく震えている。
ガタガタガタガタガタ……と、激しく。
「えぇ……めっちゃ可愛いじゃん……」
リオの胸は少しだけキュン、とときめいた。
自身の趣味が少々変わっていることに気付かぬまま、映像の右手からゆっくりと猫手に近付くイチゴを待つ。ミッション通り、タイミングよくドクロスイッチを押して、赤い標的をきっちり半分にするために。
そろそろか、とリオが構えたそのとき、隣の男が「あ、成功かな」と涼やかな美声で癪に障ることを言った。
案の定気が散り、その隙を狙ったかのようにイチゴがシュン――と加速する。
リオは持ち前の反射神経で親指に力を入れた。が、激しく揺れる包丁が切り付けたのは、イチゴではなかった。
可愛い可愛い白い猫手が、木製のまな板に、おもちゃの包丁をダァァン!! と振り下ろす。
ドガァァン!!! という爆発音と共に、まな板は木っ端微塵となった。
「無い無い無いナイない――」とリオが終わらぬクレームを入れている途中で、水晶玉の映像は、次のミニゲームへと切り替わった。
◇
怒り狂うゴロツキの魔の手から、俯く男のギックリ腰が悪化しないように護っていた司令官クマちゃんは、彼らの空気が変わったことを察し、お口のまわりをもふっ……と膨らませた。
「クマちゃ……」




