第442話 客室でベルを鳴らした結果。小さな何かで揉める男達。指示を出すメイド長クマちゃん。
メイド長クマちゃんは、格好良く命令を下した。
『クマちゃ……』と。
◇
王都からの客達が小さなベルの前で揉める数分前のこと――。
『用事があるときはベル鳴らすといいかも。あの子達はめっちゃ優秀だけど、上手くできなくても絶対怒んないでね。あと、可愛いからって誘拐したら、こ――。じゃなくて、大変なことになるから。それと、凄く困ったら俺を呼んでいいよ』
という少々恐ろしい説明を、黒髪の男はかすれ気味の美声でしてくれた。
そうして、疲労を隠さない『執事さん』は、白手袋をはめた手で髪をかき上げると、『それじゃ』の言葉と上品な笑みを残し、豪華な客室から去っていった。
緊張から解放された商人達が、それぞれ深くため息を吐く。
間を置いて、よろよろとソファへ近寄り、震えながら全身をくまなく浄化してからそっと腰掛けたり、きょろきょろと部屋を見回し、その美しさに目を剥いたりする。
――この部屋の内装は南国の海といった雰囲気で、輝く白、深い青と水色、エメラルドに似た緑を中心とした、上品かつ鮮やかな色合いで纏められていた。
商隊長は、腕組みをしてぶつぶつと呟いた。
「あの子達……可愛い……ベル……」
『執事さん』のかすれ気味の説明の中で、その部分だけが妙に耳に残った。
城の客室でベルを鳴らせば、やってくるのはメイドだろう。
だが何故か、頭に真っ白なもこもこが思い浮かぶ。
自分達が案内されたのは、どう見ても罪人用ではない素晴らしい部屋だった。
ここにはすべてが揃っている。
当然のことながら、『恐ろしい魔王に忠誠を誓うメイド』を呼び出すほど差し迫った用事はない。
腹は減っているが、このまま寝てしまえばいい。
朝になればきっと、可愛い子猫に会えるはずだ。
そう、頭では理解している。
が、やはりそわそわするのでとりあえずベルを――と中央のテーブルへ視線を向けようとして、出入口付近の飾り棚の上、壁際の花瓶の横、そして何故か床にも……とにかく部屋中あちこちに小さなベルが置かれていることに気付き、商隊長は体をビクッとさせた。
彼は思った。
「多いな……」
「商隊長、まさかとは思いますが、用もないのにベルを鳴らそうとしてるわけじゃありませんよね」
少し前に『〝クソガキのおもちゃみたいなスイッチ〟による脱力転倒気絶被害』に遭ったばかりの地味な美形商人が、ぎょっとしたように確認を取る。
彼は奥二重の目で訴えた。『勘弁してくださいよ!』と。
寝室や衣装部屋を見回っていた仕事熱心な護衛はそのやり取りに気付くと、やれやれ……とでも言いたげな顔をして、二人の前まで戻って来た。
左手を腰に当てた護衛が滑舌良く、言い聞かせるように告げる。
「怪しいもんにはさわんな。どうしても気になって仕方ねぇって時は、手に取る前に俺を呼べ」
「分かった。では早速……どうしても気になるから、そこにあるベルを鳴らしてくれ」
「商隊長! あなたってひとは……! ここは〝あの〟魔王の居城なんですよ! そこで働くメイドを相手に、『どのくらい可愛いのか気になったから呼んでみただけだ』とでも言うつもりですか? いくらあなたが稀にみる美青年で、昔王都でモテモテだったからといって、なんでも顔で解決できるわけじゃないんですよ!」
商隊長が何故『魔王城の可愛いメイド』に興味を持ったのかを知らぬ地味な美形商人が、クワッと目を剥き説得を試みる。
「私はいったい何を責められているんだ。それより、昔の話はするなとさっき言ったばかりだろう!」
自身が若返ったことをひとりだけ知らぬ商隊長の頭が『???』と、疑問符で埋め尽くされる。
護衛は「おい、アンタ正気に戻ったんじゃなかったのかよ」とこめかみに青筋を立てながらも、自身の言葉に責任をとるべく、壁際の床に設置された〝小さなベル〟へと近付き片膝を突いた。
「変な力は感じねぇ……いや、違うな。建物全体が癒しの力で覆われてるから分かりにくいってだけで、これも魔道具か」
そう言って、癒しの力で覆われた小さなベルを、護衛の男は慎重に持ち上げた。
その瞬間。
壁際に猫用かと思うほど小さなドアが現れ、スゥ――と半分だけ開いた。
『クソッ、罠か……!』護衛が鋭い眼差しを向け、剣に手をかける。
しかし彼が見たのは飛び道具などではなかった。
小さなドアから、人間を警戒する子猫にそっくりな白きもこもこが、顔と体を半分強、覗かせている。
身につけているのは、首からかける幼児用のレース付きエプロン。
白いエプロンの中央、縦に三つ並んだ小さな黒いボタン、首に巻かれた黒いリボンは綺麗な蝶々結びだ。
――!!???
