第446話 可愛いクマちゃんの大人びた雑談。お洒落カウントダウン。意味もなく格好いい彼ら。
現在クマちゃんは、商人の方々と今後の社会情勢について話し合っている。
「クマちゃ……」と。
◇
「クマちゃ……」
『まちゅた……』
まちゅた、おかえりなちゃ……。
愛らしい声がヤバい組織の人を呼ぶ。
ヤバい組織の人は、その服装からは想像もできぬほど優し気な声で、愛くるしいもこもこに挨拶を返した。
「ああ、ただいま。いい子にしてたか?」
愛らしいクマちゃんのおかげですっかり機嫌が良くなったマスターは、己の服装のことは一旦忘れ、彼の帰りを待っていた幼子を優しく抱き上げた。
クマちゃんの小さな黒い湿ったお鼻が、マスターの頬にピチョ……とくっつく。
「クマちゃ、クマちゃ……」
『まちゅた、まちゅた……』
「分かった分かった。遅くなって悪かった。……お前は本当に可愛いな」
「マスターその声でもっかい『ぶっころされてぇか』って言ってみて」というクソガキの発言も、ヤバい組織の人は広い心で優しく受け流した。
「リオ、あとで話がある」
◇
『裏社会を牛耳る組織の首領』というとんでもない大物の登場に、客室でデザートを食べながら感涙していた商人達はヒュッと息を飲んだ。
『何故客室に裏社会のボスが!!!』と。
『マスター』と呼ばれているのだから、さきほどまで会議室で一緒だった『冒険者ギルドの管理者』と同一人物である。
まるで普段着のようにあの格好が似合っているではないか。
『ぶっころされてぇか』という問いに『いいえ。とにかく優しく接してください』以外の答えはあるだろうか。
そんなことを尋ねられたいと思ったことも、尋ねたいと思ったこともない彼らは、目の前の現実と口に入れたデザートの美味さにガタガタと震えあがった。
明らかに言い慣れていた。
おそらくあれは彼らにとって『気分はどうだ』『最高だけど』ていどの軽い挨拶なのだ。
やはり『森の街』という魔界では、あらゆるものが突き抜けているらしい。
きっとあの、どでかい酒場にも秘密があるに違いない。
優秀な冒険者を集めた正義のギルドは仮の姿だ。
本当は、魔族と魔王と大魔王と裏社会のボスと人類を裏切った商業ギルドマスターと生後間もない子猫の情報交換所だったのだ!
「……おい、妙な誤解はしてくれるなよ」
裏社会のボスこと冒険者ギルドマスターは、可愛いクマちゃんの糖質過多牛乳を口にした無糖コーヒー中毒者のような顔でそう言った。
が、すでに突き抜けた誤解をしている商人達は『牛耳っている人』の言葉に耳を貸さなかった。
彼らは誤解の爆心地からいち早く逃げ出し、幸福なデザートの世界に閉じこもったのだ。
「……見よこの美しさを。まるでドレスを着た貴婦人のようだ。あの丸い子猫の手でどのようにこのデザートを作り上げたのか……」
「……まさかプロの料理人より子猫のほうがはるかに料理上手だとは……」
「クマちゃ……」
「先が丸いうえに肉球がついているから細かい作業に向かないという考えは、俺達の偏見だったようですね……」
「クマちゃ……」
「これほどの技術だ。この味と芸術性を知れば、惚れ込んだ貴族達が子猫を引き入れようと躍起になるだろう。そうなると、商業大国と呼ばれるのがこの街になる可能性も……」
「クマちゃ……」
そんな風に、商人達とさりげなく会話に混じっていたクマちゃんが、ヒエラルキーの頂点にクマちゃんのシルエットを重ねようとしていたときだった。
またしても客室の扉が開き、室内に誰かが入ってきた。
入り口付近は熱くも冷たくもない不思議な靄に覆われ、彼らの姿は見えない。
「何故、部屋の中に靄がかかっているのか……あの人はいったいどこに……」
