第452話 心地好い雰囲気のなか、鍛えられる集中力。ざわつく大人達。押してしまったリオと、その得点。
見てしまったクマちゃんは、動揺を隠し、もこもこした口元からすっと肉球をどけた。
◇
それぞれの空いた手に、ヨチヨチ……もこもこ……と子猫にそっくりな妖精ちゃんが乗り上がり、それによって王都の客人達の心臓が、ドクンと跳ねた。
『な、なんだ?! 何事だ?!』
白いイベンターはうむ、と頷き「クマちゃ、クマちゃ……」と大人達に告げた。
『あん摩まっちゃーじ指圧師クマちゃんせんせい』の教え子ちゃん達でちゅ……。集中しやすくなるお手々のツボを押しましょう……と。
それは『集中力を高める手のツボを押しながら、集中力が必要なゲームで遊びましょう』という、連日連夜注意力が散漫なクマちゃんの、思い付きに近い気遣いだった。
すでに意識が分散しているのではないか。と指摘されかねない、あまりにも不注意な試みである。
そこで「クマちゃん、どっちか片方にしよ」と、ありきたりだが却ってクマちゃんの気がそぞろになりそうな注意が飛ぶ。
ハッとしたクマちゃんは、彼の言葉の意味を真面目に考えはじめた。
絶え間なく聞こえている水音。『ザァ――……』という響きは、母体内で聴くそれに似て、精神を落ち着かせる。
クマちゃんは集中し、思考した。
ザァ――……。
これがクマちゃんの、否、ありとあらゆる生命体の集中力を乱す最大の要因なのではないか――……。気が散りかけた生き物にありがちな思い込みで、気がそぞろになってゆく。
そうしてそのまま、思考中のありとあらゆるものが霧散していった。
チャ――、チャ――、チャ――。
小さくて薄い、子猫のような舌が、ミルクを味わうように動いた。
「クマちゃ、クマちゃ……」
では、妖精ちゃん達は、集中力を高めるまっちゃーじを始めてくだちゃい……。
リオが問う。「クマちゃん俺の話聞いてた?」
しかし見えないうえに痛い空気砲的な何かにやられ、無言のまま発言を撤回した。
大人達の手のひらにあるツボを、お目目をつぶった子猫のような妖精ちゃん達が、ふみぃ……ふみぃ……、ぐぅ……ぱぁ……と、小さな猫手でふみふみもみもみしてゆく。
手当たり次第に。どこが何のツボなのかを深く考えることなく。
可愛すぎる施術に、大人達の心拍と呼吸が乱れる。
『ああぁぁ! 子猫が! 子猫が俺の手を……!』
『くっ……! 肉球が……!!』
『ぐあぁ……! だめだ……心臓が持たん……!』
『ひぁぁぁ――』とおかしな悲鳴を上げかけた王都の商人は、契約により自分達の安全を守ってくれている護衛の殺気で意識を失いかけた。
白きイベンタークマちゃんは、右手の肉球を上に向け、どうぞ、ポーズをしたまま、愛らしい声で「クマちゃ……」と言った。
集中力が高まってきたようでちゅね……。
ではさっそく、集中力が必要なミニゲームちゃんを始めてくだちゃい……。
『集中力が必要なミニゲームちゃん』――それは、準備のあいだ放置されていた『口まわりの色彩が独特な似顔絵と、機動力の高いひげ』のことだ。
駆けまわる黒いひげは、ドクロスイッチを押さないと永遠に止まらない仕様のようだ。
様々なミニゲームが詰め込まれているらしい水晶玉が、やわらかな布団や座椅子でほぼ強制的にリラックスさせられている大人達の、眼前に浮かんでいる。
ゲーム開発者クマちゃんの作ったそれは、うつ伏せになっていても、仰向けになっていても、座っていても、立っていても、暇でも、忙しくても、状態に関係なく視線の先に浮かび続けるという、『すごいですね』の褒め言葉の中に、称賛以外の意味が混じりそうな、規格外でトリッキーな魔道具だった。
リオは「えぇ……」と肯定的ではない声を出しつつ、ドクロスイッチを押してみた。
『最初だしテキトーでいいよね』と。
シュッ! という効果音と共に、黒いドーナツ状のそれが停止する。
幼子が描いたと思しき似顔絵。
人畜無害そうな笑みを浮かべた、丸すぎる顔の男性。
半月にひらいた赤い口。そのまわり。
水色のインコと同じくらい水色な部分から大分外れた、短い棒線のような眉毛の上に、問題のひげは止まっていた。
大きな輪になっているそれは、口のまわりどころか、顔の輪郭からもはみ出している。
スイッチを押した本人は、一言「きもい」と言った。
クマちゃんは、なんでも映る掲示板に大きく映し出されたリオの結果を見て、ハッと口を押さえたが、何事もなかったかのように、すっと戻した。
そのままルークの腕の中で前を向き、じっとしている。
ぬいぐるみと同じくらいに大人しく。じっと。
赤子の怪しい動きを察知したリオは、視界をふさぐ水晶玉を躱し、上体を横に傾け、掲示板を見た。
そこには『ただいまのリオちゃんのおしゃれ度と生き様』という気になる文言と共に、こう書かれていた。
『あなたは本当にそれでいいんですか?』
「くっっそ腹立つ」
こめかみに青筋を浮かべたリオの横で、青髪の美しい男がクッと喉を鳴らした。
「いま笑ったでしょ!『クッ』って」
「聞き間違いだと思うけれど」
「いや絶対笑った。そうやってひとのこと馬鹿にしてると自分に返ってくるんだよねこういうのって。ちょっと押してみて。見てるから。いますぐ。ほら早く」
「うーん。そんなに言うなら押すけれど、君が騒いでいると集中できないな。少しだけ静かにしていてくれる?」
「やだけど」とリオが答えた瞬間に、優し気な男は座ったまま体の向きを変え、かかとでガッと蹴りを入れた。
「暴力。これはただの暴力」
蹴られた金髪は仲間を静かに批判したが、「リオ。静かにしていてくれる?」の言葉で黙った。
もう一度断ってやろうかと思ったが、反対側に座っている魔王様から無言の圧を感じたのだ。
リオ、うるせぇ。と。
「…………」
黄昏ている雰囲気を醸した眼帯の男は『これはもしや権力を使った嫌がらせでは――』と無口で無表情な男への疑心で心の扉を揺らしつつ、虎視眈々とウィルの失敗を待った。