愛くるしい何かと目が合った護衛が身をこわばらせる。
つい先程知ったばかりの己の弱点が、彼の動きを封じたのだ。
『クソ可愛すぎんだろ!!』と。
冒険者としてあるまじきことだったが、至近距離で見た『謎多きもこもこ』のあまりの愛らしさに、男は視線一つ動かせなかった。
「クゥ……!! 私に会いに来てくれたのか!」
商隊長は王都の女性が見れば腰砕けになりそうなほど優しく麗しい笑みを浮かべ、最愛の子猫の名を呼んだ。
突然の出来事に驚いていた地味な商人が、『小さなドアから半分だけ見えている白きもこもこ』を凝視する。
そして、目利きの出来る商人らしい回答を導き出した。
「まさか、あの格好は……!!」
『メイドでは?』と最後まで口にすることは出来なかった。
商隊長にぐいっと押しのけられたからだ。
そこで、金縛りに遭ったかのように静止していた男が跪いたまま片腕を上げ、小さなドアに手を突っ込みかねない商隊長を制止する。
「おい、目ぇ凝らしてよく見ろ。見た目は完璧ってぐらいそっくりだが、存在が希薄だろ。これは本人……アンタの子猫じゃねぇ。気配からすると、幻影か、精霊か、妖精……。癒しの力のせいでよく分かんねぇな……分身ってこともありえんのか……?」
『対象者の分身をつくりだす高度な魔法』
それも、透けているわけでもない本物と瓜二つな、冒険者である彼でも一瞬惑わされるくらいの。
相当実力のある魔法使いでも自在に、ましてや長時間操ることなどできない古代の魔法だろう。
それなりに魔法も使える冒険者といえど、その道の専門家でもない自分が知るはずもない。
頭のおかしい人間が集まっているという噂の『魔塔』なら可能か……? と護衛は真面目な表情で頭を悩ませかけた。
が、今はそれどころではないことを思い出し、『小さなドアから出てこない子猫、あるいは子猫にそっくりなメイド』へと、無理やり意識を戻した。
「おい、お前……もしかして出れねぇのか?」
◇
もこもこしたメイドが小さなドアの外に出られない。
――という、もこもこした生き物が気になってしょうがない人間達を悩ます超難題は、意外とすぐに解決した。
どうやら、ベルを持ち上げたまま鳴らさなかったことが原因だったらしい。
手に持ったそれを床に置く際にチリン、と音が鳴り、それと同時にヨチヨチ……と非常に赤ちゃんらしい、おぼつかない足取りで『愛くるしいメイドちゃん』が小さなドアから出て来たのだ。
チリンの音と共に『クマちゃーん』――メイドちゃーん――と聞こえたのは、おそらく幻聴だろう。
やはり己の弱点は『謎の生き物が持つ危険な愛くるしさ』であると痛感させられた王都の優秀な冒険者は、そうやって些細な考え事をすることで、激しく脈動する心臓を抑え込もうとした。
「おかしい……。何故クゥの分身は君の足元から離れないんだ……!」
商隊長は唸るように言葉を発し、最愛の子猫を奪われた恨みを罪なき護衛へぶつけた。
垂れ気味の目を細め、憎らしい男をギロリと睨みつける。
「……子猫が怯えるだろ。その顔やめろ」
護衛はそう言うと、ブーツの先に乗り上がろうとするもこもこ――メイド妖精クマちゃんをぎこちない手付きで持ち上げ、自分から少しだけ離れた場所にそっと下ろした。
――が、ヨチヨチ……ヨチヨチ……と不屈のメイド妖精ちゃんは彼の元へ戻ってきた。
子猫にそっくりなお手々が、護衛のブーツにかかる。