「あれ、なんすかこの『扉あけたら雲の中』みたいな……足元もふわっふわで完全に真っ白なんすけど。あ、マスターはふつうにそっちにいるっぽいっすね。ここらへんから靄が薄くなってるんで、俺の後ろついて来てください」
そう言って白い靄を抜けてきた精鋭は、どういうわけか全身黒ずくめだった。
見るからに『裏社会のボスの下で働くエリート構成員』といった風体だ。
無駄なく筋肉に覆われた、スラッとした肢体。
黒のスーツと黒いネクタイ、長身に映える黒のロングコート、黒革の手袋。
シャツと装飾品以外はすべて黒、というのが、もしや返り血対策なのでは――と疑惑の目を向ける要因になっている。
「えぇ……」
いったい何事だ。同類と思われたくないのでそのまま靄の中に隠れていてもらいたい。
リオは『お前なに目指してんの?』と、多分まだ一応仲間である男に尋ねようとした。
が、続いて姿を現したリカルドのせいで、もう一度「えぇ……」と言うことになった。
機嫌の良し悪しに関係なく悪事を企んでいそうな顔立ちの美青年は、何故か、本当に何故なのか、とびきり荒っぽい海軍将校のような格好をしていた。
彼もまた、全身黒である。
金色の肩章や飾緒がついた長いコートは袖を通さず肩にかけ、制服も襟元を着崩していた。
その風体はまるで、酒と女と暴力の世界に生きる嗜虐的な男のようだった。
「めっちゃひと殺しそう」
「……まさか、今のは私に言ったのか? はっ……、こんな顔に生まれたせいで……」
悪役顔の商業ギルドマスターリカルドはそう言って自嘲すると、よく見ると肉球マークが入っている徽章付きの制帽で己の顔を隠した。
「いや顔隠すより着替えたほうがいいと思うんだけど」
リオの無神経な発言を窘める者はいなかったが、リカルドの軍服は何故か、引っ張っても、切り裂こうとしても、どう頑張っても脱げず、シャツの乱れがさらにひどくなっただけだった。
みぞおちより下まで開いてしまったシャツの隙間から、鍛え上げられた胸筋と腹筋がチラチラしている。
大荒れの海のように精神が荒れたリカルドは、無責任な発言をした男を無言で睥睨した。
「…………」
「ごめんごめん。もうそのままでいいんじゃね? 誰も困んねーし」
誰も、困んねーし。
そのうち己に返って来そうな迂闊すぎる発言。
誰かが困ることになりそうな三十秒前。
「いま目の前で困っている私が見えないのか」
海軍でもないのに海軍将校らしき軍服が脱げなくなった森の街在住のリカルド(商業ギルドマスター)は、動揺をすべて殺意に変換したような顔でリオを睨みつけた。
「ヤバいヤバいヤバい。その目はヤバすぎる」
そんな風に二人がごたごたしているあいだに、黒ずくめの精鋭達がぞろぞろと入室してきた。
先頭の黒ずくめの手には怪しい紙袋。
袋の中には真っ黒な闇が渦巻いている。
いまにも何かが起こりそうな二十秒前。
「あ、リオさん。これさっき報酬っつって黒髪の『執事さん』がマスターにくれたんすけど、リオさんに渡しといたほうがいいっすよね。顔似てるし」
黒ずくめが『さっきの報酬』を差し出す。
闇を内包した紙袋が『似ている男』に迫る。
みんな仲良し十秒前。
「なに『執事さん』って。めっちゃ胡散臭いんだけど。つーかお前らなんでみんな黒い服着てるわけ?」
と言って『めっちゃ胡散臭い闇袋』を受け取とってしまったリオの手元で、パァン! と銃声のような音が響いた。
黒い眼帯をつけた黒い将校は、非常に格好いい肩章つきの黒いコートに手を掛け叫んだ。
「なにこれ脱げないんだけど!!」
悪役顔の海軍将校は、ちょっとした仕返しに成功した悪党のような表情で、クッ――と喉をならした。
「良かったな。なかなか似合っているぞ」
「うわその顔めっっちゃむかつく!!!」