『クマちゃ……』と。
商隊長の闇が深まる。
「分かった。そのブーツを寄越せ」
「何も分かってねぇだろ……。裸足で護衛する馬鹿がどこにいんだよ。……でもな、アンタが『おかしい』っていうのは間違っちゃいねぇ。俺はガキと動物には好かれねぇんだ。アンタもその辺にあるベルを鳴らしてみろ。そうすりゃコイツもそっちに行くだろ」
はぁ……と天井を仰ぎ、護衛は疲れた声で告げた。
『好きにしろ』とでも言うように、メイド妖精クマちゃんのブーツ登頂を容認している。
男は可愛らしいメイドちゃんには目を向けなかった。
そのくせさりげなく、転げ落ちぬように片手を添えてやっている。
無意識の彼の仕草は、いかにも『赤ん坊にも動物にも好かれそうな格好いい男』のように、商隊長達の目には映った。
「…………」
心が闇に染まった商隊長は返事をせず、要注意人物から数歩離れた場所にある小さなベルを鳴らした。
――失敗に終わった場合は……と少々心が荒んでいる人間的なことを考えながら。
チリン。
『クマちゃーん』――メイドちゃーん――。
可愛い鈴の音。それに続き、子猫の鳴き声にも似た音声が響く。
ほぼ同時に、壁際に小さなドア(二つ目)が現れる。
そこからヨチヨチ! と愛くるしいメイドちゃん(二匹目)が二足歩行の子猫並みに不安定な足取りで駆け寄ってきた。
壁に一番近い、護衛の元へ。
「は?」
予想外の出来事に、護衛の男はあっけにとられたような声を出した。
愛くるしいメイド妖精ちゃん(二匹目)が、テリトリーを奪い合う子猫的な動きを見せる。
『クマちゃ……』と。
要注意人物のブーツの上で、愛くるしいメイド妖精クマちゃん達が、もこもこもこもこしながら身を寄せ合っている。
心を闇に支配された商隊長は、要注意人物の肩をぐっと掴んだ。
「分かった。そのブーツを寄越せ」
◇
クマちゃん達がその部屋に到着した時。
顔の良すぎる商隊長は高い金で雇った護衛を押し倒し、地味な美形商人は問題がありすぎる上司に背後から覆いかぶさっていた。
『森の街で一番大雑把な人間』と、どこかの金髪から言われている男は、床に転がるブーツを見ながら涼やかな声で尋ねた。
「クマちゃんが君たちのために晩御飯を用意してくれたのだけれど、その続きはあとでもいい? それと、冒険者のブーツには危険な魔法が仕込まれていることもあるから、脱がせる前に気絶させたほうがいいのではない?」
常識人リオはどこにも視線を合わせていないような顔をして言った。
「俺この人の仲間だと思われるのイヤなんだけど」
ルークの腕の中でお手々をくわえていたクマちゃんの視界に、転がるブーツが入り込む。
クマちゃんはハッとした。
床にブーツが転がっている。
ということはつまり――裸足が好き、ということだろう。
同じく裸足を好むクマちゃんが、うむ、と深く頷く。
メイドちゃん達には室内用シューズを用意してくだちゃいとお知らせしよう。
それから、皆で仲良くご飯を食べるテーブルの準備も必要である。
「クマちゃ……」
『チュリッパちゃ……』
メイド長クマちゃんの愛らしい声が、キリリと命令を下す。
すると、部屋のあちこちでひっそり待機していたメイド妖精ちゃん達が一斉にヨチ……! と飛び出し、お部屋を快適に、そして足元を開放的にするため準備を開始した。
『クマちゃ……!』と。




